嫉妬の感情は相当なものだ。本人の態度・性質があまりに変わってしまうせいで、全く新しい自己が現れて、心のコントロールを奪い取ったと言ってもいいぐらいだ。嫉妬の感覚はあまりに強烈で、これと争うことなど想像できないかもしれない。嫉妬と争う、つまり嫉妬の原因を探したり、嫉妬しないようにすることは賢明な対応法ではない。むしろ嫉妬の感覚自体が湧き上がってくるのをマインドフルに観察し、その感覚に完全に捕らわれてしまうことがないようにするというのが仏教の発想だ(※1)。
映画を見ているとき、あたかも自分が映画の中にいるように感じる(だからハラハラドキドキがあり映画館で見るのは面白い)。そこで、恐怖から、あるいは、悲しみから抜け出すためには、映画をただスクリーンに映る現象であると見なすことが出来ればよい。何ら自分が恐怖や悲しみを感じる必要はない。同様に、自分の思考は自分の内部で生じるものではなく、自分の前をただ通り過ぎていくものだとみなすことで 感情の嵐から抜け出し、その感情と距離を置くことが出来る。この作業は一種の無我の経験に近づくことと似ている。無我についてのブッダの考えは実用的なものであり、自己が存在するかどうかに関係なく、自分が自己だと思うもの(自分を悩ませている感情)を部分的に放棄することで、世界を見る目が明確になり、より良い人間、より幸せな人間になれる。つまりこれは、映画に没入しているために、恐怖や悲しみの感情に浸っている時に、それらの感情はスクリーンでの画像に過ぎないと思い、画像から距離を置き、感情から離れることと似ていると言える。
自然選択は人間以外のあらゆる動物に、感情を元にした選択肢を優先することによる生き残り方法を与えた。進化は感情にさらに情報を与え、より強い感情を生み出した。その結果、人間は物事について感情を抱くことと、物事について判断を下すことを暗黙のうちに同等とみなしている。この同一視は機能面から言うと、環境に速やかに対処できることによって遺伝子の生き残りに貢献する。一方で感情と判断とを切り離すことは、感情を冷静に調べることで自我を制限し、判断を和らげる瞑想の手法を有効にする。
無我が受け入れられないのは、自己の物理的境界あるいは心理的な統一感が積み重なって現在に至っているためである。これをなくすか、あるいは少なくする事は非常に難しい。なぜなら、進化論的に個体が生き残るためには自我が必要であり有効になるためである。ブッダのように、自我をなくして無我に至る方法としては、自分の内部の感覚を客観視すること、そして同時に自分の外部の感覚も同じような次元で捉える事が大切である。自分の内部の痛みを客観視することと、外部から肌に与えられる刺激、外部の音、光を客観視することも同じような次元で捉えられれば良い。これは、まるで「ランボー(※2)」のようだ。
自然選択の影響は、自分は特別だと言う感覚にもある。これは自然選択の価値の中央にあり、すべての動物に埋め込まれていて、自分が選ばれ生き残るために殺し合う。従って、世界と自分との境界がないこと、薄くなることは、遺伝子に埋め込まれた、性質に対する反逆である。
自分の内部に対する感覚も、同様に自然選択のなせる技である。痛みや苦痛を表現して、それを回避することは、生き残るために必要である。しかし、無我となってしまうと、自然な感性が失われるのではないかとの懸念もある。しかしその様な事は決してない。瞑想を実践すると分かることだが、自然選択の力は非常に大きく、いびつな部分を少し削ることに過ぎない。調和の取れた世界観を作るために、出っ張った自我を少し削り、安定させることになるのだ。
(※1)なぜ今、仏教なのか―瞑想・マインドフルネス・悟りの科学 ロバート・ライト
(※2)ランボー;ハリウッド映画、シリーズ第一作。シルベスタ・スタローン主演。ベトナム帰還兵の苦悩を描く。ジョン・ランボーは、外部からの痛みを相対化する事が出来る。
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