インクルーシブ社会の実現を目指して-障害者自立への支援

前回、自立生活センター(CIL)の成り立ちを書きましたが今回は自立生活センターのシステムを私の体験を踏まえて紹介します。

自立生活センターは運動体であり事業体である歴史上初めての組織で、障害者に総合的なサービスを提供します。運営委員の過半数と事業実施責任者が障害者である、という障害者のニーズが運営の基本となるようなシステムを持っています。

これまで障害者は、自立という名の下に、健常者に出来るだけ近づくことを一生の目的として科されてきました。例えば衣服の着脱に2時間かけても他人の手を借りずにすることが評価されましたが、自立生活運動の思想においては、介助を受けることは恥ずかしいことでも主体性を損なうものでもなく、自ら選択し、決定することが重要であることが高らかに宣言されています。

つまり、どんなに重い障害があっても、自分の人生において、自らの意志と責任によって選択し、決定することを最大限尊重されること、親の庇護の下や施設での生活という不自由な形ではなく、人としてごく当たり前のことが当たり前にでき、その人が望む場所で、望むサービスを受け、普通の人生を暮らしていく権利を認めるということです。

自立生活センターの自立支援

自立生活とは、自らの意志と責任によって自分の人生をコントロールすること。そのためには自分自身の考えや力が必要になります。自立支援とは、本人自身の力をつける(エンパワーメント)ための支援です。また、自立生活センターは地域で自立生活するために必要な福祉制度など様々な情報を提供しています。

自らの意志と責任によって選択し、決定するためには、どんな選択肢が有り、それぞれの選択肢の良い面、悪い面を知らされなければなりません。情報が無ければ選択しようもなく決定もできません。しかし、障害者はいつも子供扱いされ、情報を提供されるべき一人の人格として見られてきませんでした。最優先に情報提供されるべきは、親でも回りの関係者でもなく障害者本人に他なりません。

もちろん、親や回りの関係者にも十分に情報を提供し、話し合い、理解と協力を求めることも忘れてはなりません。

具体的には、自立生活センターは次のような支援を行っています。

ピアカウンセリング(仲間支援)とロールモデル

ピアカウンセリングは、自立生活の経験を積み重ねてきた障害当事者がピアカウンセラーとして障害者の自立支援にあたることです。同じ障害を持つ当事者だからこそ、仲間(ピア)として対等に障害者の側に立つことができます。また、自立生活のロールモデル(手本)となることで障害者への力づけを行うことが出来ます。

施設や親元で長く暮らしてきた障害者は、情報と経験がないために自分に何が出来るのか、自分にも自立生活が可能かなどについて、何ら自信を持てるようになるきっかけがありません。重度の障害者は得てして、自分が最重度で何の希望もないように思い込んでいます。こんなとき、自分と同じか又は自分より重度の障害者が地域で自信にあふれて生き生きと自立生活している姿を見ると、大きなショックを感じると共に、生きる希望を見出すことになります。これは専門家や健常者がいくら言ってもどうしようもないことで、一目見ること以外解決を見ないことです。

さらに、同じ地域に住み一生涯にわたり同じ障害当事者として支援してくれる仲間が存在するというのは大きな安心感になります。

自立生活プログラム

自立生活プログラムは、施設や親元の閉鎖的な場所で暮らしてきた障害者が社会の中で自立生活をしていく時に必要な、対人関係、交通の利用、健康管理、金銭管理、家事、危機管理など具体的な生活技術を先輩の障害者等から学ぶ場です。

●講座プログラム
入門編として、障害者約10名を対象に10回程度の連続講座を開催します。
●個別プログラム
障害者一人一人に具体的目標を立てトレーニングします。自立生活体験室を利用した家事、宿泊体験もあります。

権利擁護

生活の様々な場面で障害者への権利侵害が行なわれています。例えば、駅や公共施設の段差などバリア、アパートの入居拒否、施設での個人の行動の自由やプライバシーの侵害、行政窓口での職員の対応の悪さ、手当・制度に関わる不備や不当な扱い等。

これらの権利侵害に対して、交渉や改善の提案を行います。

このCILのシステムの中のピアカウンセラーと自立生活体験室について私の経験を書きます。ピアカウンセラー養成講座には12年前から4年連続で参加しました。簡単に説明すると、私の住む三重県だと参加費は(当時は)無料で、ピアカウンセラーが地域で自立生活するために必要な福祉制度など様々な情報を提供したり、自立生活の経験を積み重ねてきた障害当事者がピアカウンセラーとして障害者の自立支援にあたる事で障害当事者しかわからない悩みを話し合ったりします。

一番覚えている事は、障害当事者同士が悩みを話し合った際に、障害は個性ととらえ前向きに考えようというような話になったことでした。私はもともと前向きな考えを持っているほうでしたが、気持ちが楽になったのを覚えています。障害者は「障害は個性ととらえる」というこの言葉に弱いので、影響を受けすぎないようにしようと思って話を聞いていましたが、考え方は素晴らしかったと思います。

それと印象深かった講師がいて、その方は私と同じ脳性麻痺の重度障害者で食事もトイレも介助が必要で言語障害もありながら大阪でアパートを借りていました。重度訪問介護制度を利用して一人暮らしをされていましたが、講座のためにヘルパーさんと近鉄特急で大阪から三重県まで講師として来てくれたのです。私も言語障害があるのでどうやって話をするのか興味深かったため講座に参加すると、慣れたヘルパーさんが通訳して自分の思いを講座の参加者に伝えていました。

私は言語障害があると講師は無理だと思い込んでいましたが、この講座の後に三重県の福祉関係の職員の研修の講師をやる機会があり、引き受けました。もし講座に参加してなかったらやらなかったと思うし、こんな記事も書いてなかったです。

自分とよく似た障害を持った人の話を聞くと人生を変える事があり、障害者の自立には欠かせないピアカウンセラー養成講座ですが、9年前から三重県では予算が出なくなり実施出来なくなりました。

自立生活体験室も13年前から35回利用しています。一室で24時間ヘルパーがいて(4年前まで三重県の予算で一日500円で利用でき、現在は費用をCILの事業所が負担して継続中)一泊二日で自立生活の練習をする場で、自己決定・自己責任・自己選択をしながら自立という体験を通じて社会との関わりや施設に頼らずに暮らすという生き方の選択肢を示してくれました。

三重県の自立生活体験室は形はどうであれ自らが決めた生き方をする事が目的ですが、あるCILの自立生活体験室では「トイレに連れて行って」と言うとトイレに放っておかれて介助の指示がないと何もしてくれないと聞きます。これは自己決定・自己責任・自己選択を理解するための自立生活の練習なのでしょうか?

私はこのようなヘルパーとの関係性では自立生活は出来ないと思います。昔の障害者の自立は、親元を離れ施設には頼らずにヘルパーの力を借りながら一人で暮らす事が障害者自立で、これに当てはめようとするCILの事業所もあり、今は障害者権利条約もできて、多様な生き方・障害者自立が出来る時代になったことで、設立されて半世紀経ったCILも変わり目に来たと感じています。

CILも都道府県によって極端に違い、ピアカウンセラー養成講座や自立生活体験室に予算を出す都道府県もあれば出さない都道府県もあります。CILが活発に活動している地域ほど障害当事者の思いが反映され福祉が進んでいるので、障害者自立生活センターCILを知ってほしいです。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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