能力主義社会の正当性を疑ってみよう その2

ところで、格差が大きくなった近年、グローバリゼーションからもたらされた能力主義社会での労働者の窮状の解決策として、ひたすら教育、特に高等教育に焦点をあてることには、有害な副作用がある。大学に行かなかった人々が受けるべき社会的敬意を蝕んでしまったのである。例えば、東京大学へ入って、マッキンゼーに就職し、多額の報酬を受ける人と、地域での訪問看護・介護サービスに従事し、高齢者から大きな感謝を受ける人との能力的差異はどの程度あるのだろうか? そしてそれらの結果としての社会的貢献度は? これらの差異はスタートが単に東京大学か、福祉専門学校かの違いから始まったに過ぎない。

能力主義の理想は、今や不平等の解決ではない。不平等の正当化になってしまったのだ。自分の資産や地位は、自分の力で勝ち取ったものであるという信仰によって支えられているからだ。結果的に、能力主義社会は新しい格差を生んでいる。能力が低いと判断された人たちは、自分が相応する能力を見つけることが困難となる。理想的に言えば、すべての人が、それぞれの部門で、自分の能力を見出して、自分の能力にあった仕事をすべきであろう。しかしそれは現実的には不可能である。

経済全般よりも、労働に焦点を合わせたとき、エッセンシャルワーカーの重要性が浮かび上がる。ゴールドマン・サックスの社員が数千万円の報酬を得ることと、地域医療、介護、保育などで地域の人を救うこととの間には、どのような価値の差があるのか? それは、賃金をもとにした計算では表すことが出来ない。結局、労働に対する対価を見直す必要があるのだ。かつては、大企業CEOと一般労働者との賃金が30倍程度だったのが、今では300倍になっている。これを是正することが第一に必要である。日本で幸いにもこれほど大きな格差が出来ていないことは、報酬の差を是正するためには良い環境ではあるが、それも放置すると次第に西欧化してくる。

能力自体が格差を生むことが避けられないのなら、能力主義社会が生み出した結果(格差の拡大)について、富を再分配して埋め合わせる方法もある。ジョン・ロールズはこの方法を「格差原理」と呼び、功績を正義の基盤とすることには反対する。結局のところ、裕福な人が、自分の財産は当然、自分が手にすべきもの、自分が道徳的に値する何かであると主張して、再分配課税に反対するのは、正当ではない。

報酬での格差増加が避けられないなら、手に入れた給与に再分配のための課税をすることは正当である。なぜなら、高額の報酬を得た人は、自分の能力で得たと思っているかも知れないが、そうでなく、周囲の協力、社会制度、治安の安定など自分以外の要素が多いからであり、そのことに気づくべきである。従って、このような能力主義社会を正す方法としては、最低賃金を上げること、所得の累進税率を上げること、資産から生み出される利益に対して総合課税を行うこと、そして不動産のみでなく金融資産課税を導入することなどがあり、これらに対しての反対は正当ではないのである。

結論は次のようになるだろう。現代の能力主義社会は過去の封建社会に比べると公平な社会に見えるかも知れないが、反面で能力自体によるによる格差を生じさせる。給与が能力の差をどの程度反映するかが問題だが、格差は次第に大きくなっている。能力による給与の格差をこれ以上広げない仕組みが必要となるが、それが困難なら、給与の支給後の再分配を強化する必要がある。そして、投資や給与が積み重なった資産に対しても、再分配機能を高める必要もあるのだ。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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