コロナ禍が遺したもの-2.人と心と行動と

前回はコロナ禍の後遺症といった問題を対応の決定プロセスとお金の問題から書きました。今回は、コロナ禍に遭遇し露呈した医療界の問題や、こうした大災害に直面した時の人々の心の問題や行動といったソフトの面で気付いたことを書いてみたいと思います。

ここで述べる医療界の問題は、「後遺症」というよりも「基礎疾患」的な問題と言っても良いかもしれません。その問題とは、現代の医学そのものが結核治療薬や抗生剤などの出現で、「感染症を制圧できた」と驕っていたのではないかということであり、有体に言えば、「現代の医学(医者たち)は感染症を嘗めていた」ということになります。その具体的な表れが、わが国の感染症専門医の「数」に象徴されていると思われるのです。

調べてみると、1995年に制定された感染症学会専門医制度における専門医数は、2019年9月現在で1,490名であり、コロナが日本に入ってきた2020年1月の時点で、全国の内の4県で感染症専門医が一人もいなかったといいます。この感染症専門医は、内科や外科といった基本領域学会の専門医(認定医)の資格を取ったうえで受験することになっていますが、同様に基本領域学会の専門医(認定医)を取得したうえで受験資格ができる「がん治療認定医」は、2007年から始められたにもかかわらず、2022年4月1日の時点で18,089人とありました。どうやら「がん」に関係する資格は、新しいにもかかわらず多くの医師が取得する傾向にあると思われる数字であり、現代の医学が何を重要視しているかを反映した数字と思われます。ちなみに、基本領域学会の内科専門医は2019年9月現在で約35,000名、外科専門医は約23,300名ですから、感染症専門医の数がいかに少ないかが理解できるのではないでしょうか。

ところで、前回の注釈2) にも書きましたが、コロナ禍発生前から行われていた「地域医療構想会議 1) 」でも問題がみえていました。この会議では、地域における入院病床の適正配置といった観点から、2025年を目標に各地域での人口構成に応じて入院病床を減らしていくという検討が(コロナ禍が起こった後も)進められています。私も地元の検討委員になっていますが、まだコロナがない頃に一番に削減を求められたのが「感染症病床」でした。ここでも「感染症をないがしろにする傾向」が見えていたことになりますが、コロナ禍が始まった途端に、「感染症病床を確保せよ、増やせよ」となったのですからブラックジョークかと思ったことでしたが、先にも書いたように、コロナ感染患者が発生した当初、感染患者を受け入れる病床が足りなかったのは当然の事であったというしかありませんでした。

1) 正式には「地域医療構想調整会議」と言うようです。『超高齢社会にも耐えうる医療提供体制を構築するために、2014年(平成26年)に成立した「医療介護総合確保促進法」によって、「地域医療構想」が制度化された』とありました。

事ほど左様に、コロナ禍が起こるまでは感染症病床は「削減すべし」と考えられていたわけですから、当初、受け入れが少なかったのは当然であり、コロナ受け入れ病床を確保するには、前回に書いたようにお金で釣るしかなかったのは当然であったとしか言いようがありません。この感染症専門医の養成や適正な感染症病床の維持など、感染症への取り組みの再構築が大きな課題と考えますが、これは現代医学が考え違いをしてきたツケが回ってきたような話で、この「後遺症」対策には相当な発想の転換が求められるのではないでしょうか。

さて、2020年に新型コロナウイルス感染症が話題になり始めた頃の喧騒を覚えておいででしょうか。コロナに罹患した人の名前や住所を調べようとしたり、それを公表しろと医療機関や公共機関に迫った人たちがいました。さらには、罹患した患者さんの家を調べ、その上であからさまに名指しし、さらには自宅へ石を投げつけたり罵詈雑言を書いた紙を貼ったりと、中世の魔女狩りを笑えない行為が21世紀のわが国で現実に繰り広げられました。問題は、そうした行為をすることもですが、そうしたことをしている人間の顔も名前もわからないことであり、魔女狩りの時代以上に恐怖を感じることになりました。私が知る限りでも、職場を辞めざるを得なくなった方や、転居を余儀なくされた方がありましたし、ついには自ら命を絶った方もありました。前回に書いたわが国の第一例目となった男性も、回復された後になって転居されたと聞いています。

ああした誹謗中傷を繰り返し行っていた方々は、今どうしておられるのでしょうか。「善良な一市民」然として、何食わぬ顔をして生活しておられるのでしょうか。あるいは、ご自身が感染されなかったのか。もし感染された場合には、きっと自らを責め抜いて、ついには生きてはいられなかったのではないかとご心配申し上げますが、是非にも確認させていただきたいことの一つではあります。
そして、何より恐ろしく感じているのは、この出来事からまだ3年しか経っていないにも関わらず、こうした行為がなされていたことや反省の弁が人々の口の端に上ることも、さらにはメディアが取り上げることもなくなってきているということです。こうして、自分たちに不都合なことには蓋をするという国民性ゆえに、(確信を持って申し上げますが)次にこうした問題が起こった時には、再び同じような誹謗中傷、差別的行為が、平常時には全く普通に思える人々の正義感 2) から行われることになるのではないでしょう。

2)「正義」という言葉ほど都合よく使われてきた言葉はなく、同時にこれほど危険な言葉はないと思っています。私がここに書いていることも、自分が正しいと思うから書いているわけですが、「専門医を増やした方が良い」とか、「誹謗中傷や差別は止めろ」といった意見も、私の中の「正義感」あるいは「正義心」から出てきたものと言わなければなりません。ただ、怖いのは、こうした「正義」を掲げることで、なんでも通ると考えたり、時には人を裁いたり殺すことさえも赦されると考えてしまう危険性があるということです。一人の人間に一つの正義があると言っても過言ではなく、他人や社会の「正義」が自分のそれと同じと勝手に考えることほど危険なことはないとも言えますし、時には基準が違った「正義」がぶつかり合うこともあり、大きな問題が生じることになります。これまでの世界史を紐解けば、その証拠となる事案は枚挙にいとまがないほどであり、現に、今も続けられているウクライナでの出来事も、まさにその典型と言っても良いのではないでしょうか。

今回の「5類に変更」の決定がなされて少し経ってはいますが、この原稿を書いている時点では、医療関係での対応に関して、具体的な方針は示されてはいません。今年1月の決定の時点で5月8日からの実施にしたのは、様々な検討課題があり、徐々に移行する必要があるから時間を置くとあったようですが、それは、5月8までの期間の事なのか、はたまた5月8日以降の事なのか、私には曖昧模糊として理解できないままでいます。
ところで、『これから5月までの期間に、新型コロナウイルスの性質や流行状況などが大きく変化した場合には、移行時期が見直される可能性はあります。「政府は、移行前に専門家による会議を開き、予定通りに移行するかどうかを最終決定します」』という文章をみつけました。今回の決定は政治的決着と思われていましたが、何かが起こると「専門家」に責任を押し付けるような書き方であり、ますます、自分の国の政治を信用できなくなってきています。実は、これが最も大きな「後遺症」、いや「基礎疾患」のように思えてきていますが私の勘違いでしょうか。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
  • 社会福祉法人敬友会 理事長、医学博士 橋本 俊明の記事一覧
  • ゲストライターの記事一覧
  • インタビューの記事一覧

Recently Popular最近よく読まれている記事

もっと記事を見る

Writer ライター