インクルーシブ社会の実現を目指して-届かぬ声を社会へ

前回は自立生活センター(CIL)が障害者の自立には欠かせないという事を書きましたが、今回は私が二カ月いた入所施設から出るときにCILの事業所が行政と交渉してくれた話や、DPI日本会議の活動を通じて障害当事者の声が福祉政策に反映され、共生社会へと日本も動き出してきた事を紹介します。

まずは6年前に私の母が入院したために、入所施設に二カ月いたときの話です。当時は重度障害者は家族が介助出来なくなると入所施設に行く事が当たり前と考える人が多く、重度障害者自身も家族や社会に迷惑をかけたくない思いから、自ら進んで入所施設に行くことも多くありました。しかし、本当は家族や友人の元で暮らしたいと誰もが考えると思います。

私は重度障害者ですが、幸いに以前紹介した自立生活体験室を利用したことで、入所施設でなくとも重度訪問介護制度を使って在宅で暮らせる事が分かっていたので、CIL日本(JILといいます)の事業所二箇所に頼んで、入所施設を出て家で暮らす準備を始めました。何より、入所施設に二カ月いるとまず春夏秋冬が分からなくなってくるし、母の様子も気になったためです。

JILの事業所は障害当事者が運営に関わっています。一つのJILの事業所は脳性麻痺の方で重度訪問介護のヘルパーさんに連れてきてもらい、もう一つのJILの事業所からは足に障害があるけど歩ける小太りな人が来て、私と三人で施設から出る計画を立てました。

まず重度訪問介護のヘルパーさんの確保が難しいのですが、幸いうまくいき、さあ家に帰れると思ったら、田舎に住んでいたので重度訪問介護制度を利用するのが市では初めてだったため認めらないという事態になりました。JILの事業所の人たちが役所に何度も交渉に通ってくれて、一カ月のうち15日だけ重度訪問介護制度を利用し家で暮らして、後は施設で暮らすなら認めると言われました。

2014年の当時は日本が障害者権利条約を批准した翌年で、本来なら障害者がどこで暮らそうが行政は必要な福祉サービスを提供すると条約には明記されており、半分は施設に行かないと在宅を認めないという話は今なら違法に近いと思います。しかし、障害者権利条約がまだまだ知られていないころだったこともあり、その時は、月の半分だけ家で暮らし後は施設で、という生活がしばらく続きました。今は母も元気で重度訪問介護制度を使わずに在宅で暮らしています。

障害当事者は福祉制度を知る機会に乏しく、特に施設入所すると情報が全く入ってこないので、地域移行がなかなか進まない現状があります。これからはJILの事業所の情報を障害当事者に、また、障害当事者の声を行政へと届ける力が必要です。障害者は迷惑をかけるから施設に行くという時代は終わり、一人の人間として社会の中で役割を持ちながら生きる時代になった事を、福祉制度を知る機会が乏しい人に伝える事が大事です。

もう一つ、DPI日本会議の活動を通じて障害当事者の声が福祉政策に反映されてきた事を紹介します。

DPIは1981年の国際障害者年を機に、シンガポールで国際障害者運動のネットワークとして結成されました。現在 130カ国以上が加盟し、世界6ブロックに分かれ、障害のある人の権利の保護と社会参加の機会平等を目的に活動をしている国際NGOです。国連のECOSOC(経済社会理事会)に特別諮問資格をもち、障害者権利条約の策定にも携わって障害者差別解消法には障害当事者の思いを行政に届けてくれました。

障害当事者もDPI日本会議の活動を知る人はわずかですが、日本の福祉政策に障害当事者の思いを反映させ、中でも2020年度成立の改正バリアフリー法には大きな影響を与えました。また、2021年5月には合理的配慮を民間事業主に義務付ける改正障害者差別解消法が成立しました。今までは合理的配慮は民間事業者には努力義務でしたが、改正により義務として配慮提供が求められることになったのです。私は社会に障害当事者の思いを反映させ徐々に実を結んで来たDPI日本会議を知ってほしいです。

以前書いた『インクルーシブ社会の実現を目指して-知られざる障害者自立支援センター(CIL)』では、アメリカの障害者自立生活運動(IL運動)を取り上げましたが、弱い立場の人の声を社会に反映できるかどうかで誰もが暮らしやすい社会へと変わっていくと思うので、そのためにもIL運動やDPI日本会議の活動は必要だと思います。

21世紀に入り、ユニバーサルデザイン(UD)社会、つまり、すべての人、男女、年齢、障害の有無、宗教、国籍、人種など関係なく誰もが暮らしやすい社会に、という考え方が日本でも広まってきました。

私はユニバーサルデザインアドバイザーの資格をとり、多少UDを広める活動に関わっていますが、UDだとすべての人が幸福になれるので違和感なく活動できるけれど、DPI日本会議の活動やIL運動に関しては、障害当事者自身のためという側面も強く、社会にとっては必要な事とは言え複雑な思いもあります。

でも、私が幼いころは学校へも通えずに家族の中だけしか生きれなかった日本の重度障害者ですが、ちょうど私が小学校に入学する1年前に重度障害者の義務教育が始まり、同時に養護学校に通う事が出来るようになり、今はまだまだ不十分とは言えインクルーシブ教育で障害の有無は関係なく一般学校に通える時代になり、徐々にですがUD社会に近づきつつあります。ここまで変わって来たのは、重度障害者が声を上げてそれを社会に反映させるIL運動やDPI日本会議のような団体があったからだという事を障害当事者としては忘れたくないですね。

多数派の意見が尊重される社会と、届かぬ声を救い上げる社会と、どちらが幸福でしょうか?インクルーシブの社会では障害者が役割を持って社会に出る事が大事で、それがみんなの幸福に繋がってゆくと思います。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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