少子高齢化が言われ始めたのは一体いつの事だったのでしょうか。
すでに、高齢化の波にどっぷりと飲み込まれていることは、皆さんも実感されているのではないでしょうか。
戦後のベビーブームで生まれた人たち、いわゆる「団塊の世代」が2025年には後期高齢者となるそうで、この辺りが高齢化のピークと言われています。しかし寿命が延びていることを考慮すると、「プラトー」に達し長期化すると考えた方が良いのではないでしょうか。
さて、私が医者になったのは1979年ですが、今や、単に医療の進歩、または多様化と言うだけでは済まされない「医療」が行われています。以下に症例報告しますので、一度考えてみて頂けると幸いです。
87歳、男性。つい最近まで元気でしたが、胃部不快感を自覚され、某病院を受診されました。精査の結果、胃がんと診断され、告知がなされました。ご本人やご家族は、手術は受けたくない事、終末期には延命処置はしないで欲しいことを明言され、ご本人の署名入りの文書も作成して主治医に渡されていたそうです。しかし、どういう経緯か、どう説得したのかは判らないのですが、手術が行われ、胃全摘術が施行されました。
術後の経過は悪く、いつまで経っても食べられない状態が続き、揚げ句、内科に移されることになったそうです。この病院では、元々、執刀した外科医が患者さんを継続して診ることはされないようで、例えがん患者さんでも執刀後長くて1年、早ければ退院後は内科で診てもらうように申し渡されているようです。
私が育った外科医局の流儀とは著しく違うものではありました。
さて、内科に移るや否や、高カロリー輸液の為のカテーテルが鎖骨下静脈に入れられました。しかし、その後も一向に軽快する様子は無く、患者さんやご家族の「水を飲みたい」「飲ませたい」という願いも、「一滴も飲んではならない」とのお達しで、きつく禁じられていたと言います。
結局、その病院ではよくある話ですが、「状態が安定した」という文面の紹介状を持たされて住まいの近くの病院を紹介され、寝たままの状態で転院されたそうです。勿論、こうした例が頻繁に有ることは、すでに周辺の病院には知れ渡ってはいますし、「安定」とは体よく「追い出すため」の方便として使うことも、わかっているのだそうです。その上でなお、お住まいの近くに帰りたいという患者さんの希望を叶えてあげたいという気持ちから、近くの病院が転院を受け入れたようでした。
そして、転院した日、主治医となった外科医(術後なので外科医が担当したそうです)は、飲水を快く許可したそうで、ご本人のみならずご家族も涙を流して喜んだそうでした。しかし、それが悪かったとは思えませんが、転院の翌日に息を引き取られたそうです。
それなら、いっそ、最期までその病院で面倒をみてあげたらよかったのではないか、と前の病院を非難する声が出ました。その一方で、水も飲まさない「治療」から逃れてこられただけ良かったという声もあり、ご家族は感謝して帰られたということでした。
85歳の男性。認知症があり、すでに色々と問題を起こしていたようです。すでにおむつが必要で、ご自宅でご家族が交代で世話をしている状況でした。
ある日、食べた物が悪かったのか嘔吐を繰り返すということで、ご家族が近くの病院へ連れて行ったそうです。診察した医者は、ここぞとばかりに検査を行い、胃に「早期がん」を発見しました。すると、鬼の首でも取ったように、「手術すれば治るから」と手術を勧め、実行してしまったそうです。
で、その後、認知症があるため安静も守れず、すぐに誤嚥性肺炎をきたし、寝たきりになったそうです。その頃から主治医の足は遠のき、「認知症で徘徊するより動けない方が管理しやすい」と嘯いたと言います。
その後は、寝たきり、誤嚥性肺炎の繰り返しでついにはMRSA感染、褥瘡の合併となりましたが、ここでも体よく転院させるためにか、これまでの経過を書き連ねた後に「状態は安定されていますので、転院をお願いします」という文面で、家族を近くの別の病院に行かせたそうでした。
流石に、紹介状を受けた先生も「こうなると申し訳ないですが、もう残された時間も少ないでしょうし、このままお世話になったらどうですか」と返事をされました。その上で、直接紹介元の先生に電話を(ご家族の眼の前で)されたそうです。勿論、ご家族はこんな状況になったことで、現主治医、病院への恨みつらみは有るものの、転院などは次の病院へ迷惑を掛けることになると承知されて、むしろその電話を快く受け止められたと言います。
こうした医療としては「負」の症例が増えているのではと危惧しているのですが、こんなお話、身近で聞かれたことはありませんか?
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