リハビリテーションの現場から

私は 「回復期リハビリテーション病棟」に勤務する医師です。

 

団塊の世代(約800万人)が75歳以上となる2025年以降は、国民の医療や介護の需要が、さらに増加することが見込まれています。

 

このため、厚生労働省は、2025年を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進しています。そこで元気に年を重ねるためにリハビリテーションが重要視されるようになってきました。

 

脳卒中になると、最近では急性期病院⇒回復期リハビリテーション病棟⇒自宅、場合によっては老人ホーム に至るのが普通です。「回復期リハビリテーション病棟」では脳梗塞・脳出血・クモ膜下出血などの脳血管疾患や骨折、脊髄損傷などを発症後、急性期病院から2カ月以内に転院または転棟し、リハビリテーションを集中的に行なう病棟です。急性期病院退院時には、大抵「さあ、これからはリハビリテーションを頑張って元気になって下さい!」と言われ、患者さんもご家族も「元のように動けるようになれる」と魔法にかかるかのように、期待に胸をはずませて入院して来られます。急性期病院の主治医は、リハビリテーションをしたからといって障害が完全になくなるとは言ってはいないのですが、患者さんやご家族は「元気になる=障害が無くなる」と思い込んでしまう方が多いのです。

典型的な患者さんの事例を紹介します。この事例は、リハビリテーションによって、かなり障害が緩和されましたが、残念ながら自宅復帰とはならず、老人ホームに入居されました。

患者Aさん 68歳 男性

脳梗塞を発症し、左上下肢の重度麻痺、嚥下障害、言葉がはっきりしない構音障害の後遺症があります。そしてもう一つ重大な後遺症 高次脳機能障害が認められます。Aさんの高次脳機能障害は注意障害、左半側空間無視、身体失認、記憶障害、病識の低下など多岐にわたります。高次脳機能障害は、あまり一般には知られていませんが、下記のような症状があり、普通の生活に困難を来す大きな原因となっています。

 

※注意障害:注意障害とは、周囲からの刺激に対して、必要なものに意識を向けたり、重要なものに意識を集中させたりすることが、上手くできなくなった状態をいいます。長時間一つのことに集中できないこと、一度に二つ以上のことをしようとすると混乱するなどの特徴があります。
※半側空間無視:右か左の半側のものが認識できず、あたかも見えていないような行動をとる。例えば、左半側空間無視の方は左側のものにぶつかる、食事のトレーの左側の食器の食べ物がわからず残っているなど。
※身体失認:自分の体、例えば麻痺側の上肢が車椅子の外に出ていても分からない。この足は自分の足でないと訴えるなど。
※遂行機能障害:論理的に考え、計画し、問題を解決し、推察し行動することができない。また、自分のした行動を評価したり分析したりすることができない状態。
※感情失禁:自分の感情をコントロールできず、突然怒りだしたり泣き出したりする

Aさんは入院当日 車椅子乗車時に身体が左に傾き倒れそうになったり、ベッドに臥床すると右手でベッド柵を持って起き上がりベッドから転落しそうになり、慌ててベッド柵を4本にすると 今度はベッド柵を乗り越えようとする。もちろんナースコールは押せない。病棟スタッフは声に出しては言わないけれど「先生、なんとかして!今晩どうなるの?」と眼で語りかけてきました。
仕方なくベッド柵にタッチコールを付け、ベッド下には衝撃緩衝マットを敷き、その上にフットコールのセンサー置いて、万全の態勢をとりました。
翌朝、恐る恐る出勤すると「先生、Aさん朝まで寝たんですよ。」とにこやかに報告してくれ、よかった、よかったと胸を撫でおろした次第です。

入院2日目から本格的に理学療法・作業療法・言語療法を1日2~3時間行います。その上Aさんには嚥下障害があるため、摂食嚥下訓練も行い、週3日は入浴をするというとても忙しい入院生活が始まります。
入院の際、ご家族に「ご自宅へ退院するためには最低限 何ができるようになってほしいですか?」と訊くことにしています。ほぼ100%「トイレへ歩いて行って自立することと、食事が自立することですね」という答えが返ってきます。
Aさんは入院後1カ月もすると少しずつ落ち着き、車椅子座位も安定してきました。食事もスタッフの声掛けの下(時々トレーのお皿を右側に移動させますが)自分で食べられるようになり、言葉もはっきりしてきました。
しかし、問題は家の中を歩いてトイレへ行けるようになるかどうかです。ほとんどの家は段差があるので、歩行器や車椅子は使えません。杖か家具などを伝って歩けるようにならなければ自宅退院は困難です。ましてやトイレ動作が自立するのはもっと難しいのです。

 

Aさんは100日あまり毎日リハビリテーションを頑張りました。日中はスタッフの介助があればトイレで排泄ができるようになりましたが、自立にまでは至りませんでした。入院中スタッフでカンファレンスを月2~3回行い、その結果を踏まえてご家族とも何回も話し合った結果、自宅ではなく、施設へ入所という選択をされました。

 

退院後もできる範囲でリハビリテーションを続け、いつか住み慣れた地域で、Aさんらしい暮らしを人生の最期まで続けることができますように。そう祈りつつ退院を見送りました。

ペンネームドクターX
訪問診療と通所リハビリテーションに10年かかわり、現在は回復期リハビリテーション病棟で少しでも障害が軽減し、その人らしい人生が送れるように患者さまを応援しています。
訪問診療と通所リハビリテーションに10年かかわり、現在は回復期リハビリテーション病棟で少しでも障害が軽減し、その人らしい人生が送れるように患者さまを応援しています。
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