人間の社会的本質は「自己の遺伝子を守ること」、「互恵的な関係を取り結ぶこと」(お互いに利益を与え合う関係)、この2つである。「自己の遺伝子を守る」ためには、自分自身及び血縁者を重視する事であり、「互恵的な関係」とは、何かをもらうと、その代わりに何かを与える関係である。この様な人間の社会的本質に対して、本質を超えた人間の超越的・理念的な考えがどのように形成されるのだろうか?超越的・理念的考えの存在理由は、人間の本質的な欲求(自分の遺伝子を守ること、互恵的関係を重視すること)を満たすこと「のみ」を「短期的」に追求すると、結果的に、望んだことが実現されにくいことから、直接の欲求を抑え、それを超越した考え(理念)を導き出そうとするものである。
人と人とがぶつかれば、何かしらの「ルール」が必要になる。欲求をむき出しにしていては、むしろ自分の望みが叶わなくなる。だからこそ、人は「ルール」を導くための「理念」をつくりあげてきたのだ。短期的な利害ではなく、みんなが納得できる仕組みを考えようとする──それが社会の知恵である。例えば、ゴミを処理する場合、他人の敷地に捨てると争いが起きるので、自分や隣人の敷地に捨てず、赤の他人の敷地に捨てるようになる。しかし、その敷地からも不満が起こると、「ゴミを捨てるための一般的方法」つまり、周辺の皆が満足するように、(皆の資金を使って)ゴミ処理場を作るなどの方法を考えるようになる。そこまでの距離が遠くても、皆が合意することによって多少の不便は我慢する。
個人の欲求と互恵的関係が一致しない、あるいは相反する関係になる場合、悩みを解消する方法は、前述のように理念的な一定のルールを決めることだ。ルールに沿って欲求を処理すれば、自分も納得できるし、他者も納得するだろう。しかし、すべての場合に対等な者同士で作ったルールが適応できるとは限らない。世界史を見ると、それには、超越的な存在(神)を創造して、その命令に従うようなシステムの方が便利である。ルールに基づく考え方が浸透し、固定的な社会が大きくなるとルールを実行する神(皇帝といっても良い)を作り、その下に官僚制が発達した。
皇帝や王を頂点としてその下に階層ごとに固定された社会は長い間続いたが、それを破壊したのが「民主主義」である。フランス革命でも現れるように、今まで皇帝や国王の決定に参加できなかった人たちが参加を要求して勝ち取ったのが民主主義である。しかし、民主主義は、長い過程であったが、すべてが良くなったわけではない。人から受けた好意(選挙で当選したこと)に対してはお返しをするという社会的交換の一種の互酬的関係に基づき、その欲求を満足させるための政策を遂行する事は、互恵的関係を主体とする社会では当然のことだ。これらは民主主義と大きな親和性を持つ。すなわち民主制自体が互恵的関係を内包しているのである。つまり、投票してくれた人の利益を尊重する民主制度は、互恵的関係の一種とも言える。
この様な制度に拮抗する方法として、官僚制がある。中国では秦の時代に官僚制が出来て、それまでのバンド社会、部族社会にある、互恵的関係を主体とする社会からの決別が行われた。しかし、皇帝や王の支配をもとにした官僚制は、その後進展したわけではない。人間本来の性向である、「自己の遺伝子を守ること」、「互恵的な関係を取り結ぶこと」からの離脱は簡単なものではなく、何回も引き戻される事態が起こった。中国以外の世界では、中央集権に伴う官僚制ではなく、権力を分散させた「封建制」に移行した。
この様に官僚制は古くから存在したが、中国以外の場所では、大きく発展することはなかった。産業が発達して中間所得層が増加した後に、民主制が進展するが、民主制が発達する前に、官僚制ができている方が歴史的には望ましい。しかし、自律的な官僚は、政治から官僚が保護されると、志の高い行政を行うことが出来るが、一方で、官僚制はその地位が安泰ならば、官僚自身の利益のために動く傾向も生む。すなわち自分自身の保身のために動くようになる場合も、賄賂を受け取る場合もあるし、人気がない。
利権分配や利益誘導政治は、特定の文化だけに起こる現象ではなく、社会が近代化しても残った近代以前の慣習を表しているわけでもない。どちらも初期段階の民主主義国で政治的動員が行われる中で必然的に生まれたものだった。19世紀からの民主主義国家の経験から言える事は、民主主義と、我々が今日良い統治と呼べるもの間には避けがたい緊張関係があることだ。
現代での問題は、皇帝や国王が復活することはないが、その反対に、民衆の力がポピュリズム政治家や権力者が個人的な利益や便宜を提供することで支持を獲得する支配構造=互恵的関係を増すことである。民主政の初期には、官僚制度がポピュリズムの力が増すことを防いでいたが、民主制が浸透するにつれて、官僚はあたかも民衆の要望を邪魔する存在であるとの認識が強くなった。この傾向は現代の日本でもよく見られる(財務省批判はその典型)。政治的な力が民衆のポピュリズムを実現するように働いた場合、近視眼的な衆愚政治に陥る危険も強くなっている。この弊害を取り除くことは政治的には困難であり(その試みは独裁制につながる)、単純な官僚制の復活でなく、地道な教育(20年かかるが、不可能ではない)によってのみ達成できることを認識すべきである。
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