胃がん検診の季節がやってきました。内視鏡は怖いので胃バリウム検査を受けるとおっしゃるそこのあなた、もう一度考え直してみませんか?
胃がんは長く、日本における部位別がん死亡数の多くを占めていました。胃がんの原因はピロリ菌感染による慢性炎症がそのほとんどを占めています。ピロリ菌は免疫の脆弱な幼児期に感染し胃に慢性の炎症を引き起こすものです。胃の細胞内にcagAという「がんタンパク質」を注入することにより細胞の異常な増殖をもたらし、さらには細胞内の遺伝子にメチル化という細胞増殖制御に関わる異常をもたらすことで胃がんを発症させます。日本人の多くはピロリ菌に感染しており、それが日本人に胃がんが多い原因となっています。
胃の早期がんを内視鏡で切除して、その後ピロリ菌を「除菌する群」と「しない群」に分けて観察すると、胃がんの再発は「ピロリ菌除菌群」で明らかに減少しました。つまり、胃がんはピロリ菌の除菌により減少し、さらに胃がんの発生はピロリ菌の持続感染に起因していると考えられます。しかしながらピロリ菌を除菌しても、慢性炎症が残ることにより胃がんの発生はゼロにはなりません。胃がん罹患率の近年の減少は、上水道の整備、食事の口うつしなどの習慣の中止によってピロリ菌の幼児への感染が減少していることによると考えられています。
胃がんの確定診断は、病変部分の組織を採取しそれを色素で染めて、細胞の形、核の形、並び方などをもとに病理医が診断します。そのため胃がんの確定診断を行うには必ず内視鏡の検査を行うことになります。
胃がんのバリウム検査は硫酸バリウムと発泡錠を飲み、X線陽性造影剤の硫酸バリウムと陰性の空気のコントラストによるX線二重撮影という方法で診断します。ぐるぐる回る撮影装置で体位を変え、胃内腔の表面にバリウムの薄膜を形成しX線撮影を行います。胃の表面を覆うバリウムを撮影することにより間接的に胃表面の凹凸を撮影するのです。進行した胃がんや潰瘍のように、胃の表面に凹凸を伴う変化を起こす病変については病変の存在を診断することが可能です。一方で、早期胃がんのような胃の表面に変化のない、あるいは小さな病変を診断することは大変難しいのです。
私が医者になりたてのころには胃バリウム検査の達人と言われる人がいて、早期の胃がんを描出するのに命をかけているような医師がいたものですが、現在ではそのような人はまず見かけません。私に胃バリウム検査をして欲しいと言われても自信がないので(昔は少しはあったのでありますが)お断りします。バリウム検査による医師の早期胃がんの診断能力は昔と比べはるかに低下しているのではないかと想像されます。しかしながら、胃がん検診では未だにこのバリウムによるX線診断が推奨されています。
胃がんの診断をする時にいわば影絵を見て診断するバリウム検査と、実際に胃の内部を観察する内視鏡ではその診断能力は内視鏡に軍配があがると思います。その内視鏡の診断能力をさらに進歩させたのが拡大内視鏡とNBI(narrow band imaging)やBLI(blue laser imaging)です。NBIではフィルターで青と緑の光のみを観察します。こうすることにより粘膜や血管の構造がわかりやすくなります。胃がんの組織は遺伝子が変異することによって周囲の粘膜や血管の構造が変化しますので、この変化があればがんの存在を疑うことができます。さらに、拡大内視鏡のおかげで粘膜を拡大して観察することができるようになりました。通常の白色光で観察すれば大きな変化がない粘膜も、青や緑の反射光を強調することによって血管の異常や胃の腺菅の並び方の異常が診断できるようになり、さらにこれを拡大することによって診断が一段と容易になったのです。
早期の胃がんがどのように見えるかを見てみましょう。
左は通常の白色光による内視鏡観察。右はBlue Laser Imaging (BLI) 画像です。左白色光では訓練された医師でなければ見落としてしまうくらいの変化ですが、右の拡大したBLIでは明らかに他とは違う局面をもった病変の存在がわかります。
Narrow Band Imaging (NBI)による観察。左は白色光による観察です。少し赤いところ(発赤)があるのがわかります。右はNBI画像です。ほとんど陥凹(かんおう)のない病変で、周りと血管の構造の違う局面を持った病変があることがわかります。
これらの病変は陥凹がないことからバリウム検査によって発見することは困難です。BLIとNBI、拡大撮影は胃がん、食道がんの早期診断に革命的な進歩をもたらしました。
がん検診とは
1)安全で
2)安価な検査を行い、がんの発見を行い、引き続き治療を行うことで
3)がんによる死亡率を減少させる
検査です。
死亡率が減少しなければ有効な検診とは認められません。我が国では胃のバリウム検査と内視鏡検査が推奨されていますが、同じく胃がんの多い韓国ではバリウム検査は(死亡率減少のエビデンスがないため)検診として行うことは推奨されていません。日本では2014年に胃内視鏡を用いたがん検診が死亡率を減少させる効果があるとして、検診へ導入されました。検診でがんの死亡率が減少することを証明するには長い期間と膨大な予算がかかります。特に「がん登録」(※1)の進まない我が国においては、いつまでたっても結果を出すことは難しいのです。
検診には常に過剰診断、偽陽性、偽陰性、などの問題が伴います(池井戸高志の項参照)。内視鏡検査には出血、呼吸抑制などの合併症も報告されており、内視鏡医の技量も千差万別であることは否定しようのない事実です。今回示したように、拡大内視鏡やBLI、NBIといった、その技量の差を埋めることのできる内視鏡の開発が進められているのです。
対策型検診として全ての健康な人に内視鏡検査をすることは問題があるかもしれません。しかし、その人たちにバリウム検査をすることにはもっと問題があります。飛行機で行くところを自転車で行けというようなものです。今後福祉政策として行う対策型胃がん検診を効率的に行うためには、ピロリ菌関連の高リスク群の把握と適切な検診間隔の設定、検診の精度管理、そして検診の意義を周知し検診受診者を増加させることが求められています。さらに、コロナ感染症で明らかになったように、我が国における個人情報の適切なデジタル管理が行われることが、すべての国民の福祉に寄与し効率的な予算管理につながるものと考えます。
(※1)「がん登録」とは、がん患者について、診断、治療およびその後の転帰に関する情報を収集し、保管、整理、解析する仕組みです。
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