家族の位置づけをどのようにするのか?

社会制度を考える際に、「家族」の問題を無視するわけにはいかない。30万年前に人類(ホモ・サピエンス)が生まれて以来、長い間「家族」は社会構成の基礎となっている単位だった。いわば家族は、一個人が自由であるように、社会から家族単位で自由に活動するとみなされ、個人が自分の身体を自由に扱うように、家族の内部で何が起こっても、それはプライベートの範囲とみなされた。しかし、家族の中にも個人が存在する。家族が最小単位であるといっても、さらにその中に個人というもっと細かい単位が存在するのだ。長い間、家族と個人との間に食い違いや争いはあったが、同じく長い間、揉め事は家族の内部で解決すべきものと思われていた。社会あるいは統治者は、このようなシステムを続けるために、家長を指名して、家族の統制を取るようにした。大部分の家族は、家長を年齢の経ている男性に当てていた。西洋でも東洋でも同じようなものだった。

しかし、従来の農業や家内工業から、産業革命によって、生産の場が家庭から工場や市場に移ると、家族は「労働単位」から「生活単位」へと変化した。近代国家は国民統合のために従来の大家族から、家族単位をより小さくし、「標準的な家族像」(夫=稼ぎ手、妻=専業主婦、子ども=扶養される存在)を家族の典型的な姿とした。しかし、仕事が家族単位から外に出て、家族単位でない仕事(農業などの家族労働から工場労働者などの個人労働者)が数多く発生するとともに、また、仕事によって獲得した富が増大するにつれて、個人、特に女性は、家族に拘束される必然性が乏しくなった。家長と称される年長の男性からの支配から抜け出す動きが強くなった。

社会がその最小単位を家族に置くことが出来なくなっても、その代替となる単位が個人では、あまりに社会の安定さを欠き、さらには個人が社会から受けるストレスが増加する。世界は18世紀から現在まで、家族外での労働を増やした代替として、何を社会の単位とするか決めかねている。しかし、近代では、建前的に個人が社会の最小単位であることは、法的にも明らかになっている。現代の多くの国(日本を含む)では 「個人が社会の最小単位であり、家族ではない」ことが法的に保障されている。1947年の日本国憲法の公布と同年の民法の改正によって、それまでの戸主権は廃止された。多くの民主主義国でも同様だ。

完全にかつ旧来の意味で「戸主が家族を法的に統制する家制度」を維持している民主主義国はほぼ存在しない。 ただし、「世帯登録 head of household」の制度など、人を代表者(または登録・行政手続きの責任者)として選ぶ制度は、多くの国で残っていて、その中で世帯主に一定の義務や行政上の代表権を持たせているものがある(ベトナムなど)。しかし、「戸主権」が「戸主が家族を統制できる強い権限」を意味するなら、それを完全に認めている国は非常に少ないと言える。制度が残っていても、現代の法律・憲法の下では「個人の尊厳」「性の平等」「自由意思」などにより、戸主の権限は大きく制限されている。

自民党の改憲草案や党内議論では、「家族の尊重」「家族は互いに助け合う」といった文言を憲法に入れる方向が示されている(いわゆる「家族保護条項」)。「家族保護条項」は文言次第で個人より家族(あるいは家長的価値)を優先する解釈につながりかねないため、憲法に入れることに対する懸念(個人の権利後退や女性の権利制約など)を指摘する意見がある。

近代の流れからは、特に富を得る単位が男性のみでなく、女性全般に広がると「家族」は権限を縮小し、機能も小さくなる。従って、家族は「拘束的」に扱うのでなく、「状況的」に扱うべきだろう。つまり「助け合わないといけない」単位でなく、「必要なら助け合える」関係に変わるべきだろう。

しかし、一方では個人が家族の囲いを捨てて、直に社会と向き合う場合は、個人は孤立することを免れず、ジグムント・バウマンの言う、「リキッド・モダニティ(*1)」の世界に入り、職業、ライフスタイル、人間関係、消費などのあらゆることが、社会の規範や規制といった枠組みによらずに、直接、個人に選択権が移ることによって、すべてのことを個人が引き受けなければならない危険も生じてくる。結果的に現代社会では、孤立した個人のストレスが大きくなり、それに対応できない場合も増えていくと思われる。この場合、血縁家族というよりも、選択的家族(chosen family)=性的少数者(LGBTQ+)のコミュニティなどで使われる概念、コミュニティ型の共同生活、地域社会・近隣ネットワーク、デジタル共同体(オンライン・コミュニティ)などが家族の代替となるかもしれない。


(*1)リキッド・モダニティ:ジグムント・バウマンの代表作。社会は封建時代のソリッドモダニティ(固定化された社会)から、自由主義社会に移るにつれて、リキッドモダニティ(液状化した社会)へと移っていき、個人が社会の中に単独でさらされる。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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