『すばらしき新世界』から日本の「施設」を考える

オルダス・ハクスリー『すばらしき新世界』では、個人の違いは嫌悪され、すべてが同じような人種で構成された社会である。苦痛は「ソーマ」という薬で除去される。妊娠、出産に伴う苦痛は、人工子宮のため存在しない。苦しいことは悪とされている。この世界では、正常が当然とされ、正常から外れるものは悪であり、存在すべきものではないとされる。世界は平均的な人たちのみで作られ、平均より外れる人は社会の外に追いやられ、それなりの「居心地を良くした」施設で生活する。これは小説の世界であるが、現代はまさしく、このような世界に向かい、特に日本ではその傾向が強いのではないか?つまり、「正常」が尊重され、「正常」から外れると居心地が悪くなる社会である。

日本の「施設」数の多さには定評がある。「施設」とは、アービング・ゴフマン(*1)が示した、「全制的施設」に近いものだ。そこは、多数の類似の境遇にある個人が、一緒に、相当期間にわたって一般社会から遮断されて、閉鎖的で形式的に管理された日常生活を送る居住場所である。このような施設には、長期入院の医療機関(特に精神病院)、障害者施設、知的障害児に対する支援学校、高齢者施設などがある。ノーマライゼーションの運動が起こった1960年代から、多くの国では施設を廃止し、一般住宅に住む運動が始まった。人間らしく自由な生活を送るためには、「施設」は不向きであるとの判断からだ。なぜなら、「施設」では、「管理」「安全」が優先され、個人の「自由」は抑圧されるからだ。結果的に先進諸国においては、これらの施設は廃止あるいは大幅に縮小された。日本でも一時的には、ノーマライゼーションの運動は盛んになり、「脱施設化」が進められようとしたが、その後、このような運動は挫折している。

なぜ、日本での「脱施設化」が挫折したかについて、高齢者施設を取り上げてみよう。1990年代から従来の老人ホームの典型である「特別養護老人ホーム」の改革が目指された。ゴフマンの「全制的施設」からの改革だ。まず行われたのが、多人数室の個室化である。この時点で早くも抵抗が生まれた。個室化に伴って入居費用が上がり、これに対する不満が表面化した。ただしこの不満は、入居者本人ではなく、家族からである。

「施設」にこだわれば、そこには当然ながら「安全」「管理」が優先され、「自立」「個別化」「自由」は必要なものとはみなされない。結局いくら内容を変えても、「施設」であることを前提とするなら、「自立」「個別化」「自由」は実現されない。一般社会から切り離された障害の強い高齢者は、むしろこのような「施設」こそが、幸せに生きるために、また、家族のためにも必要な場所であるとの認識が一般化したのだ。障害者施設でも同様だ。これでは、まさしくハクスリーの『すばらしき新世界』そのものだ。

北欧の国々では、ノーマライゼーション(普通の生活)を実現するためには、施設を廃止する以外には、社会との一体化した生活、自由や尊厳を守る生活はなく、「脱施設化」を行うしか方法がないことを認識した。結果的に、高齢者施設、障害者施設、精神病院などを廃止あるいは縮小したのだ。高齢者施設は高齢者住宅に、障害者施設は自宅やグループホームに、精神病院も大部分は廃止され短期間の治療のみを対象とするように変わったのである。施設をなくした世界では、個人の領域にはあまり踏み込まず、個人が一定の「リスクを取る」ことも前提とされ、必要な場合にのみ援助が行われた。

日本での高齢者住宅は結局「サービス付き高齢者向け住宅」「住宅型有料老人ホーム」など、施設形態を残し、住宅への転換ができないままに推移した。その結果、起こるべくして起こるような現象、高齢者の無気力感、虐待の発生、介護費用の増加、そして変わらない在宅介護の懸念、仕事と介護の両立の難しさなどが問題となっている。

結局、日本では高齢者や障害者の自由、自立に向けた積極的な取り組みがなされないまま、高齢者・障害者の保護、援助が優先され、保護的に生活を助けるためのみに細かいケアプランが作られる。「自由」は邪魔なことなのだ。これらの「施設」においての、自由と自立に基づく生き方は、「脱施設化」つまり、施設自体を廃止することによってのみ実現することが出来るが、もはやその考えは失われているように思われる。


(*1)アービング・ゴフマン;カナダの社会学者。1961年の著作「アサイラム」は、施設としての精神病院を研究の対象とし、精神医療の改善運動に大きな影響を与えた。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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