かつての移動の少ない社会では、人々は生まれた土地に拘束されていた。地域の狭い社会では、生きるための知恵と、不可解な慣習とが融合して、その土地特有の決まりを形作っていた。人々は、生まれて以来、その地方独特の風習に縛られて生きていたのである。自由を求める人がいたとして、その土地から脱出できたとしても、行き着いた場所で同じ様な風習が支配していた。結果的に、生まれた土地からの脱出は難しかったし、脱出しても成果は乏しかった。そもそも大部分の人々は、生まれた土地からの脱出など考えもしなかった。人々は不合理を感じても、地域に縛られて生きていくしか方法がなかったのである。日本においても、その他世界のほとんどの地域でも。
しかし、その反面、地域社会が階層的で固定化されている場合、自分の内面は、ほぼ社会に同化し、他の人との食い違いを感じることも少なかった。自分は何者か?と悩むこともなかったのだ。先祖から行っている仕事を踏襲することが自分の役割であり、親と同じ様に地域で暮らし、そこで死んでいく。社会が求める自己(役割)と、自分が考える自己とはほぼ一致していた。
固定化した社会
世の中が変化し、産業が興り、交易が活発になると、物や人の移動が激しくなる。近世の人々は自分たちの社会とは別の世界があることを知った。都市では種種雑多な人たちが集まり、階級や出自にとらわれない自由な社会が出現していたのである。社会の規律と自分の内面とが同調している固定的、階級的な世界から、社会の価値基準が多様な自由な世界が登場すると、人々は今まで当然と思っていた自分の内面(固定化された社会と同調する)と、新たな社会の規律とが食い違うことに気づいた。一律の規律ではなく、多種多様のルールがあり、どのルールを選ぶかは、個人が決めてよいのだ。しかし、社会の規律に自動的に合わせて生活していた地域社会とは違って、何もしなければ、自分がどのルールに合うかは分からない。個人が自分にあったルールを探す必要がある。社会が一律の規律を失い個人が自由になると、かえって多様なルールは、個人にとって社会からの疎外感や葛藤を生む。自由は好ましいが、そうかと言って自分の内面を考え、合ったルールを見つけることは大きなストレスを生じることになる。
フランシス・フクヤマは、近著「IDENTITY(アイデンティティ)」の中で、人々の承認を求める戦いを次のように述べている。
「(近代の)アイデンティティ概念の土台となったのが、自分の内面と外面が異なるという考えである。一人ひとりの内面に真のアイデンティティ、本物のアイデンティティが隠されていて、これは周囲の社会から与えられた役割とは異なると考えられるようになったのだ。(中略)ここから、本当の自分は何者なのかと言う問いへの強いこだわりが生まれる。この問いへの答えを探し求める道は、疎外感と不安にさいなまれる。この疎外感と不安は、内なる自己(たとえそれが社会に順応させたものでも)を自分が受け入れ、あるいは、それが公に承認されることでようやく解消される。」
流動化した社会
承認を巡る戦いは、アイデンティティについての2つの側面を見る必要がある。まず、内なる自己(自分が考える本来の自己)、もう一つは周囲の社会が求める役割にあった自己である。この2つのアイデンティティが異なることに問題が生じる。例えば、自分を表現することは少し苦手だが、知識は十分だし、経験もあると感じるのが自分で思っている「本来の自己」であり、しかし、会社では積極的な表現を求められ、評価が高くない。つまり、「社会が求める役割」との食い違いに悩む。解決策は各個人が感じている内なる自己、つまり、自分が思っている「本来の自己」と、社会的に評価されているであろうと感じる「社会が求める役割」の間にある隔たりを埋めることだ。
食い違いを一致させる為には、「社会が求める役割」が変わるか、内なる自己、つまり、「本来の自己」を変えるかなのであるが、現実には「本来の自己」を妥協させ、「社会が求める役割」に合わせる、「社会に適応させた仮の自己」を取るしかない。内なる自己と社会的自己との間に食い違いが生じると、自分が考える「本来の自己」を「社会が求める役割」に合わせる人、あるいは、「社会が求める役割」を受け入れず、苦悩を持ったまま経過する人、また、「社会が求める役割」を受け入れず、自己の内部にこもり精神的向上へと向かう(本来の自己を見つける)人、いろいろの生き方があるだろう。特に、社会的承認(社会が求める役割)が極端に低い場合、例えば、身体障害者、精神障害者、外国人、高齢者、低所得者などは、適切な社会が求める役割を得られないので、自己を社会が与えた低水準の承認に合わせるしかないと考える場合もある。
現在の日本の根源的な問題も、このようなアイデンティティの考え方で部分的には説明できる。他の西欧諸国と違い、近代の日本では、社会に出ていく青年たちが、多様な定まらないアイデンティティの世界に投げ出されるのでなく、新卒一括採用から、終身雇用に至る、かつての地域社会と同じような固定的、企業内アイデンティティの世界で暮らすことを許容した。そこには、アイデンティをめぐる葛藤は少なく、その反対に変化や革新もあまり生まれない。会社が求める役割を従順に演じていけばよいのだ。かつての移動が少ない社会と同じである。しかし、近年、企業人は不本意にも、企業内アイデンティティの世界に留まることを否認され、積極的に社会の多様なルールのもとで生きていくことを強いられる傾向になっている。特に、中高年以上でのアイデンティティをめぐる葛藤(会社の庇護なしに社会のルールにさらされること)は、生きていくことに大きなストレスを生じさせる。
承認欲求は、現代では最も重要な欲求である。社会的承認が低い人達の場合、社会保障によって、たとえ生理的欲求の満足(食べ物や住む家の充足)や安全欲求を国が満たしても、承認欲求が満たされない限り、大きな問題が残る。承認欲求に焦点を当てて、政策をすすめる必要があるだろう。
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