犬が人間を噛んでもニュースにはならないが、人間が犬を噛むとニュースになる。同様に、交通事故が普通に起こってもニュースにはならないが、高齢者が事故を起こすとニュースになる。
エイジズム(ageism)は、年齢を理由にして、人を差別する考えである。日本では、長い間、高齢者を尊重する習慣が残り、欧米に比べ、エイジズムは少ないと思われてきた。しかし、近年高齢者の地位の低下と共に、社会のいろいろな場所で、エイジズムが見られるようになっている。高齢者の地位の低下は、平等社会の到来と歩調を合わせて進展している。かつての階層社会では、「家」の継続が重視され、その為に「家」の格が高い場合は、高齢者は伝統を受け継ぐ意味で貴重であった。それは、社会一般の道徳となり、高齢者は「家」から離れても尊重される場合が多かった。平等社会に移行すると、「家」制度が次第に崩れ、高齢者の価値を裏付ける意味が消失した。平等社会は、基本的には望ましいが、かつての階層社会において権利を持っていた高齢者は、平等社会においては権利を失い、それによって道徳も変化した。すべての人間が対等に扱われると、能力や努力が価値を決めるようになる。その結果、階層社会から残っている社会的慣習と平等社会の制度との間にはギャップが生じている。
平等社会の理念からは、高齢者は次のように規定される。年齢による権力、権威の所持は許されないが、もしも、身体的・精神的な障害がある場合は、社会はこれを一般の障害者と同じように、十分考慮すべきである。しかし、制度とは異なり、社会的な慣習は急に変化することはないので、その結果、複雑な様相が生まれる。
子供やその配偶者にとって、高齢者(親たち)は尊重すべき対象でもあり、一方で、何らかの障害が有り、能力が下がれば、高齢者(親たち)は価値の低い存在として見られるようになったのである。これらの矛盾する上下関係が障壁となり、平等社会での必須条件である話し合い(対話)が、家族間でも未だ十分に行われていない状態である。平等社会では、「対話」が最も重要な手段であるにも関わらず、「対話」なしの、権力関係(元気な時には親優位、障害発生後は子優位)や慣習によって相互の関係性が作られている。その結果、高齢者は障害の所為で身体的・精神的に能力が低下すること、障害の程度と比例して、その意見を無視されるようになっている。
老人ホームやその他の高齢者ケアにおいて、自分自身の処遇を自分で決めることが平等社会での基本であるとすれば、現状はそうではなく、処遇の決定に家族が大きな役割を果たしている。その家族の役割が平等社会の原則(対話)に沿って、高齢者自身の希望を代弁することが出来れば、高齢者本人にとっても好ましい状態である。
けれども、社会の移行が不十分なために、権力(発言力)の有無で処遇が決定される状態は、高齢者にとって非常に悲しいことなのである。従来エイジズムが無いと言われていた日本において、現状では「対話」の不足による新たなエイジズムの発生が進んでいる。
エイジズムを無くするためには「高齢者」分類を廃止し、0歳から100歳以上まで、障害があるかどうか、助けを必要としているかどうかによって、制度を作り替えるべきだろう。
その上で、医療介護は、年齢によって制度を分けることをやめ、「障害の程度」によって、支給を行うべきである。日本以外の大部分の国において、介護保険制度は年齢によって対象が区分されていることはなく、「障害の程度」によって年齢と関係なく支給されている。後期高齢者医療制度も、一般の医療保険制度を含め、年齢による分類でなく、「年収と資産」による保険料や一部負担金の分類に変更すべきである。
企業も、「シルバー○○」との触れ込みで商品開発を行うと、ことごとく失敗した経験を生かすべきだ。視力障害の人に対しての商品開発は正当性があり、聴力障害の人に対しての製品開発も年齢と関係なく有効である。しかし、もともと存在しない分類である「高齢者」に対しての製品開発は無駄に終わる可能性が高いのである。
障害者に対するいろいろな製品開発は、今までの大量生産方式でなく、個別のオーダーメイド方式に近い製造方式が求められる。完全なオーダーメイド方式の採用は、新しい製品が生まれる可能性を秘めている。製品の開発に関しては、薬の開発と同様に、対象者の多い障害に対する製品が企業的には優先されるが、対象者の少ない障害に対する製品開発に対しては、公的助成が必要となる場合もあり、その製品が結果的に多くの人に恩恵をもたらす可能性も出てくる。
そして、ITの使用は現状での間違いを訂正すべきだろう。現状では専ら、監視モニターがITの使用方法としては最も多いようだが、そうでなく、ITは自立支援のために用いるべきなのだ。危険を察知することをITの主たる機能と考えると、安全重視のために、自立性を阻害する結果となる。監視するのでなく、ITでの自立支援を主体としなければならない。例えば、車の自動運転もある種の自動車には必要となるが、大部分の自動車には、徹底的な安全装置の開発が優先されるべきである。(衝突防止機能の精度化など)
障害を持っている人にとって、車での移動を可能にすることが出来る装置が必要なのである。現状の高齢者に対する運転上の過度の警戒心を取り除く意味でも、早急に衝突防止装置を完成すべきである。
これらのITを使った補助具の開発に対して最も重要な視点は、まず、「高齢者」の概念を捨て(エイジズムを捨て)、どの様な障害あるいは困難性を持っているかに焦点を当てること、また、障害を持つ人が自分で行動することを前提として、その補助を行うような機器を作ることを目指すべきである。
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る