がんの治療は早ければ早いほど良いというのが常識的な考え方です。がんがあちこちに広がる前にきれいに体から切り取ってしまえば治癒が期待できるのではないかと考えることは自然な考え方です。
しかしながらがんにもいろいろな種類があり、必ずしもこの考え方が当てはまらないものがあることが次第に認識されつつあります。甲状腺がんや、前立腺がん、乳がんの一部は生命予後に影響を及ぼすことがないものがあることが明らかになってきました。これらのがんでは、発見すること自体が不必要な治療や精神的苦痛につながりかねない場合があると考えられるようになってきました。
それでは予後が悪いとされるがんでは早期発見、早期治療は生命予後を改善するのでしょうか?がんの治療は少しでも早ければ早いほど良いのでしょうか?
早いのと遅いのとでは生存に違いがあるのでしょうか?
早い、遅いの二者択一の場合は、どちらが良いかわかっていたら良い方をとります。では、わからない場合はどうしたら良いのでしょうか?がん治療においては、治療法の優劣を比べる方法として無作為化対象試験を行います。二つの異なった治療法を行うグループの間に様々な偏りがないようにしておいてその結果を客観的に比較するのです。
がんの治療のタイミングについて行われた興味ある試験を紹介します(文献1)。この試験は理論的に考えたリードタイムバイアスというものが実際に存在するということを示した試験です。この試験では再発した卵巣がん患者さんでプラチナ製剤を含む抗がん剤で完全寛解を得ることができた患者さんを対象としています(図1)。卵巣がんなどで血中に増加するとされている腫瘍マーカーの CA125を3ヶ月ごとに検査して基準値の2倍以上の値になった時に2つの群に割り振ります。片方の群では患者さんと医師に話して28日以内にできるだけ早く抗がん剤治療を開始してもらいます。もう片方の群では基準値を超えたことは患者さんと医師には話さず臨床的に、あるいは画像的に症状が出た時に抗がん剤治療を開始してもらいます。どちらの群も治療方法は医師の選択に任せています。
結果を(図2)に示します。両群では全生存率に差は全く見られませんでした。生存期間の中央値は早期治療開始群では25.7ヶ月、待機治療開始群では27.1ヶ月でした。さらに生活の質が悪化する時期は早期治療開始群で3.2ヶ月に比して待機治療群では5.8ヶ月と、早期治療群では早く生活の質が低下することが明らかとなりました。生活の質が保たれた時間も早期治療開始群では7.2か月であったのに比して、待機治療開始群では9.2か月と待機治療開始群では良い時間が長く保てたことが示されています。
この試験の結果をもう少し正確に述べると、再発の卵巣がんにおいてはCA125の値をもとにした早期の抗がん剤治療は生存を改善することはできなかった、というものです。したがって、増殖速度や抗がん剤の感受性の異なるすべてのがんにこの結果を敷衍することは無理があるかもしれません。新規抗がん剤の開発や、診断法の開発によって状況は変化してくる可能性もあります。実際に血液がんや精巣がん、大腸がんでは早く治療をした方が長く生存できる場合もあるという結果が出ています。しかしながら、「抗がん剤の治療を開始するのは早ければ早いほどよい」という私たちの常識を覆すには極めて重要な知見であると考えます。そればかりか抗がん剤を早く始めたら生活の質は早く低下し、良い時間は少なくなり、生命の延長は得られなかったという私たちにとっては驚くべき結果であります。医学の進歩を信奉する一方で真実を冷徹に受け止める態度が求められます。
文献1
Gordon J S Rustin et. al. Early versus delayed treatment of relapsed ovarian cancer
(MRC OV05/EORTC 55955): a randomised trial. Lancet 2010; 376: 1155–1163.
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