哲学とは、普通の人が問題にしない事柄を取り上げ、それを変形させ、混ぜ返し、変な理屈をつけて人を煙に巻くことであり、なんら生産性が無いと考えている人が多い。これらは、「形而上学」と呼ばれている。近世の哲学者は、自分のやっていることは「形而上学」ではないと強調している。だから、「人生の意味を見つけようとすること」のような、まさしく哲学的な標題のこの小論も「形而上学」に陥らないように書くので、敬遠せずに最後まで読み進めていただきたい。
昔の人間は自然に対して無力であった。自然は人間に対して不条理に振る舞い、自然現象(そして災害)は、納得出来ないことが多かった。そこで人々は、人間の力が及ばず、どうしようもないことには、それ以上考えることをやめて、不条理なことは、「神のなせる業」とした。そして、人間は神が定めた規則によって生活する存在となった。時には、掟を破り、自由に発想する者もいたが、社会の大勢は、自然の掟つまり、神の掟に従って生活を送るようになったのである。
神は、物事の本質を定めている。例えば、人間とはどのようなものか、世界はどのようになっているのか、家族とはいかなるものか、などについてそれらの本質を聖書やコーランなどで説明している。そして、本質から導かれる戒律として、人を殺してはいけない、盗みをしてはいけない、姦淫するなかれ、などの規則が導かれている。物事には神の決めた本質があり、そこから導かれる規則も人間には理解出来ないことも多いのだ。しかし、ひたすら神を信じることが出来れば、次第に本質を理解できるだろうと教えられる。しかし、そうは言っても本質を理解することはなかなか難しい。例えば、ギリシャの哲学者プラトンは、すべての物には本質があり、それを「イデア」と呼んでいるが、イデアとは、物それ自体としての存在、すなわち、もろもろの感覚的存在を超越した、本質的な性質であるとされる。イデアは多分に神が提供するものに近い。この状態は2000年続いたが、近世になって神に対する疑問が生じ、ニーチェにより、「神が殺された」※のちに、その後釜には当然のことながら科学が座ることになったのである。
※ニーチェ;『ツァラトゥストラはかく語りき』『悦ばしき知識』
現代では、科学は宗教信仰と同じである。とは言っても、自然現象についての科学的説明は本質を明らかに出来ることが多い。かつて、よく分からないまま慣習によって行っていた行為も、科学的な説明があるとその地位を失う。例えば、地震、雷、火事などの災害は、「神のなせる業」と考えられたが、雷、火事はそのメカニズムがほとんど科学的に解明され、その本質が明らかになった。しかし、科学(あるいは巷に出回る科学的説明)は時として先走りし、さも科学的解明によってその本質が明らかになったかのように宣伝される場合もある。例えば、地震の予知は実際には不可能にもかかわらず、予知が可能であるかのように言われることもある。しかし、自然科学の分野では、現象の本質が明らかになる場合が多いのは確かだ。その影響で、人間生活(社会科学や人文科学の領域)でも本質を見つけようとする試みがなされてきた。
「自分探し」が流行った時期があった。しかし、「自分探し」をいくら行っても、当然ながら「自分」を見つけることが出来ずに絶望する場合が多い。「自分探し」は人生の意味を見つけようとする努力である。「自分探し」を行うと多くの場合、見つかったと思ったその後に、それが幻であることに気づくであろう。
「実存は本質に先行する」との言葉を述べたのは、フランスの哲学者のジャン・ポール・サルトルである。「実存」とは、いま人間が存在しているあり様である。例えば、自分は営業職であり、年収500万円、家庭には妻と2人の子供が居ておおむね幸せに暮らしている状態が「実存」である。現在の状態をしっかりと踏まえ、生きていくことが「実存」なのである。人間とは何か? などの問いかけは、人間の本質に対してのものであるが、サルトルによると、そのような問いかけは意味がない(まさしくそれは形而上学である)。
性善説や性悪説などを議論することも全く意味が無いのだ。なぜなら、人間の性質などは、今、生活している環境によってどうにでも変化するからである。人間が遺伝子からの受け継いだ性質があったとしても、人間は行動によってそれを(遺伝的性質を)無効にも出来るのだ。
人生の意味を見つけようとする努力は、現実のあり様を無視して、自分が描く、現実から遊離した想像を求めているに過ぎない。仮に想像した自分の姿、例えば、自分にはもっと能力があるから、この場所で仕事をすべきでない、自分に向いた仕事がきっと他にある、現在の環境は自分に向いていない、自分は運が無いからこの様になっているのだ、などの本質探しは無意味なのである。自分の想像する本質的状態がどの様なものにしろ、現在の状態から始めるしかないのだ。その状態を深く認識しなければ、現状から遊離して想像上の状態を憧れるしかない。
この様な現実を認識することと同じように、全く反対の考えとして、現実は無視する対象にもなる。なぜなら、現実は必ずしも個人に適合したものではなく、その時代に合ったものでもないからだ(いまだ神や古くからの慣習によることも多い)。現実の状態から飛躍するためには、それなりの努力と能力が必要であるが、現実からの飛躍であっても、その飛躍が可能かどうかは、やってみないと分からない。成功すればよいけど失敗することもある。
ルールに基づき行動することや一般常識、世間の慣習に従うことは、すべてAIで行えるだろう。従って、「実存は本質に先行する」とは、人間の本質はあらかじめ決まっているのでなく、自らの努力で変え得ることなのである。サルトルの生涯のパートナーであり、哲学者でもあったシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、以下のような象徴的言葉を残している。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と。
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