

「セミはうるさいからいない方がいい」
野村育世さん『蜘蛛』の冒頭6ページに、衝撃的な言葉が書かれていました。著者の同じクラスの子が言ったそうです。野村さんは「セミの鳴かない夏なんて、夏ではない」と言ったそうです。また、『サイレント・アース─昆虫たちの「沈黙の春」』の著者、デイヴ・グルーソンさんも、テレビのレポーターから、「昆虫が減っているのはいいことなのでは?」と質問された経験を語っています。グルーソンさんは都市生活者が目にする昆虫がゴキブリやハエといった「嫌われ者」ばかりなのが原因ではないかと考えています。
しかし、これは単なる無知や昆虫への嫌悪感を超えた、現代的な価値観の表れだと私は感じています。宮崎駿監督作品『天空の城ラピュタ』に登場するシータの「土から離れては生きられないのよ」という言葉を思い出します。私たちはどれほど土から離れてしまったのでしょうか。
虫がいなくなると植物は受粉できなくなり、農作物が実らなくなるため、全て人力で受粉させる必要があります。また、死骸を分解する虫がいなければ感染症が発生する可能性もあります。しかし、こうした理由で説得できたとしても、私は違和感が残ります。「虫も尊い命である」の後ろに、「役に立つのであれば」という注釈が、ついているからだと思います。
もし何の役にも立たないとしても、私はセミが鳴く夏やスズムシの鳴き声が聞こえる秋、カマキリの卵を見る冬、チョウを見る春を望んでいます。そこに利益や不利益は関係しません。虫に対して「有益か」「無益か」価値判断をする社会は、いずれ人間に対しても同じことをすると思います。若者は働くから大事にされるが、老人は「もう要らない」と切り捨てられる。男性は過労死寸前でも働けるから重用されるが、女性は生理や出産があるから採用をためらわれる。そうした社会は、個人の価値を「役に立つかどうか」で判断します。
私は、上野千鶴子さんが2019年の東京大学入学式で行った祝辞に感銘を受けました。「頑張ったら報われると思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないでください」と述べました。そして、「世の中には、がんばっても報われない人、がんばりたくてもがんばれない人」がいると指摘し 、「有益な人」と「無益な人」の間には、ほんのわずかな差しかないと語りました。
この言葉は、努力がすべて成功につながるという新自由主義的な価値観に疑問を投げかけています。私自身が進学校に通っていた際、家庭の経済格差や、弱者に対する冷たい視線を感じていました。努力すれば報われるという考えは、困窮は自己責任だという考えにつながりかねません。
人間が世界から切り離されると、そこには「ゼロサム思考」しかなくなります。誰かが得をするためには、誰かが損をしなければならないという考え方です。セミの鳴き声を騒音と捉え、嫌う世界は、誰かを蹴落とすような「デスゲーム」の世界観につながっていると感じています。
こうした価値観の行き着く先を考えると、ニーチェが「神は死んだ」と語った後、人間は精神的な支柱を失ったのではないかと思います。宗教の後ろ盾を失った人間は、人間だけで価値を生み出そう。そうニーチェは言いました。しかし、誰も超人になることはできませんでした。日本においても、精神疾患の患者数は増え続けています。私は、「宗教を信じよう」とか、「江戸時代に戻ろう」と言っているわけではありません。神に代わって自然とつながる必要があります。人間も自然の一部なのですが、忘れられているのです。だから虫のおかげで生きていると知りません。あるいは、実感していません。
養老孟司さんの言葉を借りれば、都市生活者にとっての現実は、ビルや電車、そしてお金です。虫の恩恵は都市では見えにくいため、「セミはいない方がいい」と言えてしまうのです。
私たちは、自分が誰に生み落とされ、何を食べて生きているのか、誰に支えられているのかを思い出す必要があります 。人間はまだ水槽の中から生まれたり、仮想現実で生きていたりするわけではありません 。私は、今後社会が大きく変化する可能性が高い中で、私たちが自然の一部であり、循環の中に生きていることを、今一度心に留めてほしいと思っています。







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