『今時』という言葉の不自然さ

昨今、特に良く耳にする気がする「今時その考えは・・」という言葉。一見すると、あらゆるマイノリティやその他の社会問題に真摯によりそった素晴らしい言葉である。
ハラスメントなど社会問題についての定義が広くなり内容も多彩化した今、こういった言葉でどれだけ救われる人がいるかは言うまでもない。また、その声を挙げる事についても勇気が必要であり、行動に移した方々への尊敬は臆病な私にとってはあまりに大きく感じる。SNSという文化がここまで発展した現代社会において声を挙げることは“今時”簡単であるかもしれない。だとしても、先述の通り勇気と行動については否定の余念がない。今やTVでもコンプライアンスが大幅に見直され、ニュース番組で、ドキュメンタリーで、果てには人気芸人や若手お笑い芸人が出演するにぎやかなバラエティー番組でも「“今時”それはだめだ!」という発言が散見されている。もちろん時代に即した行動、発言は素晴らしいことである。

しかし、私にはこの言葉へのとある違和感が拭えずにいる。
「今でなければ許容されていてもよかったのか。今でなければ病気の方、障害がある方、LGBTの方々などが不快な目にあっても我慢しなければならなかったのか」
もちろん、これは極論であり、実際にそうであったかどうかは当事者しか知りえないことで、1995年生まれの私が時代背景を知るにはあまりに経験が乏しい。
だとしても、私自身が“今時”ではない時代に生きたマイノリティと想像し考えてみると、自身の障害や性的な悩みなどを茶化し、周りに吹聴し、果ては絢爛なTV番組で小ばかにしたようなコントなどを見てしまったとき、そこに生まれるのは「憤り」と「悔しさ」であると思う。「悩んでいるのに、苦しいのに、配慮がないなら放っておいてほしいのに」

そう感じることは自然なことであるとここでは言い切れる自信がある。当時の実際に悩みを持った方々がどれほどの経験をしてきたかはSNSやニュース記事などでしか知ることができなくなっている。実際に余計に悩んでしまった人がいる、実際に泣き寝入りすることしかなかった人たちがいる、実際に周囲の目があまりに厳しく苦しんだ人がいる。
そこまでを理解したうえで、“今時駄目でしょう”というような趣旨の発言を見たり聞いたりしたときに、拭えない違和感が再燃する。

“今時”ではない、自身の心身について苦しみ、悩んでいる人を茶化すことは最初からダメなのである。

肌の色、出自、セクシュアリティ、身体と精神の病気、茶化すことを超えていじめ、差別にまで発展することも少なくない。それでもやっとほんの少しずつ社会がそれらの苦しみを理解し“個性”について寛容さが生まれてきたのは他でもない苦しんだ当事者の方々の訴えによって社会全体が気付き始めたのだろうと思う。

時代によった考え方を今昔で分けることには慣れている。慣れてしまっている。当然、考えは常にアップデートするべきではあるが過程を忘れてはならない。
今昔だけで考え方を変えることへの違和感。同じ定規で測っているのに目盛の読み方が変わっているような不自然さ。
それでも、“今時”という言葉が使われていても、個性について少しずつ、でも確実に現代社会が門戸を広げている。
どうか、どうか、理不尽な人による人への苦しみが無くなっていくことを切に願う。

機械設計士芦田 航大
1995年に京都府で生まれる。高校から工学分野へ取り組むようになり、工業高校、工科大学、同大学院と機械工学について学ぶ。
流体と機構についての論文を2本執筆。
卒業後はメーカーに就職し3DCAD等を使用した業務を担当。
社会人生活を送る傍ら、仏教、道教、神道などに興味を持ち、寺社仏閣などを訪れながらその時代背景などを見聞きし調べ、信仰について考えるのが趣味となっている。その他の趣味としてバレーボール、総合格闘技がある。
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流体と機構についての論文を2本執筆。
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