すべての人間は死に至る。これを免れる方法はない。今まで死亡した人間の数は、はたして何十億人、いや無数の人だったのだろう(物理学者リチャード・ゴッドは、ホモサピエンスの累積数を700億から1000億人と推測し、近年では毎年1億3000から1億5000万人が生まれていると述べている)。著名な経済学者のジョン・メイナード・ケインズも「長期的には、われわれみんな死んでいる」との有名な言葉を残している。世界全体から見ると、人間の生死はとんでもない数であり、個人1人は、全体の数億分の1に過ぎない、取るに足らない数である。ブッダの言う通り、すべての世界は「無常」であり、それが人間の「苦」を招いている。人の死は必然であるが、死に伴う現象は悲しい事が多い。地球上に今まで発生した生と死のドラマを考えると、無常観は限りなく広がる。
人間は自分の人生に意味をもたせることを重視するが、人生に対して十分な意味をもたせるのは、不可能であることは間違いない。論理的にそれを説明しようと理屈をつける事はできるが、直感的、感覚的に考えると死が必然である限り、人生を生きる意味を探すことは出来ないと感じることだろう。人生の意味は、一般的には存在しないのだ。人生には普遍的な意味はなく、出来るとすれば、「内在的」に自分で作り上げ、価値を下すのみである。
探検家であり作家の角幡唯介氏は次のように言っている。「内在とは1人の人間が自立するダイナミズムと考えている。己の内側から湧き上がるものに従って生きることで、人の人生は固有なものになる。(中略)内在を経なければ人生は外部の価値観を生きるだけになってしまう。探検は自分には内在的な意味があるが、社会には無意味でしかない。内在的意味を重視することは、すべての行動は社会の役に立つと言う、生産性重視に傾く社会への批判になるのではないか。」これは、帰国後取材に来た若い記者から、今どきよく述べられるように、探検がどのように社会の役に立っているのかと問われ、驚いたことへの感想だ。探検とはシステムの外側に出る行為で、ある意味社会や時代の価値観の否定である。
最近よく、「自分が何かを行う(スポーツや演芸など)ことによって、多くの人に勇気を与えられれば良い」とのコメントを聞く。誰もが考えると分かることだが、競技を行う人は、目標を達成するために自分が練習して苦労した結果が、達成感につながる喜びを感じているのであり、多くの人に対して希望を与えることを目的としているのではない。他者のために行うとすれば、誰も見ていないスポーツは無意味になってしまう。何事も外部から与えられる価値を考えて行うのでなく、内在的に自分自身での価値を見出す必要があるということだ(ただしスポーツを見て内在的に勇気を持つ人がいれば、当人には意義はある)。
外部からの働きかけや要請に影響を受けて生きる場合も(大部分の人がそうだろう)、ある程度それを自分のものとしている場合は、人生を内在的なものに変えているのだ。例えば、世の中のためになると考えて、あるいは、今困っている人のことを考えた行動は、自分の中で、内在的に発しているのか、あるいは、みんなの称賛を求め、世間の流れに従って行っているものなのかを判断しづらいが、その行動が最初の動機はともかくとして、自分の内在的動機に基づいていれば、行う意味は出てくる。その反対に、多くの自分の行動が他人からの影響や、横並びの意識によって行われているとすれば、人生はなんと意味のない浪費になるだろうか。
行動を起こす欲求は、たとえそれが他からの働きかけによってであっても、自分自身の内在的な思いによって、行うべきである。狩猟採集時代では、自然環境との関わり合いが生きるための大きな比重を占めていたが、現代では、自然の環境からの直接的影響が行動する動機になることが少ない。むしろ、現代は人と人の関係が、行動の多くの要因となっている。それに加え、科学的知識によって判断されることは、それが人間の自然な欲求でなくても、従うよう促されることも多い(熱中症の予防のために、運動を控えるなどの忠告)。他からの影響によって行動するだけのロボット人間であれば、果たして無常観を克服することが出来るのだろうか。あるいは、人生の意味を考えず、無常をもはや感じない機械人間が増えているのだろうか。
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