経済的困窮は怠惰の結果ではない。ベーシックインカムはみんなを幸せにするか?

コロナウイルス感染症により明らかになったことがいくつかあるようです。

経済的困窮は単に怠惰のためではない

コロナウイルス感染症のため社会活動を制限しなければならなくなったことから、多くの人々が経済的に困窮しました。働きたくても働けない状態があると、明らかに貧困が生まれます。従来「働かざるもの食うべからず、貧困は個人の責任である」という考え方がわたしたちを支配してきました。マーガレット・サッチャーはかつて貧困を「人格の欠陥」と呼び、貧困である原因を個人の勤勉の欠如に求めました。失業したのは「雇用されるための技能」を磨かなかった、あるいは全力を尽くさなかった失業者のせいだ、としたのです。しかし今回コロナ感染症が蔓延した事態で明らかになった事実は、個人が働きたくないことが原因で失業、経済的困窮に陥るだけではないということです。私たちが生きる現代社会においてもこのような事態が起こりうるということを示したと言えます。

実はこれと同じことが1830年代の英国でも起きていました。脱穀機の発明、言い換えれば労働環境の変化が起こったのです。従来は手で行っていた籾殻の選別が機械化されたため多くの職が奪われ、その結果、失業と貧困が蔓延したのです。当時の重商主義の英国では低賃金で働く労働力が必須であったため、貧困層、ワーキングプアの存在が必要でした。当時の作家、アーサー・ヤングは「愚かな人以外は、下層階級の人間を貧しくしておかなければならないことを知っている。貧しくなければ彼らは熱心に働かないだろう。」とまで書きました。低賃金の労働は、国の競争力を高め、輸出の増加を導くと信じられていて、いわば貧困の存在を労働の促進因子として捉えていたのです。

現在の我が国の指導者たちがこのような考えを持っているとは思いませんが、さて、現実に存在する貧困、経済的困窮はどのように解決するのでしょうか?

国は経済的困窮に如何に対応すべきか 福祉はいらない、直接お金を与えれば良い

資本主義を標榜する我が国は国民の困窮に対してどのような方策が取れるのでしょうか?その一つにベーシックインカムがあります。政府が国民に対して無条件で一定金額の現金を(持続して)支給する社会保障制度をベーシックインカムといいます。18世紀のトマス・ペインらが提唱して以来さまざまな国で実験的に行われていますが、未だその評価は定まっていません。しかしながら、唯一無二と信じられている資本主義に対する疑念や社会格差の増大の解決策として、ベーシックインカムは現在でも様々な国で模索されています。最近ではコロナの影響下でスペインが実験的に導入したと報道されました。

ベーシックインカムはすべての国民に十分な生活をするに足るだけのフリーマネーを「好意」としてではなく「権利」として与えるものです。月々の手当てをもらったからといって何かをする必要はありません。ベーシックインカムではその財源のために社会福祉政策が制限されます。例えば失業中のカウンセリング、技能講習などです。しかし必要な医療や福祉は提供されます。日本の福祉政策の中で大きな割合を占めている生活保護では受給資格審査、申請、許可、返還といった複雑な手続きを経なければならず、支援という名目の手続きのために社会福祉課の高賃金の人員が多数必要になります。手続きの複雑さ、保護を受けるマイナスのイメージのために生活保護を選択する率は低く、貧困レベル以下の収入で生活を続けるワーキングプアが1000万人を超えると言われています。生活保護を受ける人々は誇りと安心感を失い、社会から疎外された屈辱のなかに生活を送らなくてはなりません。そのような非効率的な福祉をやめフリーマネーを配ることが、最も効率的に貧困をなくす方法であると言われているのです。国の責務の一つとして貧困の撲滅があります(おしんの時代 -貧困児童と虐待の解決、未来の社会のための大胆な投資をご参照ください)。資本主義国家がさらに一歩成熟するためにはベーシックインカムこそが必要ではないかと考えられています。

フィンランドのベーシックインカム実験

そのような中で、2017年から2018年にかけてフィンランドでベーシックインカムの社会実験が行われました。その結果の一部が2020年になって報告されましたのでご紹介します。

2017年から2018年にかけて、2000人の25歳から58歳の失業者に何の制限もつけずに毎月560ユーロ(6万円程度)を支給しました。勤労による所得は本人の収入になります。生活の保障があると、従来は低賃金で働く意欲がわかないような仕事でも行うようになり、雇用者が増大すると考えられていました。なぜなら、仕事があることが幸せだからです。逆に、働かなくても暮らせるために失業者がかえって増えると主張する人々もいました。今回の実験の結果では、ベーシックインカムで働く人が大幅に増えるということはありませんでした。雇用への影響は少なかったということです。

Well being は身体的、社会的、精神的に良好な状態、完全な状態のことを言い「幸福」と訳されることも多いのですが、同じくフィンランドの社会実験でベーシックインカムの「幸福」に及ぼす影響がアンケートで調査されました。その結果、ベーシックインカムは自分たちを良い状態、幸せであると感じさせる効果がありました。 ベーシックインカムがあると人生に満足し、精神的ストレス、鬱、悲しみ、孤独感などを感じることが少ないのです。さらに、詳細なメカニズムは不明ですが、ベーシックインカムでは認知機能つまり、記憶や学習そして集中する能力が高まることが明らかとなりました。また、収入や経済的な面で満足している割合も高かったのです。

このようにベーシックインカムでは労働を増やす効果はなかったものの、精神的ストレスが減少し、「幸福」度が増すことが明らかになったのです。

この実験については様々な論議があります。支給を失業者にのみ行ったことに対して、「働く」という概念が従来の「職」というものにとどまっているという批判があります。本来のベーシックインカムにおける「働き」の増加は社会活動における「お金を儲ける」活動より広く、芸術、ボランティア、育児、社会活動などの活動の増加を期待するものでした。今回の「失業」が減り「雇用者」が増えるというアウトカム評価ではベーシックインカムの本来の目的の働き方の増加の評価ができなかったのです。ケインズは、人々が経済的な必要性から解放されて自由にアンペイドワークに従事できるようになると、貪欲や金銭欲などから解放される社会ができると予言しました。この実験ではこの予言は明らかにならなかったのです。

強く認識された非効率な日本社会

わが国ではコロナウイルス感染拡大にともなう経済対策として、国民一人当たり10万円を支給することになりました。このやり方はベーシックインカムと同じ考え方です。できれば単回だけでなく2回3回と支給すべきです。当初は減収の影響を受けた一部の住民のみに30万円を支給するということでした。しかしリチャード・ティトマスが「貧しい人だけのための政策は貧しい政策だ」と言うように、所得制限をつけ30万円を支給することは国民を分断し、不満を鬱積させることになりかねません。さらに厖大な事務処理が予算をさらに増大させ、支給も遅れます。

そこでマイナンバーカードの出番となったわけですが、普及率が2割に満たず、さらに銀行口座に紐付いていないという事態が明らかになりました。その上、戸籍制度にもとづく世帯主に一括して支給ということになってしまいました。マイナンバーは個人に割り振られたものですから個人ごとに支給するのが当然です。子ども手当の際に虐待する親、DVの親などの支給先が問題となりましたが、いつか来た道、また同じことを繰り返しています。国民背番号制からこの方、幾たびも繰り返された個人情報保護の亡霊を見たような気がします。進歩したデジタルの世界に住んでいると思っていた日本国民は、役場の人がオンラインで申請したものを紙に印刷して、土日返上で指をなめなめ一枚一枚目でチェックする事態に驚愕しています。中国、韓国のように情報を管理されるのが良いかと言われると少し躊躇しますが、一定の規制のもとでのマイナンバーと銀行口座管理が必要と考えられます(あなたはアーミッシュになれますか?参照)。

AIで労働が変化する

AIの発達は、今ある多くの職業を不必要なものにしていく可能性があります。今回のような感染症のように、AIによる社会変革は働きたくても働けない人、労働の必要のない人を増加させます。あたかも19世紀の機械革命下のイギリスのように。しかもその破壊力は機械革命の比ではないでしょう。その時に私たちはどうすれば良いのでしょうか?国はどのような政策を打てば良いのでしょうか?ユヴァル・ノア・ハラリは「21世紀の人類のための21の思考」で、AIの発達は単にコンピューターが早く賢くなるだけではなく、全世界で何十億という人を雇用市場から排除して「無用者階級」を生み出すと述べています。これらの「無用者階級」は従来の「職」の概念とは異なる働き方をすべきでしょう。そのためにはベーシックインカムが求められるのではないでしょうか。

国は国民に幸せをもたらすために存在します。みなさんは特別定額給付金を申請しましたか?もらった時にどのように感じられましたか?生活に変化がありましたか?今回の特別定額給付金が私たちに、生活の態度や心の持ち方、仕事への考え方に、どのような影響を及ぼすのか大変興味のあるところです。

岡山大学大学院ヘルスシステム統合科学研究科教授松岡 順治
岡山大学大学院医学研究科卒業 米国留学を経て消化器外科、乳腺内分泌外科を専攻。2009年岡山大学大学院医歯薬学総合研究科、緩和医療学講座教授、第17回日本緩和医療学会学術大会長。現在岡山大学病院緩和支持医療科診療科長、岡山大学大学院保健学研究科教授 緩和医療、高齢者医療、介護、がん治療の分野で研究、臨床、教育を行っている。緩和医療を岡山県に広める野の花プロジェクトを主宰している。
岡山大学大学院医学研究科卒業 米国留学を経て消化器外科、乳腺内分泌外科を専攻。2009年岡山大学大学院医歯薬学総合研究科、緩和医療学講座教授、第17回日本緩和医療学会学術大会長。現在岡山大学病院緩和支持医療科診療科長、岡山大学大学院保健学研究科教授 緩和医療、高齢者医療、介護、がん治療の分野で研究、臨床、教育を行っている。緩和医療を岡山県に広める野の花プロジェクトを主宰している。
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