

私の住む北海道虻田郡ニセコ町有島は、大正時代の作家である有島武郎ゆかりの地として知られている。この地域には有島武郎の功績を称える「有島記念館」があり、文学と自然の両方が楽しめる魅力的な場所となっている。
1922年7月18日 狩太村(現在のニセコ町)の農場主、有島武郎が弥照神社に小作人を集め無償で農場を解放する「農場解放宣言」を行った。今からおよそ100年前、この農場無償解放という出来事の裏にどのようなドラマがあったのか。現在の資本主義システムの中に置き換えるならば、資本家が利益を放棄して、労働者たちが自ら生産したものやその収益を自由に使えることを意味しているに等しい。しかもこの解放宣言の中には「その労働者の頭数に分割して、という意味ではなく合同してそれら全体を共有し互いに助け合い相互扶助の精神を持って将来を導いていってほしい」という願いが込められている。
この100年、世界では様々な出来事が起こり、激動の時代の中で日本は相対的に豊かな国となった。反面、経済的な豊かさや便利さを求めすぎた結果、多くのものも失われた。急激な経済成長の裏には大量生産、大量輸送、大量消費、大量廃棄など地球の自然環境にとっては負となる活動があった。そうした影響により、環境破壊や気候変動が加速したことで、毎年のように気象災害を引き起こしているとも言われている。
また、経済成長至上主義が生み出した社会の貧困化の原因のひとつに、行き過ぎた資本主義システムが挙げられる。経済競争が過熱し拝金主義の資本家や経営者がこぞって利潤を追求し、消費者にさらなる消費を促し続ける。この社会システムが大きな経済格差を生み出し、富める者と持たざる者との分断を拡大させてきた側面もあるだろう。
巨大商圏の都市部に人口が集中し、効率化のもとに社会や経済が形成されて、地方から人口や富を吸い取り続けてきた。一次・二次産業が弱体化した一方で、都市部に流入した人々が成長華やかに見える金融産業や需要変動の激しいサービス業などに群がり、時世がさらに転職を煽る。そうして経済成長が行き詰まり、若者たちから未来の希望を奪っていく。結果として結婚や子供を持つことを人生の選択肢から遠ざけ、人口減少を加速させてしまっている。
これが飽くなき経済成長を追求し、豊かさを求めた先進国であるはずの国、「日本」の偽らざる姿である。果たしてこれは100年前に描いた未来の豊かさなのか。今となっては取り戻せないものが多くなってしまった。
個人的な世迷言に思われるかもしれないが、私がこの有島の地で暮らして日々感じているのは、一極集中の続く東京とは同じ国・時代と思えないくらいのゆとりが在る、ということだ。もちろんそれは目に見える物量的な豊かさのことではなく、人が生きていく上で必要となる、もっと原始的で本質的なものである。
まさにそのことを、有島武郎が100年前に自身の農場を無償で解放する際に「小作人への告別」と題した文章の中で、宣言の主旨をこう書いているのだ。
「生産の大本となる自然物即ち空気、水、土地の如き類のもの。それらは人間全体で使うべきもので、或いはその使用の結果が人間全体の役に立つように仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によって私有さるべきものではありません。我々の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現在の不備な制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、我々の正しい精神と生活が自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります」 と。
ニセコは今、リゾート開発目的の用地をめぐり国内外の多くの資本家や投資家たちから注目を集めている。しかし残念ながら地域振興に資する、共感に基づく歓迎すべきような開発行為ばかりではない。無許可で森林を伐採した開発行為が問題となって工事が中断したり、住民の命の源である水源地所有を巡って、自治体を相手に言いがかりのような訴訟を起こしたりするような事態が発生している。こうした浅ましい事態は、地域住民にとって非常に残念なことであるのは間違いない。同時に、100年前にこの地を無償で解放した有島武郎にとっても、あの時に願った状況にはなっていないのではないだろうか。富裕層がリゾート事業の地主となり、再び労働者たちから小作料を巻き上げようとしているのである。
もし、これまで多くの富める者たちと持たざる者たちが互いに助け合い、有島武郎の遺訓である相互扶助の精神を持って社会を築くことができていたらどうなっていただろう。今よりは本質的な心の豊かさがもたらされ希望に満ちた社会が実現していたのだろうか。過去と他人を変えることはできないが、それでも間違いなく言えることはこれからの100年で個々の人間がどんな行動をするかでこの社会の興廃が大きく決まっていくということだ。果たして100年後に引き継ぐべき豊かさとは何か。
私はこの有島の地に暮らしながらふと、真の豊かさとはゆとりある生き方のことなのではないかと思うことがある。ゆとりある生き方とは、経済的な余裕のことだけでなく、心にも余裕があり、自分たちらしく快適に暮らせる状態のことなのではないのだろうか。そんなゆとりある住人が集積する地域においては、貧富や国籍や年代など、出自の差別は生まれにくいことを、私は我が身を以て体感しているのである。
例えばこんな出来事があった。移住者の私が初めて近所の農家さんの手伝いに呼ばれたときのことである。その農家さんは100年前に無償解放宣言を受けた小作人の子孫である。よそ者の移住者である私に声が掛かったその時は、何か少し地域住民の仲間として認められたようで光栄な気分だった。そして数日後、手伝いの出面賃を届けてもらう時に自宅を留守にしてしまっていたことがあった。その時は家族で旅行に行っており4日間自宅を空けていたのだった。帰ってきたら玄関のカギを閉め忘れていたことに気付き「しまった!カギを閉め忘れて、泥棒に入られたか?」と恐る恐るドアを開くと、玄関内にその農家さんからの出面賃と大量の野菜が置いてあったのである。こういうことがあると、この有島に住んでいてよかった、幸せだなぁと心から思えるのだ。
自分たちの家族が住んでいる有島地区で農家さんの手伝いに呼んでもらえる。そこでの米の籾摺りやユリ根作業はまさに収穫時期の喜びの作業そのものだ。この地で採れた美味しい野菜を家族で食べる夕餉の時間、我が子たちに聞かせる農作業の話は彼らにとって最高の食育の場となるのだ。そして時折、誰がくれたか分からない野菜が玄関前に勝手に置いてあるようなこともある。その野菜を心から安心して食べられるこの幸せ。それはまさにこの地域に根付く相互扶助の精神が成せる賜物なのではないだろうか。100年前からこの地に根付いているこうした心の豊かさが、変わらずに地域の人々によって100年後も引き継がれて行くことを願っている。
終わりに、まちづくり基本条例を掲げている大好きなこのニセコ町で暮らせていることと、住むことが誇りに思えるこのまちの有島地区で3人の子育てをさせてもらったことに深く感謝したい。いつかこの町で育った子供たちが世界に羽ばたく時が来るかもしれない。様々な場所で出会う人たちから出身地を聞かれることもあるだろう。その時にはぜひ、北海道ではなくニセコ町です!と胸を張って答えてほしいものだ。この町で育った誇りと相互扶助の精神を忘れずに、また真の豊かさに自ら気付いて、実り多き人生を歩んでくれる事を心から願って已まない。
そんなことを今、私はこの良きところ有島に暮らして想うのだ。







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