2017年10月に「高齢化と医療」と題してこのOpinionsに初めて投稿させて頂きました。以来、5年が経とうとしているわけですが、高齢者問題や何より「死」に関して、最近の数年だけでもその有り方がずいぶん変わってきたようで、いわゆる「終末期」を持てない「死」が増えてきているように思えています。
2019年12月に中国の武漢から始まった新型コロナウイルス感染症は、医学史に深く刻まれるパンデミックとなり、すでに3年目を迎えようとしています。以前に「コロナ禍の看取り」でも書きましたが、こうした感染症萬延期に起こる「隔離された死」は、過去に経験したことのないほどに、ご本人やご家族だけでなく、関わった医療者にとっても心に大きな傷を残しています。そして、こうした現場では、ご家族を交えて「その時」を迎える話し合いも、ましてや看取りの余裕もなく、いわゆる「終末期」といえる時間は奪われてしまうことになりました。これからは” with コロナ “と言われており、発想を転換してこの状況を打開したいものですが、数年前に、こんな状況になると一体誰が予想できたでしょうか。
また、2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵攻は、この21世紀という時代に起こっている出来事なのかと我が目、我が耳を疑うことになっています。恐らくは、侵攻を仕掛けた当事者たちの頭の中は遠く暗い昔のままなのではないでしょうか。もっとも、過去であれ現在であれ、(その呼び方をどう言い繕おうとも)現実に起こっていることは「戦争」であることに間違いなく、国連事務総長のグテーレス氏が、虐殺の地を訪れ絞り出すように言い放った「戦争こそが犯罪」ということに間違いはなさそうです。そして、ここでも、(これまでに何度も繰り返され、2度と起こしてはならないといわれ続けた)「理不尽な死」がもたらされています。一方的かつ無差別な攻撃による突然の死、さらには平穏だった日常生活に突如もたらされる酷い扱いと惨たらしい死や屈辱的な仕打ちを受けた後の人生の終焉。ここに書き連ねようとして書き尽くせないほどの、死んでいった人達の数と同じ数だけの「許されない殺人死」が生まれています。目にする報道の中で、とくに幼い子供たちの死ほど辛いものはありませんが、やはり「戦争」とは、「力」がそれを使う人間の良心を失わせ理性を狂わせた結果としか言いようがないのでしょうか。こうした状況下では、「終末期」という言葉はその本来の意味を持たなくなり、あえて言えば「他人から押し付けられた予期せぬ終末期」とでもいうしかなさそうです。
今回の「戦争」がもたらしている異常事態については、世界史の中で大きな転換期を生み出しているものと思われ、対岸の火事とするのではなく、わが国の今後を真剣に考えていかなければならないと考えています。
さて、コロナ禍も薄らいで人の往来が増えようとした矢先の2022年4月23日には、北海道で未曽有の海難事故が発生しました。徐々にわかってきた事実を突き合わせていくと、プロ意識が欠如した(というか元から無い)、まさに素人集団による「未必の故意」による死亡事故であり、罪のない人たちに対する殺人行為と言わざるを得ません。私は、若い頃に小型船舶1級免許を取得していますが、その拙い経験や知識をもってしても、今回問題にされた気象への無知(無視?)、運行上の安全義務違反は許されることではなく、ましてや複数のお客さんを乗せて操船する立場では、彼らがとった行動はまさに殺人であったと感じています。
また、最近の車による歩行者の死亡事故などをみても、人間を幸せにするために作られたはずの道具が、多くの罪なき人たちの命を奪っています。(アメリカでは銃器についてもそう言うようですが)車や船が悪いのではなく、それを扱う人間が悪いということになるのでしょうか。最近では、とくに高齢者による自動車事故では理不尽かつ重大なものが増えてきており、目を覆いたくなるような悲惨な「突然の死」が増えてきています。こうした「事故」での死では、「健全な生」の状態から「突然の死」がもたらされる「アクシデント死」ということになるのでしょうが、この瞬間的な時間を「終末期」と呼ぶには余りにも短い時間であり、むしろ「終末期を取り上げられた死」とでも言わねばならないことになります。
こうして考えてくると、これまで述べてきたような日常の中にある「終末期」も、時代や世界情勢で変わっていくのではないかと思い始めています。さらには、辛いことではあるにせよ、自宅や病院で「終末期」を共に過ごせることは、どうやら「当たり前」のことではなくなりつつあるのかもしれず、本人や家族にとって幸せな事と言わなければならないのかもしれません。
これから先、「終末期」を「終末期」として迎えられない時代、本来の「終末期」が奪われてしまう時代になっていくのでしょうか。最近の報道を観ながら、そんな時代が来ないで欲しいと、心から切に願っています。
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