以前に、20数年にわたる患者さんとのお付き合いから「逆算の人生論」を書きましたが、あの患者さんはご高齢でもあり、見事に人生を生き抜かれたという感想を持つことができ、そうした想いからあの文章を書き起こすことになりました。まさにソフトランディングとでもいった旅立ちであったと思っています。しかし、現実の医療現場では、これまでにも書いてきたように、ある時点で「逆算」をして最期への準備を始めることはなかなか難しいようで、ハードランディングとでも言いたくなるような壮絶な「闘い」が行われているのが現実のようにみえてなりません。もっとも、「最期まで頑張りました」というのが良いという方もおられるのでしょうから、ここから先は、ご本人なりご家族のお考え次第ということではありますが…。
つい先日にお見送りをした方ですが、今の医療現場のどこにでもある「逆算し損ねた」典型例であったと思われる方がおられましたので、紹介したいと思います。きっと、思い当たることがある方もあるでしょうし、まだ先の話という方でしたら、これからの心構えというか、参考になれば幸いです。
患者さんは50歳代後半の男性です。消化管の癌で、いきなり切除不能と診断され、型のごとくに抗がん剤治療が開始されました。結果的に1年に満たない経過でしたので、今になってみて、それだけ進行した(一般的にいえば「ひどい」)状態であったと言えますが、健診なども広く行われている現在でも、時折出会う話ではあります。
彼が最終的に診断された大きな病院では、年齢が若いだけに強力かつ熱心に治療が行われたようです。いつも言うことですが、この「熱心さ」が曲者で、「誰のために」、そして「何のために」熱心になるのかが常に問われなければならないと考えています。
残念ながら、患者さん、ご家族、そして治療する医療者の三者が同じ立ち位置で相談することは不可能なわけで、そもそも患者さんやご家族にとっては、青天の霹靂とでもいった診断の告知から始まるわけですから(「癌」との告知なしには辛い抗がん剤治療はできないでしょうが、そもそもこの「告知」の仕方にも問題がないわけではないと思いますが、そのことはまた他の所で)、建前上はご本人もご家族も了解したうえでの治療ということにはなりますが、「私たちは素人なので」ということからか、往々にして「先生にお任せします」ということで事が始まるのが通例と思われます。そうなると、医療者だけが熱心になるということになりかねませんが、癌の治療の一区切りがついた時にでも、(病気のことを少しは受け入れ始めたであろう)患者さんやご家族とも、立ち止まって「逆算」をしてみる必要があるのではないでしょうか。
結局、この方は、やっと辛い抗がん剤治療から解放され自宅での在宅ケアを希望されていましたが、すでに肺炎などの合併症がひどく(だから、抗がん剤治療を止めたようでもありました)、転院早々に自宅に帰る準備を始めたものの、叶わぬ夢となった次第でした。何よりも、「残念ながら、もう帰れない段階です」と説明せざるを得なかった時のご家族の落胆は大きく、目の前で奥様に泣かれた時には、前医に一言申し上げたくなったことでしたが、これも私の仕事のうちと納得するしかありませんでした。ただ、毎回ですが、担当する患者さんの人生の終わりのどの辺りから関わり始めているのかを了解するまでに少々の時間が必要なわけで、そのたびに歯がゆさが付きまとうことになります。是非にも抗がん剤治療をする医者は、皆等しく看取りも必須事項にしていただきたいものだと感じています。何故なら、看取りをするとなれば、必ず「逆算」する必要が出てくるはずで、むやみに目の前の「病」だけを攻撃することがいかに無謀であるかが身に染みてわかるはずだからです。まさに「病を診て、人を観ず」ということになります。
この方の場合は、転院後、1週間余りでのエンディングでしたが、もっと早くに「逆算」が出来ていたら、希望した在宅なり、好きなこともできたのにと思われて残念でありました(時には、転院先のこちらが無為無策のような受け止め方をされるのではないかと心配することすらあります)。
ただ、ここまで書いてきて、どうやら「逆算し損ねる」のではなく、「逆算」できるか否かを考えるだけの時間的余裕がない患者さんの方が圧倒的の多いのではないか、そして、「治療」を優先するのが今の医療である以上は仕方のない事なのではないかと思い至ることになりました。そうなると、最後には「何を優先するかの選択」という人生論、人生哲学の問題に行き付くのだろうと思えています。
この問題、簡単には終わりそうもありませんが、もっとがん治療や高齢者医療の現場で広く議論されなければならないのではないかと考えますが、いかがでしょうか。
実のところ、いつもこうして書いていて、独り相撲を取っているような虚しさを感じることが増えていますが、実は、それが現実ということなのだろうと、ちょっと諦めかけています。
研究助成 成果報告の記事を見る
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る