メガロサミアに対する処方箋、日本が取るべき道

無差別の暴力が頻発する社会をなくするためには、その原因を解消する事が必要です。そのためには前稿で述べた2つの考えられる原因、つまり経済的困窮をなくし互いに個人の尊厳を尊重し承認する社会の構築が求められます。

経済的困窮に対するセーフティーネットの構築

成人までのベーシックインカムの導入、教育の無償化を。

経済的な困窮が社会に蔓延し格差が広がっています。貧困に喘ぐ子供の数は6人に1人に達し、日本の社会の活力と将来性を蝕んでいます。多くの無差別殺人事件において経済的弱者であることが、犯行の背景の一部を形成している事実があります。経済的な困窮は怠惰の結果ではなく、社会の機会提供の問題です(オピニオンズ『経済的困窮は怠惰の結果ではない』を参照)。経済的な困窮を解消するためには、それに対するセーフティネットをまず確立することが必要です。そのためには若者のためのベーシックインカムや教育の無料化が必要です(オピニオンズ『おしんの時代』参照)。人生100年時代の最初の20年は社会が責任を持って若者を育てる必要があり、そうすることで日本全体として若者に責任を持ち社会をよくするという国民の合意が形成されます。社会のメンバーが自分達は大きな家族の一員だと感じ、互いに強い信頼を寄せていれば弱者を支援する社会的プログラムを当然として支持するようになります。もし社会が利己的な集団に分かれ、互いに共通項がほとんどないと感じている場合には、互いのことを資源を奪い合うゼロサムの競争相手とみなす可能性が高いのです。

このセーフティネットは特に青少年の時期に充実していることが求められます。なぜなら、青少年は将来にわたって日本を支える存在となり、その考え方、行動様式が日本そのものとなるからです。政治は投票率の期待できる高齢者に厚い政策を打ち出してきましたが、そろそろその考えを改めるべき時に来ていると思います。若者への投資は成長産業への投資と同じで、若者だけでなく高齢者にとっても極めて効率の良い投資と考えるべきです。また成人以後のセーフティネットについても、現状の生活保護は依然として「怠惰な結果の貧困を正す」という間違ったお役所の正義感に囚われていて十分機能していないのは伝えられている通りです。もっと柔軟な対応が必要と考えられます。

互いに承認しあう

フランシス・フクヤマによれば人間には尊厳の承認を渇望する心の動きが本質的に存在しており、それをテューモスと呼称します。アイソサミアは他と平等な存在として尊敬されたいという要求を、またメガロサミアは他より優れた存在として認められたいという要求を意味します。このうちアイソサミアは通常の人間の欲求として認められますが、メガロサミアの場合は自己と他者の間に大きなギャップが存在し、これが大きな不満を内包し爆発する可能性があるという点において克服すべき社会的な課題であると考えます。

自己愛性パーソナリティ障害とメガロサミア

自己愛性パーソナリティ障害という病態があります。自己愛性パーソナリティ障害では、優越感(誇大性)、賞賛への欲求、および共感性のなさを特徴とします。自己愛性パーソナリティ障害の患者は自分の能力を過大評価し、自分の業績を誇張し、他者の能力を過小評価する傾向があります。つまりメガロサミアです。自己愛性パーソナリティ障害では自分は人より優れているという高い自尊心を有していますが、その一方でそれは脆く崩れやすいのです。ひとたび批判が自分に向けられると、その批判を処理することができず、自己価値観を正当化する試みとして、しばしば他者を蔑み軽んじることで内在された自己の脆弱性を補おうとします(wikipedia)。この場合、社会の方が変わる必要があると考えそれを行動に移す可能性が高いのです。悪いのは自分ではなく、自分を認めない社会である。変わるべきは自分ではなく、社会なのだ、と。


幼少期における高い自己意識と誇大的な感覚は正常な発達の一部です。幼児は、現実の自分と、非現実的な視点の元となる理想自己との間にある違いを理解できません。8歳を過ぎると、自己意識には肯定的なものと否定的なものの両方が存在し、同年代の友人との比較を基盤にして発達し始め、より現実的なものになります。この正常な発達の過程を経ることができずにいると自己愛性性パーソナリティ障害、そしてメガロサミアとなるのです。自己意識が非現実的なままで留まる原因として二つの要素が挙げられています。親が子に対して過度の介入をすること、あるいは介入があまりに少ないこと(ネグレクト)のいずれかが挙げられます。その子どもは自己の欠損を、誇大的な自我意識という手段で埋め合わせようとするのです。秋葉原無差別殺人事件においては犯人の幼児期の生育環境が報告され、母親からの虐待とその後の放棄が認められます1)。元総理暗殺事件においては、母親の宗教活動による育児放棄、母親のケアが病弱な兄へ向いて自己の存在が毀損されていたことなどが明らかとなっています。外部に見られることを意識して発信した文章をみると、極めてペダンチックであるとことからも自尊心の高いことが伺えます。どちらも自己愛性パーソナリティ障害をもたらす環境にありメガロサミアをもたらしたのではないかと推察します。

家庭の育児負荷を減らし過度の介入やネグレクトをなくし、多様性を認める集団公教育を早くから行いメガロサミアをなくす。

社会から自己愛性パーソナリティ障害をなくしていくためには幼少期の環境調整が重要です。児に対しての過度の介入やネグレクトをなくしていくのです。現代の日本社会では核家族化や受験のために、従来あった養育の知識や力が衰えています。幼児にとってより良い環境を提供するためには家庭にのみ任せるのではなく、もっと積極的に社会の力、コミュニティの力を導入することが必要です。幼少期教育においては各人を尊重し、自他を区別し、現実を認識できるようにしていくことが重要です。そのためには「世の中には色々な人や考え方があり、それぞれがそのままで尊重されるべきである」こと、つまり多様性の存在と尊重を学ぶべきです。多様性の尊重を学ぶにはさまざまなアプローチがあります。インクルーシブ教育(オピニオンズ『形だけのインクルーシブ教育・根深い意識を壊そう』参照)、や移民政策(オピニオンズ『多様性を取り戻す』参照)もそのひとつです。多様性の存在を認めることは自他の区別に役立ちます。積極的に自分と違う他人と接することではじめて多様性の存在に気が付きます。同時に他と交わることでコミュニケーション能力が発達してきます。こうした幼少期の働きかけにより自分自身が能動的に働きかける事ができるコミュニケーション能力が確立され、将来的に孤立を防ぐことができます。そのためには、自他の区別と現実の認識が可能となる幼少の時期までに公的な教育の開始を早め、現状の幼稚園教育をさらに充実させることが必要です。幼少期から青少年期における教育と生育環境を良くすることが現在及び将来の日本を良くすることにつながります。それを国民全体が自分のこととして理解し支援することが求められているのです。

個人の問題に矮小化せず社会全体で取り組む

個人の問題と捉えられている多くの無差別殺人事件も、このように考えると本来は社会の問題です。社会を誰の目から見ても良いものにするためには、これらの問題を個人に任せていては解決からはほど遠いのです。従来は家庭にあって適切な幼少期の教育が行われていたことで表面化しなかったほころびが、社会変化によって次第にあらわになっている現代においては、社会が家庭と一緒になって幼児期教育を行う仕組みが必要です。それに伴って高齢者に偏っている社会保障を大胆に変えていくことが必要です。

日本において経済的困窮の撲滅とさまざまな場面で個人の尊厳をお互いに認めあう社会が実現することを願っています。

1)木村隆夫。秋葉原無差別殺傷事件, 加害者 K の育ちと犯罪過程の考察。日本福祉大学子ども発達学論集 第 6 号 2014 年 1 月

岡山大学大学院ヘルスシステム統合科学研究科教授松岡 順治
岡山大学大学院医学研究科卒業 米国留学を経て消化器外科、乳腺内分泌外科を専攻。2009年岡山大学大学院医歯薬学総合研究科、緩和医療学講座教授、第17回日本緩和医療学会学術大会長。現在岡山大学病院緩和支持医療科診療科長、岡山大学大学院保健学研究科教授 緩和医療、高齢者医療、介護、がん治療の分野で研究、臨床、教育を行っている。緩和医療を岡山県に広める野の花プロジェクトを主宰している。
岡山大学大学院医学研究科卒業 米国留学を経て消化器外科、乳腺内分泌外科を専攻。2009年岡山大学大学院医歯薬学総合研究科、緩和医療学講座教授、第17回日本緩和医療学会学術大会長。現在岡山大学病院緩和支持医療科診療科長、岡山大学大学院保健学研究科教授 緩和医療、高齢者医療、介護、がん治療の分野で研究、臨床、教育を行っている。緩和医療を岡山県に広める野の花プロジェクトを主宰している。
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