私は三重県亀山市在住の重度障害者です。「UD夢ネット亀山」という団体を立ち上げ、亀山市内の学校の授業などでユニバーサルデザインの啓発活動をしています。なぜ障害者運動はしないでユニバーサルデザインを啓発するのか?理由を書くので日本の福祉についての考え方が変わってきたと伝われば嬉しいです。
ユニバーサルデザインとは、「ユニバーサル=普遍的な・全体の」という言葉が示しているように、「すべての人のためのデザイン」を意味し、年齢や国籍、障害の有無などに関わらず、最初から多くの人が利用可能であるようにデザインすることをいいます。
これに社会をつけて「ユニバーサルデザイン社会=すべての人が活躍できる多様性がある社会」を目指して活動をしていますが、日本はこの考え方にたどり着くまで長い道のりがありました。
私は1974年生まれです。その頃の障害者の暮らしについては以前、「重度障害者を取り巻く環境 ~1970年代から」という投稿をしました。当時の重度障害者は、家族が世話をするのが当たり前の時代でした。そんな中、重度障害者が社会に出るために「青い芝の会」の運動がありました。私は映像でしか見ていませんが、車椅子利用者がバスに乗車拒否されていたことからバスに乗れない障害者が集まってバスジャックに近いことをしていました。当時は生きるか死ぬか。それぐらい障害者が社会に出るのが難しい時代でした。さらに、入所できる施設もなく、養護学校も三重県に1校でした。今は不足気味とはいえ緊急でも施設に入れるし、特別支援学校は三重県に10校以上できました。当時は、のたれ死なないよう、施設や学校を求める障害者が多い中で、この青い芝の会の運動が障害者も社会へという考えを持つきっかけになりました。
その後、国連が1975年に障害者権利宣言を出して、障害者が等しく人間としての尊厳を尊重され、平等の権利を有し、社会への完全参加と実質的平等とを確保されるべき旨定めました。
一方、日本は1996年まで優生保護法やらい予防法が存続していました。精神障害者や知的障害者に対して子供を産めなくするために中絶手術をしたり、ハンセン病患者に対して感染力がかなり弱いとわかりながら、強制隔離して離島へと連れて行ったりしました。弱い者や変わった者は社会から排除される時代でした。障害者は一般社会とは切り離して障害者だけの世界で暮らせばいいという考え方でした。
産業革命の国イギリスでも1970年ごろまで障害は悪いとされ、生産性がないから施設へという考え方がありました。しかし、医学や科学技術が進歩し、コンピューターなどが地域で暮らす障害者の手助けをしてくれるようになりました。2006年に障害者権利条約もできて、世界の障害者は地域で暮らす方向に向かっていますが、日本はどうでしょうか?
日本において、「障害者は地域で暮らす」という考え方ができたのは、障害者権利条約ができてから、批准するまで日本は障害者に対して平等に社会の中で暮らせるように配慮する法律が無く、7年後に法律を作る過程でようやく障害者は地域で暮らすという考え方が言われました。国際的に後れをとったために、障害当事者も健常者も人の心は簡単には変わりません。
いくら科学の進歩で障害をカバーする用具や、色んな障害者が社会で活躍できる制度ができても、「障害者は一般社会とは切り離して障害者だけの世界で暮らせばいい」と考える人が多いと意味がありません。だから、ユニバーサルデザインを子どもに伝える団体を4年前に立ち上げました。しかしちょうどコロナと重なり、やっと去年ぐらいから動けるようになりました。私は言語障害があるため、最初は、みんな私の言うことが聞き取れなくて、「何もできない」と思っているけれど、徐々に聞き取れるようになっています。こんな色んな障害当事者に出会う経験が、将来ユニバーサルデザイン社会に関わるきっかけになってくれると嬉しいです。そして、ユニバーサルデザインという考え方が出てくる道のりを知って障害者に対しての考え方を変えるきっかけになればと思います。
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