

日本の援助は誠実だが、戦略がない。最近のJICA事業をめぐる議論は、その象徴である。巨額の予算と膨大な手続きを動かしながらも、支援の“成果”より“形式”が優先される構造だ。日本の対外支援は、「人道」「信頼」「共存」といった美しい理念を掲げてきた。しかし、いくら理念を語っても、その裏に“国家としての意図”が見えなければ、国際社会では評価されない。
欧州や中国がアフリカで展開するのは、きわめて現実的な国益外交である。欧州は理想主義を語りながら、極めて計算高い。人権・環境・平和といった普遍的価値を掲げる一方で、その理念を武器にして自らがルールを設計し、他国をその枠組みに引き込む。EUの排出量取引制度(ETS)や「カーボン・ボーダー税」は、表向きは環境政策だが、実際は欧州産業を保護し、域外企業にコストを負わせる経済的ムチでもある。つまり欧州外交とは、「理念を掲げて実利を取る」という構造的巧妙さの上に成り立っている。この“アメとムチの二重外交”こそ、現代の国益外交の完成形といえる。
中国は、欧州とは異なる形で現実主義を極めている。それは「孫子的外交」と呼ぶべきものであり、軍事力よりも構造と心理戦を駆使して“戦わずして勝つ”戦略を取る。孫子は「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」と説いた。中国の外交はまさにこの原理を現代に再現している。
たとえば一帯一路は、単なる経済支援ではなく「恩と負債による支配構造」である。資金提供によって相手国を依存させ、その後の政治判断や国際投票で影響力を確保する。AIIB(アジアインフラ投資銀行)は、世界銀行やIMFに代わる“並行秩序”を築く枠組みであり、国際制度の「外」から自らの秩序を形成する試みだ。さらに南シナ海では、国際法上のグレーゾーンを既成事実化し、「現実を積み重ねて法を変える」手法を取っている。いずれも“戦わずして支配を拡張する”孫子的な構造戦である。
対して日本は、理念は語るが構造を設計しない。「孫子の国」が戦わずして主導権を握る一方で、「善意の国」日本は戦う前から譲歩してしまう。理念を掲げることは尊いが、それを現実に落とし込む構造設計がなければ、国際政治では信頼を得られない。
では、何が足りないのか。その答えは現場にある。日本には、すでに理想的な外交の萌芽がある。それが「中村哲的外交」である。彼はアフガニスタンで井戸を掘り、命を救い、国家間の利害を超えて人間の尊厳を守った。その根底には“善意”ではなく“責任”があった。「困っているから助ける」のではなく、「生きる構造を共に築く」という視点──それこそが真の国益外交の原型である。
しかし、国家レベルの支援は制度化と予算執行に囚われ、「責任ある善意」から「形式的善意」へと変質している。成果よりも報告書、理念よりも手続き。現場で起きた真の学びは政策に還元されず、“JICA的善意”は善意であるがゆえに、しばしば戦略を欠く。日本は個人では誠実だが、国家になると慎重すぎて決断できない。その背景には「失敗を恐れる文化」と「責任の所在の曖昧さ」がある。善意が組織に吸収されると、善意は「保身」に変わる。こうして、現場の熱は制度の冷気で冷まされていく。
いま必要なのは、「中村哲的外交」を国家戦略として再設計することだ。現場主義と理念主義の融合、すなわち「誠実な戦略外交」である。人道を軸にしながら、そこに技術・制度・経済の三位一体構造を加える。「人に寄り添う外交」ではなく、「人と共に歩む外交」へ。それが、善意を越えて世界を動かす唯一の方法である。
“善意”は立派だが、それだけでは世界を動かせない。いま必要なのは「誠実な戦略」だ。理念に逃げず、現実を直視する外交こそ、真の信頼を生む。日本が再び世界から尊敬される国になるためには、善意よりも、覚悟ある国益外交が必要である。
──まさにいま、日本外交は危急存亡の秋にある。
この秋に変わらずして、国益の春は訪れない。







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