社会に左右される障害者の人権・平和の贈り物

最近は、セクハラ・パワハラ・体罰など「人の権利」や「人権」に対する社会の考え方が大きく変わってきました。生きづらく感じるもいれば、逆に生きやすく感じる人もいて、人それぞれです。障害者に対する差別や偏見も、昔に比べるとかなり減ってきたように思います。こう感じられるのも、戦後80年にわたって平和な時代が続いたからでしょう。けれど、そんな社会も一瞬で人権が奪われるほどもろいものであるーーそのことを書きたいと思います。

私は障害者として、障害者の目線から歴史を振り返ってみると、戦前の障害者は生きること自体が難しい時代でした。私は仮死状態で生まれましたが、戦前や戦後まもない頃の医学では、私のような重度障害者は「この世に存在しなかった」ことになっていたでしょう。また、1900年から1950年まで「私宅監置法」という法律があり、重い精神障害者を自宅に閉じ込めることを認めていました。国が主導して障害者を社会から排除していた時代で、人権という概念はほとんどありませんでした。

戦時中の障害者は、戦争の影響でさまざまな困難に直面しました。障害の種類や程度によっては徴用される人もいましたが、多くは差別され、「生きていることが無駄」とまで言われた時代です。ドイツでは「障害者安楽死計画」のもと、約20万人が国家によって命を奪われました。戦争は「生きるか死ぬか」の極限状態であり、人権など存在しません。だからこそ、絶対に戦争は起こしてはいけないと思います。戦後の日本でも、1948年から1996年まで「優生保護法」が存在しました。この法律のもと、重い精神障害者には強制的に避妊手術が行われ、まるで犬や猫のように扱われたのです。障害者の人権は、依然として存在していませんでした。

障害者の人権が社会に認識され始めたきっかけの一つが「川崎バス闘争」です。1977年、神奈川県川崎市で、脳性まひ者を中心とする「全国青い芝の会」が、バス乗車拒否に抗議してバスを占拠しました。この闘争は、公共交通機関のバリアフリー化を進める大きなきっかけとなり、「電車やバスに乗る」という当たり前の権利が障害者にもあることを、社会に強く訴えました。この頃からようやく、障害者の人権が考えられるようになりました。

その後、日本各地で障害者施設や特別支援学校が増えていきました。私の住む三重県でも、当時は特別支援学校が県内に1校しかなく、遠方から入学する子どもが多く寄宿舎で暮らしていました。私は幸いにもバス通学ができましたが、「障害がある」というだけで地元の学校には受け入れてもらえず、幼いころから家族と離れて暮らす子も少なくありませんでした。教育を受ける権利も、家族とともに暮らす権利も、人として当たり前の権利です。しかし当時の障害者には、そのどちらか一方しか選べないことが多かったのです。今では、地元の学校が障害のある子を受け入れるようになり、三重県内にも特別支援学校が10校設置されました。幼いころの障害者の人権は、昔と比べてずっと守られるようになった気がします。

ただ、「インクルーシブ教育」という理想には、まだ道半ばです。放課後、健常児は学童保育へ、障害児は放課後デイサービスへ。行き先が分かれてしまうことで、子どものうちから「壁」ができ、社会の意識の中にも差別が生まれてしまっています。

大人になっても、「障害者は施設で暮らすのが当たり前」「明るく穏やかに暮らせれば幸せ」という社会の意識があります。しかし、その考え方が障害者と社会の間に見えない壁をつくり、「働く権利」「家族と暮らす権利」「恋愛する権利」「子どもを持つ権利」「子どもを育てる権利」人として当たり前の権利を奪ってしまうことにつながっています。「障害があるから無理」とあきらめてしまう社会の風潮こそが、知らず知らずのうちに障害者の人権を侵しています。

日本ではいまだに、障害者を「守る存在」として見ており、「社会の一員」として見ていないことがあります。命を奪われることはなくなったものの、障害者の人権が守られるようになったのは80年にわたる平和のおかげです。しかしそれはガラスのように脆く、少しの衝撃で壊れてしまいます。2016年には「やまゆり園事件」で19人の障害者が殺害されました。犯人には精神障害がありましたが、責任能力ありとされ死刑が確定しました。事件後、「精神障害者は怖い」「危険だ」という偏見が広まり、就職や賃貸契約を断られるケースも増えました。「精神障害者」というだけで社会から排除されるーーそんな脆さが今もあります。

コロナ禍でも、「障害者は弱い」というイメージから、健常者よりも長く隔離・自粛を強いられることがありました。その結果、うつ病になったり、抵抗力落ちて病気になったりする人も多くいました。

障害者の人権は、平和だからこそ守られてきたものです。2013年には「障害者権利条約」も批准され、法でも守られるようになりました。しかし、戦争や事件、感染症などによって、人権は一瞬で奪われる可能性があります。だからこそ、平和な社会を守ることこそがみんなの人権を守ることにつながると私は思います。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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