最初に入院した病院の10階から外を見たときに感じたのは絶望感でした。なぜここにいるのか、いつまでいるのか、もし病気なら治るのか、家族や会社にとても迷惑をかけているのではないか、などといった気持ちがある反面、逃げたいという気持ちもありました。以前は怖いと感じたこの高さも、恐怖心は無く、そのかわり『死にたい』という絶望感を強く感じました。そして、特に自信を無くしたのは、診察の際に、医師が持っている物の名前を聞かれたのに言えなかった時です。それは日ごろ普通に、書くことに使っていることは分かるのですが、「シャープペン」という名称が言えないことはとてもショックでした。この時には、自分自身の障害に対する不安感と同時に、相手に自分の障害をさらけ出すことへの失望感もあり、人に会いたくない、人と話したくないといった否定的感情を持つようになりました。
リハビリをかさね約3ヶ月が経過した時、名前を言ったり書いたりすることが少しずつ出来るようになり、人との会話への抵抗感は徐々に薄れて行きました。そして身体的に問題があるところはどこで、これは回復可能であること、失語症についても、物の名称を復唱することで記憶が次第に定着していくことが分かりはじめ、絶望感から次第に希望へと変わって行きました。そして退院して1カ月(発病から約5ヶ月)後、相手の話は、単語だけではまだ理解ができない点もありましたが、会話のなかで、その流れに伴って名称と位置づけが出来始めて、次第に会話を伴わなくても、そのもの自体の名前だけで物と一致させることができるようになりました。
しかし、私から伝える際に、自分がその名称や名前がわからない時には、流れや表現で相手にそれを理解していただく必要があり、大変迷惑をかけていると感じます。反面、相手はそう感じていないかもしれないのに、私を迷惑に感じているのではないか、単語は出ないのでわかりやすく表現するように努力していることを理解してもらえない、だから自分がいやな顔つきになっているのではないか、きつい言葉遣いになっているのではないかなどと思うようになり、結果的に自分の言葉が早くなったり、大声となったり、言葉遣いが厳しくなったり、表情が険しくなり、会話がうまくいかないことに繋がっているのではないと感じるところがあります。私の状態と同じとは言えませんが、障がいを持った方が、相手に対して関わりを拒絶することがあるのは、私と似ているのではないかと感じることもありました。
振り返ると、会社を休んだ時に連絡をくれた会社の友人が、もし、その時の電話で「何か違う。いつもと違う」と気づき、すぐに救急搬送をしてくれていなければ、ヘルペス脳炎の病薬の投与が数日遅れ、その後の後遺症は重くなり、考えたくありませんが、場合によっては「死」となっていたかもしれません。現在、単純ヘルペス脳炎は、早期の投薬により死亡率は10%程度に減少していますが、後遺症は残念ながら残り、投薬が遅れることで重症化率は高くなることがあるそうです。会社の友人に感謝したいと思います。
それから、入院しリハビリに関わって頂いた病院の看護師や療法士の方々、仕事だから当たり前と思われるかもしれませんが、絶望感で自分の存在自体を否定していた私に、笑顔で親切に関わっていただき、歩行訓練時にも同行して「がんばれ」、「できるようになっているよ」と声を掛けていただいたことが、大きな励みとなりました。
そして、これほど長い年月、発病し複数回の後遺症によって休職し、欠勤が続く中でも、良心的に関わって頂けた会社と、その職員の方々、感謝の気持ちでいっぱいです。そして、単純に身体や言葉の理解などに限定した関わりでは無く、自身が興味を持ち外出する行動を止めること無く見守り、複数回のてんかん発作に適切に対処してくれた家族や両親の存在はとても大きかったと感じます。
その中でも、私からの暴言にとてもショックを受け悩むこともあり、関わることが辛くそして悲しく泣いてしまうこともあった妻の存在が無ければ、現在のように回復することは決して無かったと思います。妻は、間違いは注意し、普段と変わりがない日常生活、家族としての位置づけなど、発病前と全く変わりない姿勢で関わってくれました。これは私からお願いしたわけではありません。妻がもし、すべてが以前と異なり、ほかの人に迷惑になるのではとの配慮から、私の外出を制限したり、迷惑をかけるのではないかと思って他人に相談することを躊躇すれば、それこそ偏見や差別を受けていると私自身が感じてしまっていたと思います。だからこそ、妻の発病前と変わらない言葉遣いや関わりがあったから今の回復に繋がったのではないかと感じています。本当にありがとうございました。
そして、最後になりますが、今回このような機会を提案して頂いた橋本様、財団の皆様ならびに勤務先であるSOMPOケアの皆様にお礼を申し上げます。
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