デモとコロナのニューヨーク~放浪者日記/2020年6月-7月~

前回の記事ではコロナ禍のニューヨークの様子をお伝えしましたが、6月に入り、コロナ騒動収束より前に、デモの方が大きくニュースに取り上げられています。

6月1日、マンハッタンを散歩してみると、中心街はガラスをベニヤ板に覆われたビルばかりになっていました。そうこうしているうちに私の住んでいるアパートも1階は板で覆われ、6月3日には(なぜか?)板が黒に塗られました。

今回は、6月~7月初めまでの、コロナ禍に加えデモ騒動の中にあったニューヨークをお伝えします。

6月1週目

コロナは弱者を直撃しています。

アメリカの抱える矛盾がコロナをきっかけに表面化し、人々のストレスが高まっていた時に白人警察が黒人を殺害するというおぞましい事件が発生。メディアやSNSでその映像が繰り返し繰り返し流されて、怒りのマグマが爆発した感じです。

一部の人々のその怒りの方向が略奪という形になり、デモ隊の中も分断(大半の人々は平和的なデモを通じて意思表明をしています)。さらに物事を複雑にしているのが、11月の大統領選挙。全てが大統領選挙に関連づけられ、もしくは関連づけた報道がなされています。

そういうわけで、今週いっぱいは夜8時以降の外出禁止令が出されました。

6月2週目(前半)

6月7日、夜の外出禁止も今日の夜半まで。

昨日はセントラルパークをぶらり散歩していたところで、デモ行進と遭遇。多くの人種の、特に若い人の参加が目立ちました。彼らはマンハッタンのセントラールパークの西側から6番街を南の方に向かって行進していました。全米で、そして世界にも「この動き」は広がっています。

デモ行進の様子を思い出しつつ、「この動き」の背景はなんなのか、公園でコーヒーを飲みながら考えていました。
当然、今回のデモの発端は白人警官による黒人男性の殺害。それが各種メディアで拡散されたことに対する怒り・・・しかしその背景にあるものはやはり「不満」なんだと思います。ではその「不満」とはどこから来るのでしょうか? コロナの影響で仕事がなくなる、生活が苦しくなる、外出もままならずストレスが溜まる・・・でも一方で、その仕事や所得に不安を感じていない層の人々もたくさんいます。この差はどこから来るのでしょう? 単にラッキーだった人もいるでしょうが、根っこにあるのは教育機会と職業格差があるのだと思います。その所得格差が居住環境の差や医療アクセスの差となり、結果としてコロナ影響の格差にもつながっているのではないでしょうか。2000年代前半まで信じられていたトリクルダウンも、その後の貧困層の所得の上昇ストップにより幻想と分かり、結果として持てる者との二極化は更に拡大した気がします。

デモ行進では、No justice, No peaceと大きな声を出していますが、Justiceも人それぞれ「そのJustice」はおそらく異なります。教育の格差是正のことなのか、職の機会のことなのか、所得の再配分のことなのか、司法のあり方なのか、大統領に対する不満なのか・・・一度手にした既得権を手放すことは本当に難しい。私自身、日本で生活し、安心や安全、同質した社会、日本語での生活、均質な医療や介護保険制度、綺麗な街並みと高度な公衆衛生を享受してきました。少子高齢化対策として本気で移民制度を導入したら今のアメリカみたいな社会の分断が起こるのではと心配です。と書いていたら、日本で2019年の出生数が86万人になったとのニュースが出てびっくり。2016年に100万人を切って何となく大変だなあと思っていたら、その後3年間で更に10万人減少していました。加速度的に出生数が減少する、生産年齢人口も減少する。この事実を踏まえ、人が減ることを前提として社会は再構築されていかないといけないのでしょうが、ここでも「既得権」の壁に阻まれるのでしょうか。

警官による黒人の射殺というニュースは今週も続いていて、新聞もニュースも毎日事件を大きく取り上げています。今後、警察改革や司法改革も少しは前進するとは思いますが、どこを見ても一方通行的な報道が多く、少し冷静な議論が欠けているような気がします。

警察の権力行使のあり方についての議論は必要ですが、そもそもの犯罪削減、撲滅の動き、犯罪の背景にあるものに真正面から取り組まない限り根本的な解決は難しいのでは?と思います。ただ、長い歴史の中で出来上がった仕組みを変えるためには多くのエネルギーと根気が必要となります。国を問わず、企業・個人を問わず、長期的な視野や視点に立って行動するのは難しい世の中になってきました。それが何故なのか、その答えをいつか出せるでしょうか・・・。

さてコロナ問題に話を戻しますと、6月8日 NYC(ニューヨーク市)も経済再開フェーズ1に突入。ニューヨークで、3月1日に最初の感染者が見つかってから100日、3月22日の自宅待機令が出てから78日が経過していました。恐るおそるの再開となりましたが、見た目には前週とそれほど変化はありません。
それでも統計的には多くの方が地下鉄やバスを使い始め、車の交通量も増え始めました。

私も久しぶりに事務所に行ってみたら、以下のようなステッカーがエレベーターの中に・・・

思わず隅に寄りました。

6月2週目(後半)~3週目

6月10日、デモ対応で周りをベニヤ板で覆っていたお店も一部で撤去し始め、小売業の一部再開がされる6月22日に向けて徐々に準備が進んでいるようです。

ただし、全米のニュースを見ると経済再開後に感染者数が増加に転じ、医療崩壊リスクが出てきている街もあると報じられていました。この感染症との向き合い方は本当に難しいと感じます。

6月15日、NYCの経済再開はまだフェーズ1の状態、それでも週末になると多くの人が街に繰り出し、店頭でビールを買ってはテラスで談笑している姿をよく見かけます。既に前のめりになっている人々を見てクオモ州知事は怒りを隠そうとしません。他州の状況を見るとコロナとの共存は言うは易しですが・・・。

6月4週目

6月22日、今日からフェーズ2に移行、レストランもテラス席でのサービス開始。少しずつですが活気が戻ってきた感じです。翌週にはニューヨークを代表する大型百貨店も営業再開。徐々に日常が戻ってきて、週末も少人数で運動を楽しむ人々が公園に集まっています。この調子でこれから順調にフェーズ3に移行出来るかな!と、思っていたその矢先、経済を再開した多くの州で感染者の拡大が報告されました。予定ではニューヨークでも7月6日にはフェーズ3に移行し、店内での飲食が可能となる、とされていましたが・・・嫌な予感がする。

7月1日、案の定、クオモ州知事、デブラシオ市長の記者会見でレストランの店内サービスは「状況の改善が見えるまで」延期と発表されました。やっぱり・・・。楽しみにしていたのになあ。

7月1週目

7月6日、今日はPCR検査を受けるため歩いて15分ぐらいの検査機関へ。ニューヨーク州には800近い検査場所が設置されていて、検査は事前の予約も不要、費用も無料。朝8時から検査開始ということで10分前に到着すると、4人ほどがソーシャルディスタンスを保ちながら待っていました。

数分後、建物の中に入ると端末の前に案内され、初診かリピーターかの確認、その後名前、住所、人種などを入力。そして、身分証明書を提出すると待合室で5分ほど待たされましたが、中は誰もいませんでした。名前が呼ばれ検査室に入り、PCRと抗体検査のどちらを希望するか確認され、PCRと答えると鼻腔からの検体採取が行われ終了(建物に入ってから出るまで30分もかからない。またPCR、抗体検査の両方受けても構わない)。後は、簡単な書類を渡され、ネット上で結果を確認する仕組みです(検査結果は5日程度と言われました)。

7月5日時点でのニューヨーク州でのPCR検査の状況は次の通り。検査体制が充実していることと同時に、PCR検査の陽性率が1%未満になってきたことがわかります。

全米では毎日数十万人から100万人程度の検査が行われています。PCRと抗体検査を同時に行うことや多くの人が複数回検査を受けることで、抗体の有効性、有効期間なども検証しているんだろうなと想像はしますが、それでも経済再開に伴う感染拡大が止まらない状況を見ると、感染症対策の難しさを改めて実感します。

色々なことを考えながら、お店の一部再開に伴い多くの人が街に出始めたマンハッタンの街を歩いて帰宅しました。

私の仕事先のバミューダも、7月からようやく空港が再開されました。経済活動再開を急がざるを得ない国や人が多いのは事実でしょう。ただ経済活動には人、物の動きが伴い、それだけ感染拡大のリスクは高まります。我々はデジタル技術の進展やバーチャル空間での交流など新たな生活様式をサポートする手段は手にしましたが、その一方でリアルなコミュニケーションやリアルなケアの重要性はますます高まり、そして貴重なものになるような気がします。

次回は、もう少し金融、経済への影響について考えをまとめたいと思います。

ペンネーム三村 喜久雄
ニューヨーク在住。仕事のこと、街のこと、人のことなど、現地でしかわからないリアルなニューヨークをお伝えします。
ニューヨーク在住。仕事のこと、街のこと、人のことなど、現地でしかわからないリアルなニューヨークをお伝えします。
  • 社会福祉法人敬友会 理事長、医学博士 橋本 俊明の記事一覧
  • ゲストライターの記事一覧
  • インタビューの記事一覧

Recently Popular最近よく読まれている記事

もっと記事を見る

Writer ライター