形だけのインクルーシブ教育・根深い意識を壊そう

最近インクルーシブ教育が盛んに言われるようになり、まだまだ重度障害者は少ないものの、軽度な知的障害や発達障害などの障害児はかなり多く一般学校で見かけるようになりました。私の子供の頃では考えられなかった事ですが、日本のインクルーシブ教育は世界とは少し違う方向に進んできたように思うので、今回はその事について書きます。

まずインクルーシブとは、「包括的な」「包み込む」という意味で、インクルーシブ教育の導入により、就学先決定の仕組みや、通常学級で障害のある子どもも学べる環境整備が進みました。これは以下の障害者権利条約の第7条の影響が大きかったと思います。

第七条 障害のある児童
1 締約国は、障害のある児童が他の児童との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を完全に享有することを確保するための全ての必要な措置をとる。
2 障害のある児童に関する全ての措置をとるに当たっては、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。
3 締約国は、障害のある児童が、自己に影響を及ぼす全ての事項について自由に自己の意見を表明する権利並びにこの権利を実現するための障害及び年齢に適した支援を提供される権利を有することを確保する。この場合において、障害のある児童の意見は、他の児童との平等を基礎として、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。

難しく書いてありますが障害の有無は関係なく平等に権利を与える事が書いてあり、本来なら希望をすればどんなに障害が重くても一般学校に通う権利があるはずです。しかし日本では特別支援学校を進められる事が多く、学校のバリアフリー化がされ難い現状があります。

私が学生時代、今から42年前はこんな考え方はなくて、障害児は養護学校(今の特別支援学校)へ通うしかありませんでした。と言うか、障害児の義務教育が始まったのは1979年で、私が小学校に入学する一年前だったので、健常者と違う養護学校へ通う違和感は子どもながらにあったけれど、同じ障害者同士助け合って仲間もでき、楽しい学生生活で今でも養護学校で良かったと思っています。
ただ、学校を卒業すると地域に友達がいないことに気が付くのです。
健常者は先生ぐらいしか話した事がないためバリアを感じ、友達はみんな障害者で遠くて会えないし孤独でした。私の時代にインクルーシブ教育で地域の学校に通っていたら、友達関係は難しそうだけど少なくても健常者にバリアを感じる事はないでしょうね。

障害者も子どものころから生き方の選択肢が増え自分らしい生き方が出来るようになり、つまり障害者、性別、国籍などすべての人がごちゃ混ぜに混ざり合い共に支えあう社会に加われるようになりました。社会をお好み焼きに例えるとこれからの障害者は自分の味(個性)を出す方が良いお好み焼きの材料になる、というのがインクルーシブ教育だと思うのですが、日本は違う方向へ向かっている気がします。

障害者権利条約では批准した国に教育でのインクルージョンを求めています。インクルージョンとは、障害のある人を「排除しない」という意味ですが、イタリアではフルインクルージョン政策がとられていて、社会や学校から排除されてきた障害のある人がこれ以上排除されないために法制度として実施しています。フルなのですべての障害のある人を受け入れており、特別支援学校も存在しますが、健常者も受け入れていて障害者と健常者との間に垣根のようなものはでき難くなっています。

一方日本では、昔から「障害者は障害者の学校」、「障害者は障害者の社会」というように障害者を一般社会とは切り離す考え方でしたが、今ようやく障害者でも一般学校に通え、共生社会の時代が来ました。

ただ、同じ学校に通う事が目的になって授業は分けられる事が多く、これで信頼できる友達ができるのでしょうか?まだ昔の養護学校の方が人間関係が豊かだった気がします。

それに今のインクルーシブ教育では障害が重度になるとまだまだ一般学校へは通えないし、昔は発達障害は分かり難く「少し変わった子」と思われるぐらいで同じように勉強していましたが、最近は医学の進歩により色んな障害がわかってきて、昔は健常者として同じクラスで学べたのに、今は障害者になり別クラスで学ぶ事が多くなったと感じます。それに放課後や休日も核家族化の影響もあり学童保育が増えましたが、障害児はあまり利用できずに、代わりに放課後デイサービスという、学校が終わると施設の人が迎えに来て夜まで預かってくれる福祉制度を利用する子が多いと思います。学校ではクラスが分けられて放課後も行き場が違う、けれどそれでも同じ学校に通うからインクルーシブ教育になるのでしょうが、昔の方が多様性があった気が私はします。

日本では障害者を一般社会とは切り離す考え方がまだまだ根深いと思います。だから障害者権利条約を批准するまで7年もかかったのではないでしょうか。今はまだ排除される人も多いインクルーシブ教育ですが、障害者を一般社会とは切り離すという考え方を無くしていきたいですね。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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