医療業界の「幽霊」問題その後―動き出した働き方改革―

2023年11月28日に「医療業界の2つの『幽霊』問題」と題して「医師の働き方改革」について思うところを書かせていただきました。そして、2024年4月から「医師の働き方改革」が動き始めています。

この「医師の働き方改革」ですが、今年に入ってしばらくは、メディアも取り上げて話題になっていたように感じていましたが、最近はあまり話題にならなくなっているように思えています。むしろ、「働き方改革2024年問題」として注目されてきた運送業界1)の方が生活に直結するためか、メディアにも取り上げられ、注目されているようです。

「医師の働き方改革」が始まって数か月が経とうとしていますが、現場ではあまり変化がないように感じています。大学の医師にアルバイトを頼んでいたという先生から、「これまでは個人的に頼めていたアルバイトの依頼が、『正式なルートを通さないとダメになった』ため、人のやりくりに困っている」といった話はあります。しかし、私の周りや少し離れた所の大きな施設に勤務する友人からは「今のところ、具体的に変わった様子はない」との意見が聞こえてきています。以前に、改革で懸念されると書いた「幽霊医師」も、幽霊だけに見えていないのか、まだそこまで切羽詰まった人手不足にはなっていないからなのか、平穏に事が進んでいるようではあります。今回の改革には罰則規定があることから、急いで準備がなされ厳密に実施されているのかもしれません。

さて、今回申し上げたいことは「元々、すぐに混乱が起こるようなものではなかったと気付いた」という事です。具体的には、事前の説明では一定の時間が示されてはいたものの、なにやら「残業はしないで定刻になったら帰らなければならない」とでもいった雰囲気が醸し出され、「すべての時間外労働を辞めにしなければいけない」とでもいった緊張感があったように思われました。しかし、実際は「決められた時間内であれば残業はしても良い」ということであったということになります。「これ以上はダメ」というのと「条件付きでOKです」というのでは、同じことでも正反対に受け止められる良い例になったのではないかと感じています。

 

己の身をもって気づいたということではありますが、「勝手な残業はできないにしても、上司が認めた、あるいは上司の指示の下の残業は良い」のだということであり、一定の手続きか了解があれば、窮屈に考えなくても良さそうだということになります。今回の「改革」では、医療界の規則にしては珍しく、違反すれば重く罰せられるとは言うものの、きちんと申請をすれば、国が御墨付きを与えた「行なって良い残業時間」があるということになり、当院などではおおむねこれまで通りにしていても良いわけで、「何も変わっていない」ということになっています。

 

ここで「医師の働き方改革」での時間制限をおさらいしておきたいと思います。通常の業務を行っている病院であれば「A水準」として時間外および休日労働時間で年間960時間、月100時間とされており、当院でもこの「A水準」を申請しています。救急や在宅、へき地医療などの地域医療の確保を担う医療機関は年間1860時間とする「B水準・連携B水準」となります。さらに、研修や専門医研修の対象施設で集中的技能向上を担う医療機関でも年間1860時間とされ、「C-1、C-2水準」とされています(ただし、「B・C水準」は暫定措置で、何年か後にはすべて「A水準」に統一するとされています。これについて私は、医師不足が解決しない限り難しいのではないかと考えています)。

今回の「働き方改革」ですが、「医師」に関しては2019年から準備期間が与えられはしたものの、3年近くのコロナ禍でまともな準備はできていなかったと感じていました。また、各水準の年間の時間が提示された時には、「960時間」や「1860時間」といった大きな数字が並べられたため、「これ以上に残業をしていたとすれば、そりゃあ規制されるでしょうよ」と感じたことでした。「B・C水準」の年間1860時間は、月にすると155時間、週では38.75時間、1日にすると5.54時間となっていきます。当院が申請している基準の「A水準」では、これらの数字の約2分の1ですから、これなら「あり得る」身近な数字として検討できることになります。しかも、あくまで平均ですから、何かで一時的にもう少し長い時間外労働があったとしても、こうした場合の対策である「勤務間インターバル」や「代償休息」を活用すれば、それなりの時間外労働や休日労働は可能であるということになってきます。

2016年に新潟市の病院で、当時37歳の後期研修医が月160時間の長時間労働により過労自殺したことが大きく報道されました。このことが「医師の働き方改革」のきっかけになったのではなかったかと考えています。その後、2022年には神戸市の病院で当時26歳の研修医が月230時間を超える時間外労働の末に自殺しました。周りの人間関係など複雑な要因もあったと思いますが、長時間労働が主たる原因となったことは否めない事実だと思われます。2022年といえば、今回の「改革」が準備されていた期間であっただけに残念でなりませんが、何も「残業はするな」というのではなく、適切な肉体的・精神的健康管理に努め、貴重な人命が損なわれることがないようにしていかなければならないと強く感じています。

この改革が動き出してからのことですが、各施設の上級医と話すたびに、若手の医師の労働時間に対する過剰なまでの配慮が見て取れます。「誤解に満ちたばかばかしい制度が始まった」と感じさせられ、「これから先、若い医師の教育はどうなっていくのだろうか」と心配することになっています。この心配が、ただの年寄りの妄想に終わればよいのですが、もう少し頑張って、行く末を見極めたいと願っています。

今回の「改革」では、医師の仕事を他職種への医療従事者にタスクシフト/シェアが実施されようとしています。しかし、看護師など他職種でも人手不足が起こっている現状であり、余分な仕事をお願いするのはなかなか難しいのではないかと発信しました。そのうえで、今回の「医師の働き方改革」をなぜ「医療者の」としなかったのかと思っていたのですが、今回の再勉強でその謎が解けました。それは、医師以外の医療従事者については、2019年4月(中小企業は2020年4月)より、「一般業種の労働者」として、時間外労働の上限規定(原則として年間720時間)がすでに適用されているとされていたのでした。逆に言えば、時間外労働の規制で守られているともいえるわけですが、ますます医療界における多職種間の連携、協力が必要になってくるものと考えられます。今後も、この「改革」問題については、きちんと経過を観ていきたいと思っています。



1)医師や建築業、運送業など「準備に時間が必要な業界」では、5年間の猶予期間が設けられ、2024年4月からの実施となっています。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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