介護職の「専門性」とはなにか?
フレックスナー報告(1915)の「ソーシャルワークは専門職か?」の問い(*1)は、介護を含む社会福祉領域で反復されてきたが、専門職としての専門性確立に向けた試みには、疑義が伴ってきた。少なくとも日本の介護分野に関しては、介護保険開始から四半世紀を経てもなお、介護職が専門職として認められているとは言いがたい。
医師には医師しかなれないが、介護職の求人には「無資格・未経験可/OK/歓迎/大歓迎」の文字が並ぶ。国家資格・介護福祉士の有無は、あくまで上乗せ的に扱われている実態がある。
確立する必要がある以上、「専門性」は操作的である。国家資格の「専門職」でも、実務の「質」が担保されるとは限らない。専門性の定義は多岐にわたるが、多くの介護現場において、有資格者と無資格者・経験者と未経験者が同一業務に従事している現実を鑑みると、その根拠はいっそう疑わしくなる。
「介護福祉士」という名称の多義性
介護福祉士は、名称を独占できるだけで、業務の独占は認められていない。家庭の主婦や家政婦、家庭奉仕員等、主に女性が担ってきた介護労働を社会化する過程では、専門性の確立以前に国家資格化(1987)が先行した。その際「他の先進国において、ケアワークは看護領域として位置づけられている。日本のみが看護から『生活支援』を切り離し、福祉領域の『介護』として位置づけている(野中2015)』のが実情だとすれば、看護の「専門性」から切り離された看護助手相当の「(非)専門性」が介護の起源になる。(*2)
国家資格は本来、専門性という「質」が一定水準以上にある証明のはずだが、介護福祉士試験は、資格保有者の同一性を担保し得ないほどに多様かつ流動的である。
かつては3年の実務経験で受験可能で、実技試験は有料講習の受講でほぼパスできたが、のちに実務者研修(450時間・有料)に置き換わり実技試験は廃止された。一方、介護福祉士養成施設の卒業者は「無試験」で資格取得できる状況があり、国試受験の必須化以降もさらなる経過措置が設けられた。
担い手の「量」不足による外国人受け入れの流れは、国試に落ちても在留する根拠としての「准介護福祉士」の創設につながる。外国人特例では、フリガナつきで試験時間を1・5倍にする試験水準の引き下げも行われた。それは単なる言語的バリアフリー化に留まらず、細やかな日本語能力や読解力の専門性からの捨象を意味する。加えて、受験者数の減少や外国人合格率の低さを背景として、全受験者に対し科目ごとのパート合格が2025年度から導入予定である。(*3)
国試必須化で「質」の体裁を整える一方、実務経験ルートの受験者が大半にもかかわらず近年の合格率は約8割で、実質的に「量」の確保を目的とした「受験しやすい(=合格しやすい)」試験への見直しが進んでいる。そのように、国家資格としての統一性を欠いた現実が意味するのは、「介護福祉士」の名称に基づき専門性を論じる不可能性である。
自己目的化する「専門性」の追求
国試合格者が「介護福祉士」を名乗れる以上、(国試必須化以降はなおさら)試験問題がその「専門性」を構成する。設問には、一問一答的な福祉史、業務範囲を超えたメゾ・マクロの制度や医学知識など、実務に直結しない内容が散見される。ケース問題では、一般感覚で回答可能な設問も少なくない。これらを評価していった場合、実務の「質」に有意な差を生み出す問いが、どれだけ残るだろうか?
こうした試験は、大学教員などの研究者、法人経営者、および行政関係者が主に作成に関わる。(*4)つまり、ケア労働の当事者である介護職を排除したニーズの統合――フレックスナーの「専門性否定」の呪いの如く、アカデミックかつポリティカルな「専門性」を現場の介護職に求める倒錯――が試験に反映される構造がある。
しかし、専門職化を推し進める一方で、介護福祉士が提供するケアの「質」が無資格者より高いという証明はなされて来なかった。ケアの「質」を評価する手法が確立されないまま、「ケアの質の向上/低下」という主題が語られてきた。(*5)
「当事者主権の立場から言えば、『よいケア』の究極のあり方は、『個別ケア』である(上野2011:186)」(*6)という点に同意する場合、ケアの「質」の客観評価はいよいよ困難になる。利用者の主観評価では、介護職に対し「技術・専門性」より圧倒的に「人柄・態度」を求めており、「人柄がよければ資格は不要」と考えている(上野2011:173-175)のだとすればなおさら、従前の専門性の追及は「利用者のため」という建前を失い、「専門職化に資する専門性の確立のため」の自己目的化に過ぎなくなる。
ケア労働のノーマライゼーション
専門職化で「質」を高める建前の裏で、専門性を切り下げて「量」の確保に傾斜する日本の介護の現状を、ここまで概観してきた。つまるところ、福祉の専門職化の目的は、労働条件の改善や社会福祉の拡充ではなく、市場化とセットになったマンパワーの増加であった(渡邊2017:225)。しかし、その結果、272万人(2040年度)への増員を目指していた介護職が初の減少(212.6万人・2023年度)に至った現実は、「名ばかり専門職」としての介護福祉士への評価でもある。
だからといって、介護職の低待遇と家族介護者の不払い労働で成り立つ介護保険下では、「質も量も」兼ね備えるための高賃金化は期待できない。社会保険の「コスト」を支払う労働/納税人口が減少し、要介護者と介護職が増加する超少子高齢化社会の日本において、介護職の賃金上昇のための財源確保はこれまで以上の難題になる。
行き詰まった現状を打破するには、「コスト」を左右する「質」「量」の価値観を根本から見直す必要がある。人口動態的にも介護職の「量」の優位が不可避なら、「質」を担保し得ない専門職化で門戸を狭めることは非合理であり、労働集約的なケア労働(個別ケア)では「量が質」になる、という再定義が求められる。そこから、介護の専門性を脱構築して「だれでもできる仕事」として発展的に普遍化する道が見えてくる。
現代福祉においては、ケア利用者の生活をノーマライズ(正常化、普遍化)する代わりに、ケア労働者の仕事がアブノーマライズ(特殊化、偏在化)されてきた。その偏りがもたらしたケア労働者の不足は、すなわちケア利用者の危機である。本論では歴史の流れをそのように捉えた上で、ケア労働の専門性を広く普及し、あらゆる社会階層をその担い手とする「ケア(介護)労働のノーマライゼーション」(*7)の考え方を提案する。
無償の公教育等を通した「脱専門職化」によるケア労働のノーマライゼーションは、政策や教育にケア労働者の視座をもたらし、低劣な処遇(賃金・ハラスメント・訴訟リスク等)やジェンダーバランスを適正化するとともに、家族等によるインフォーマルなケア労働をも包摂する。ケア労働が幅広く分担されることで一人当たりの負荷が減り、短期・スポット型の労働ニーズが効果的に運用できる。そうした新たな社会構造は、ケア労働の提供により将来ケア労働を利用する権利を得る「ケア労働交換(大谷2025)」の構想の端緒になる。
ケア利用者のみならず、ケア労働者もノーマライズされた「だれもがケアし、ケアされる」社会では、ケア労働の充足にともなう経済的合理性とともに、人類史上、奴隷や女性など社会的地位の低さに結びついてきたケア労働の階級性を解体し、ケアに満ちた民主主義(Tronto2015=2020)へとつながっていく。
注:
(*1)フレックスナーは、専門職が成立するための医学から還元された条件(判断責任、高度な体系知、実践性、専門職団体の組織化、利他主義など)、を提示し、現段階(1915)でソーシャルワークは専門職に該当しない、と結論づけた。アメリカ(のちに日本)の社会福祉はその後、同報告を克服するベクトルで専門職化に向かうが、少なくとも日本の介護職については「……『準専門職』の条件を未だに保有しており、『確立専門職』にははるかに及ばない位置にあるといわざるを得ないだろう(阿部2009)」という現状がある。
(*2)2012年、研修受講で介護職が喀痰吸引、経管栄養等の医療的ケアを行えるようになったが、それは介護の専門性向上というより、医療看護の下部領域への接近を意味する。また、同研修の対象は介護職員全体であり、介護福祉士に限られていない。
(*3)令和6年9月 24 日「介護福祉士国家試験パート合格の導入に関する検討会」厚生労働省より。なお、同資料に記載された構成員は全員が大学教員である。
(*4)厚生労働省「介護福祉士国家試験の今後の在り方について」令和2年。厚生労働省の検討会のメンバーは、大学教員および法人経営層に偏在している。
(*5)日本生活支援学会(2010)「介護福祉士の専門性の質的評価と活用に関する研究事業報告書(概略版)」では、「ケアの質を定義することはきわめて困難」という評価研究の限界を示した。その上で、「(1)評価主体によってケアの評価基準は異なる、(2)ケアの質は多様である、(3)介護の専門性は介護の質のひとつの見かた(視点)である、という3点を前提に、介護の質の評価指標の開発を試みる」とした調査内容は、全国11箇所の「食事場面」「排泄場面」「入浴場面」の3場面のインタビューデータに過ぎず、調査対象も介護保険施設の「介護福祉士」のみ、という極めて限定的なものであり、逆説的に、ケア(介護)の「質」の客観的かつ体系的な評価の不可能性を示している。
(*6)上野がここで言う「当事者」はケア利用者に限定されているが、ケア労働者の当事者性に立つ「(ニーズ論に対置される)サプライ論」の視座については「ケア労働交換の社会構造(大谷2025)」を参照。
(*7)デンマークのバンク・ミケルセンが「知的障害者ができる限りノーマルに近い生活を獲得できるための法則を与えるもの(Nirje1998= 2004: 22)」として提唱し、スウェーデンのニリエが発展させたノーマライゼーションの原理は、のちに介護を含む他分野にも波及していったが、利用者の生活のノーマライズのみならず「職員の働く状態をノーマルにすることでもある(Nirje1998= 2004: 31)」とニリエが言及している点は、ケア労働のノーマライゼーションの観点から改めて見直す必要がある。
なお、同様の文脈で、ソーシャルワークに関しても脱専門職化によるノーマライゼーションが求められるが、本論では言及するに留める。
文献:
・阿部正昭(2009)『介護職の専門職化とその専門性』コミュニティとソーシャルワーク第3号
・上野千鶴子(2011)『ケアの社会学 当事者主権の福祉社会へ』太田出版
・大谷航介(2025)『ケア労働交換の社会構造 ――介護職の当事者性に立つ「サプライ論」の視座――』Opinions
・野中ますみ(2015)『ケアワーカーの歪みの構造と課題』あいり出版
・渡邊かおり(2017)『新たな社会福祉制度の下での社会福祉従事者研究の課題 :戦後における社会福祉従事者論の検討を通して』社会環境研究 第11号 2006.3
・Nirje Bengt(1967,1969,1970,1971,1972,1976,1980,1982,1985,1993,1998)The Normalization Principle Paper(=2004,河東田博ほか『ノーマライゼーションの原理 普遍化と社会改革を求めて』現代書館)
・Tronto.C.Joan(2015)Who Cares? How to Reshape a Democratic Politics, Cornell University Press(=2020, 岡野八代訳『ケアするのは誰か? ―新しい民主主義のかたちへ』白澤社)
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