指先で放つ劇薬~匿名という盾~

「薬は使い方によっては猛毒にもなり得る」。医学知識において素人の私でも知っている事実であり、薬学という分野が発展した現代社会においてもはや不変の常識とまで言える。SNSなどで名前と顔を伏せて気軽に自分の意見を発信出来るようになった。匿名性のあり方について様々な議論がなされているが、私はここであえて“実名”で発信をする。

匿名制度の起源は定かではないが、恐らく相当の昔からあったものだろう。「誰が言ったか分からない意見」は、例えば治世に問題のある為政者の元で苦しんだ民衆が報復されずに自分たちの苦しみを訴えかける内容が書かれたり、伝えられたりしたものが多いはずである。「陰口」ではなく訴えを報復の危険なしで強大な相手に伝えることは、匿名制度を“薬”たらしめる「正しい使い方」である。もちろん、昔も陰口やそれ以上の言葉を使ったものは存在しているが、個人から相手へ伝わるスピード、そして伝えることによるリスクは現代社会と比べ物にならない。

現代における匿名制度はほとんど猛毒になってしまっている。企業内での不正の告発、刑事事件の情報提供、これらの「正しく匿名を使った」事例よりもいわゆる「匿名による誹謗中傷」があまりに多い。匿名によるリスク回避の悪用は現代社会の抱える大きな問題である。「正当な匿名の訴え」が「匿名による誹謗中傷」のイメージで塗りつぶされているような、誰しも不快に感じてしまう問題だ。匿名という救済措置、良薬は今や一部の“声の大きい”人々の攻撃の盾となり死に至る猛毒の言葉をばら撒いている。

SNSの爆発的な流行で、誰しも自由な意見を発信できるようになった。それは自由をはき違えた人の武器になっている。簡単すぎるのだ、攻撃をすることが。適当なメールアドレスでアカウントという武器を作り、誹謗中傷という弾を込める。指先一つで放つ。攻撃する側の簡便さに対して攻撃を受けてしまう側のダメージが釣り合っていない。

何故こうまで壊れた関係性の構図が出来上がってしまったのか。いくつもの要因が重なっていることは明白であるが、その要因が多すぎる。発達しすぎたSNSは、予想の範疇を超えて起こる、行き過ぎた意見の発信に追いつけず、プラットフォームだけが独り歩きした。その結果、提供元と法律関連の対応が後手に回る結果となってしまった。対応が後手に回るのは仕方のないことである。数十億という人間の天文学的な数になる日々の発信をすべて管理しきれるわけがない。

ならば対策はないのか。匿名での誹謗中傷や悪質な文章、画像の送信は被害者側が望めば場合によって情報開示請求をはじめとした法的措置を取り「匿名でなくなった加害者」を訴えることができる。すでによく知られている代表的な対応策だが、「法に触れるほどの悪質さ」「情報開示請求を求めることのできる基準」この2点については線引きが定かでなく、あまりに度を越えている事案以外は被害者に大きな労力を承知の上で法律の専門家と話を進めていく必要がある。そして特定できた場合でも裁判や示談交渉などで、更に労力と金銭的な負担を“被害者”が背負うことになる。

もちろん、被害者の訴えが正しく届き、その誹謗中傷を発信した“犯罪者”に損害賠償や慰謝料などの鉄槌が下ることも少なくない。しかし、それでもなお「匿名の加害者」にとっては対岸の火事程度にしか捉えられず、また今日も、また今も指先で加害者たちは悪質な文章を発信する。

他者への攻撃について考察してみる。
元来、攻撃という行為には必ずリスクが発生する。スポーツ、格闘技、狩り、そして直接での言葉による侮辱、ありとあらゆる攻撃。すべて必ず攻撃側にもリスクがある。パンチを一発も受けずに一方的に相手を倒す確信をもってリングに上がるボクサーはいないように。
侮辱したことで自身の評判を落とし後悔する加害者がいるように。
しかし、匿名という条件になればリスクが無くなり(無くなったと錯覚し)攻撃のハードルが格段に低くなる。先に述べたことに帰結してしまうが、攻撃することが簡単になりすぎている。更には、攻撃をしてしまう人は「自分の気に入らないところを直して欲しい」という目的と正義感を盾にしてはいるが、本当の目的は「攻撃をすることそのもの」であるように思う。芸能人やスポーツ選手、著名人、遠い世界で華やかな活躍をする相手に対して「攻撃をした」ことが、「攻撃できる立場にある」と思い込むことが自己を肯定する術になっている。

なにか社会通念上悪質な問題を起こしてしまった著名な人を正義感により正そうとする気持ちは理解できる。だが、正義感が正しい行動に直結するとは限らない。そして目立つがゆえに粗さがしをされ、「気に入らないから」と過剰に攻撃することは正義からかけ離れている。“名無しの卑怯者”言葉悪く書けば私はそう表現する。

表現、意見、批判、訴え、誹謗中傷。これらの境界が曖昧なまま発信は増えていく。インターネット社会を決して批判しているわけではない。むしろSNS等は自由な自己表現が手軽に発信できる素晴らしいコンテンツである。だからこそ、自由という自己判断の連続を誤らないように私も含め社会全体が取り組んでいくべきである。匿名制度の猛毒がいつかまた正しく使うことで少し苦い程度の良薬になり、不条理にあえぐ人々が頼るべき救済制度としてのイメージに戻るよう願って私は実名でここに自己表現をする。

機械設計士芦田 航大
1995年に京都府で生まれる。高校から工学分野へ取り組むようになり、工業高校、工科大学、同大学院と機械工学について学ぶ。
流体と機構についての論文を2本執筆。
卒業後はメーカーに就職し3DCAD等を使用した業務を担当。
社会人生活を送る傍ら、仏教、道教、神道などに興味を持ち、寺社仏閣などを訪れながらその時代背景などを見聞きし調べ、信仰について考えるのが趣味となっている。その他の趣味としてバレーボール、総合格闘技がある。
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流体と機構についての論文を2本執筆。
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