コロナ禍が遺したもの-1 決定プロセスとお金

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、2019年12月、中国の湖北省武漢市において初めて確認されて以降、国際的に感染が拡大しています。わが国では、2020年1月28日にNHKが「奈良県に住む日本人男性が、ウイルスに感染していることが確認され、武漢への渡航歴がない人の感染が確認されたのは初めてです」と報じて、この時からわが国でのコロナ感染がスタートしました。この男性は、武漢からの観光客を乗せたツアーバスの運転手さんだったそうで、当時は何もわからないままに仕事に従事し感染されたということになります。その後、同乗したガイドさんも感染されたとかで、当時はわからなかったこととはいえ、感染源からのお客さんを乗せたということで、誠にお気の毒というしかありませんでした。(今では個人情報として許されないことでしょうが、当時は、かなりの情報が伝わってきたもので、ご存じの方もあるのではないでしょうか)。

それから丸まる3年が経ち、日本中を騒がせたコロナ問題も、やっと2023年5月8日から法律上の取り扱いが「5類」に変更されることが決定されました。今回の法律上の変更は、2023年1月になって、それまで感染症法 (※1)の「2類相当」としていた新型コロナウイルス感染症の扱いを、「5類に変更する」というものですが、令和5年1月27日に首相官邸で開催された『第101回新型コロナウイルス感染症対策本部』において、変更が取りまとめられましたと報道されています。この対策本部の本部長は岸田総理ですが、「厚生労働省の審議会の意見を踏まえ」と述べられてはいるものの、ここにきてこうした決定がなされたことについては、何故この時期なのかと疑問符が付くことになります。令和5年5月19日から岸田総理の地元である広島で先進7カ国首脳会議(G7)があることと関係があるのではないかと勘繰ってしまうのは、私だけではないでしょう。実際、この決定に関しては、当の審議会の中でもそうした疑念を持たれることを心配する意見があったとありました。あるいは、ここまできて、生前に「5類への変更」を口にしておられた安倍前総理の遺志を継いだ決定ということなのでしょうか。

※1 感染症法(正式名称:感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)は、これまでの「伝染病予防法」(1897年(明治30年)4月1日公布、同年5月1日施行)に替えて、1999年4月1日から施行されたものです。その後、いくつかの感染症の発生に伴い改正を重ねてきています。今回のコロナ発生に対する改定での「2類相当」では、本来の「2類」より相当に厳しい措置が課せられたことは周知の事実です。

さて、今回の決定で気になることがあります。以前は何かの方針の決定や変更の発表ごとに出てきていた分科会(内閣官房にある「新型インフルエンザ等対策推進会議」の中にあります)の意見が、最近ではテレビなどで目にしなくなったことですが、私が知らないだけなのでしょうか。今回の決定は、「厚生労働省の審議会」とあり、内閣官房の「分科会」は蚊帳の外だったのでしょうか。そう思っていた矢先、久しぶりに出てこられた尾身会長が「今回の決定には、我々は意見を出すことができなかった」と述べておられましたが、「今回の決定が政治的判断であった」とおっしゃりたいのか、あるいは「分科会としては、変更の時期決定に関して科学的根拠を示すことができなかった」とおっしゃりたいのか、本音をお聞きしたいことではありました。

こうした、国民に関わる大事な決定のプロセスが見えないまま(あるいは知らされないまま)で済まされていくことに不安を感じざるを得ませんが、コロナ禍以前から、あちらの方面では当たり前と捉えられているのでしょうか。
ところで、今回の「5類に変更」の報道に対して、公的な病院から「コロナ受け入れの補助金 (※2) がなくなると赤字に戻ってしまう」という声が聞こえてきました。このコメントは、全くもって本末転倒であり、同じ医療人として恥ずかしくもあり、呆れたことでありました。

※2 確かに、当初は受け入れる医療機関が少なく、受け入れ病床を確保する為に補助金が注ぎ込まれたことはやむを得なかったことでしょう。もっとも、コロナが発生する前から検討されていた「地域医療構想会議」では感染症病床の削減を一番に掲げていたのですから、受け入れる病床が少なかったのは当然のことと思われました。このため、国は、お金で受け入れ病床を確保したわけですが、中には、これまで入院患者がなくて丸ごと空いていた病棟を受け入れ病床にした病院もあったようでした。ただ、当時はやむを得なかったとしても、今後に向けての(まっとうな)やり方の検討が必要ではないでしょうか。

公的病院の慢性赤字がコロナ禍の補助金で解消し、さらには黒字化したことは以前にここにも書いたことでした(2022年7月12日号医療機関の終末期「コロナバブルの罪と罰」)が、たまたま降って沸いた補助金で黒字になったと考えるのは大きな勘違いで、黒字となったものは余った分ですから、決算後には返納するのが筋だったのではないでしょうか。しかしながら、これ幸いとこれまでの赤字の穴埋めに当てたり、将来使用する当てがあるのかわからないような高価な医療機器を購入したといった話、さらには余ったお金を投融資に回したといったことまで聞こえてきて呆れることになっていました。

今回の補助金の問題では、2023年1月13日になって会計検査院が新型コロナウイルス患者の病床確保事業の検査結果を公表し、「国は2年で3兆円を超す補助金を医療機関に交付したが、受け入れ態勢が整っていない病床の分も支払うなどの制度の不備があった」と指摘することになりました。要は「コロナ対応に病床を割くほど補助金でもうかる構図になっており、厚生労働省に改善を求めた」ということです。さらに、「コロナ患者を受け入れるより、空床にしている方がもうかる構図であった」との指摘もされてもいます。さらには、一般企業では詐欺と言われかねない「幽霊病床」に至っては、返金をしてもらうなどのきちんとした対処をしていただきたいことではあります。

こうした見直しの動きの中で、2023年2月10日のGemMedに、日本病院団体協議会が「コロナ感染症の5類移行後も、地域医療を守るために『診療報酬の臨時特例・適切な補助金』継続を行う必要がある」として、加藤勝信厚生労働大臣に宛てて提出したとありました。私も民間病院の院長として経営を考えなければならない立場にありますので、医療体制を維持できないことになるような急激な変化を望んではいませが、一方で、この問題は5類になった後のコロナ患者さんの扱いがどうなるかという問題と表裏一体であり、大臣に依頼するならお金のことだけでなく、医療者の代表として「何が問題」で「どうすべきか」といったことも提示し、併せてその内容を広く国民へ説明していただきたいと願っています。

今回はコロナ禍の後遺症になりそうな問題を対応の決定プロセスとお金の問題から書いてみました。機会があれば、コロナ禍への対応について、ソフトの面から書いてみたいと考えています。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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