参照:「民主主義と自由権はそろそろ終わるかもしれない」慎泰俊 2018.11.06
ヘーゲルは、意識を主題とし、動物的な子孫の承継を目的にした情動的な生き方から、相手にも同様にその意識があれば、ついには、他者との「自由の相互承認」を行い、「絶対知」に至るであろう過程を、個人の精神と社会的変化に対して、弁証論的に証明した。
ヘーゲルの時代から、第一次大戦(戦死者1000万人)と第二次大戦(戦死者2000万人~3000万人)を経て、冷戦時代を経過し、やっと1989年には東西冷戦の終結と共に、自由や人権を尊重する民主主義社会が世界に広まるとの期待が高まった。西側に参入した東欧諸国も民主化され、共産主義体制の中国も次第に民主化されるだろうし、さらには、発展途上国にも民主主義のシステムが広まると希望が膨らんだのである。ただし、チャーチルが指摘した、「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが(It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.)」との指摘のように、民主主義は効率の良い統治形態とは必ずしも言えないのも確かである。
慎氏の投稿では、中国の台頭を念頭に置いて、民主主義は必ずしも効率が良いシステムとは限らず、自由権や民主主義を守りたい人がどの程度いるかも疑問であり、安心・安全かつ便利で快適な生活が提供されるのだとしたら、少なくない人が個人のプライバシーと自由を喜んで差し出すのではないかと指摘している。
この社会的視点を、人間的視点から見るとどの様なことになるだろうか。トマス・ホッブスも指摘したように、社会の変化あるいは進化は、戦争などの殺戮や破壊への対応手段として行われるようだ。つまり、世界は第一次大戦、第二次大戦の悲惨な経験を基にして、自国中心主義・全体主義的な考えから、民主的で人権を尊重し、国際協調を基にした考えに同意したのである。大量殺りくが行われた二つの戦争は、それ程の意識変化をもたらしたのだ。そして、皆が自分の利益を訴えると争いが生じるために、理性を働かせ協調する枠組みを作ったのだ。その流れは、第二次大戦後にも西欧諸国(日本を含む)には、引き継がれている。
しかし、社会主義が崩壊したのは、民主的運動よりも経済的要素が大きい。ソ連を初めとした社会主義国は、現在の北朝鮮に見られるように、膨大な自国の経済状態とはかけ離れた軍事費を計上した。その結果としての西側諸国の勝利だった。民主主義が勝利したとは必ずしも言えないのだ。
戦争の悲惨な経験が遠のくと、足元の経済的利益が最も優先課題となり、どの国においても経済問題が争点となることによって明らかである。つまり、悲惨な戦争体験は戦争の惨禍を二度と起こさないようにするには、自分の生存を脅かす戦争を回避するために、戦争を好まない「成熟した人民」に国の統治を任せること、つまり民主制を選択したのだが、チャーチルの言葉にあるように、民主制はそれを構成する国民の「意識」に依存する。経済優先の意識が強ければ、民主的な統治よりも(これは非常に無駄が多い)、誰か頭の良い人が独断的に最も効率の良い方法を決めてくれる方が良いと考える。長年かかって作り上げた、自由や人権などの理念は、効率性に道を譲ることになるかもしれないのだ。
歴史は繰り返すと言う言葉のように、悲惨な戦争の経験が遠ざかると、経済的利害のみが優先され、利害が衝突した場合に、それを解決するための「超越的な理念」つまり、自由と人権の意義が廃れ、むき出しの利害衝突が起こる恐れもあるのだろう。これは、まさしく、理性が情動を抑制できない人間の宿命かもしれない。
恒久平和は人類にとっての悲願である。しかし平和がなぜ必要かは、それ以前の悲惨な体験による。悲惨な経験が遠のくと、目先の利害に人間は左右されるのだ。現在は、第一次大戦、第二次大戦の記憶が薄れ、それらを二度と起こさないようにするための理念(自由、人権)が、さながら「古い」ものになりつつある。人類が築いた理念(自由、人権)をすべての人たちが共鳴し、心に留める為には、「絶え間ない議論」が必要であり、「民主主義教育の必要性」が高まるのである。そうでなければ、人類は効率性を求め、特定の人の支配に身をゆだねる結果、再度悲惨な戦争に再び突入する可能性がある。
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