高齢者医療ー最前線レポートvol.6「老い無残」-日本の近未来

ある土曜日の外来の事です。初診外来の最後に、お見受けしたところ90歳を超えたと思われる男性が「足腰が立たなくなった」との訴えで来院されました。唐突な受診と、付き添われた娘さんの態度に(経験を積んだおかげか)ある種の違和感を覚えましたが、それが正解となりました。

 

この男性は病院から少し離れた団地の方ですが、ご自宅の目と鼻の先に医院があり、普段はそこで薬を処方されているとのことでした。そこで、「そちらには連絡されたのですか?」とお尋ねしました。すると「動けないので車椅子を貸してほしいと連絡したのですが、断られたのでこちらへ来ました」と答えられました。その医院は「在宅ケア」を謳った医院だけに、さらに違和感が募りました。

 

何とか診察台に寝て頂きましたが、やせ細り、声掛けにやっと返事をされる程度で、これは昨日今日の事ではないなと気が付きました。

早速、娘さんにこの状態はいつ頃からですかと尋ねると、「1週間前から食べなくなり、3日前からは水も飲まなくなった」とさらりと言われます。『それをなんで今頃?』と思っていると、「私は”特養”に勤めており、今日まで休めなかったのです」と。『親より、仕事が大事なのか』と思っていたところ(私の顔にそんな文字が浮かんだのか)、「父は頑固で、元々私の作る食事は要らないと言って、近くのコンビニまで買いに行き、それを食べていたんです」と仰います。ここら辺りで、『この親子関係が問題なのでは』と思い始めました。さらに、「勤務先の”特養”でエンシュア(流動食様の栄養剤)を貰ってきて飲ませようとしたのですが、それも要らないと言って(んっ、勝手に持って帰ったの?)」まあ、美味しくはないでしょうからねと答えるしかない私に、「脱水だと思います。入院させて下さいませんか」と一方的に話されます。

こうしたやり取りの間、私とは目を合わそうとはされず、介護認定は受けていらっしゃるのですかと訊く私に、「元気に歩いていたので、まだ必要ないと思っていました」と強い口調で答えられます。そうは言っても90歳を超えられていますし…、と言おうとすると、「母は介護度3ですが、そのケアマネさんからも、まだ要らないでしょうと言われました」と、取りつく島もありません。

 

次第にこの患者さんご自身が気の毒に思えてくるわけですが、「ご高齢ですし、これだけ長期の脱水ですと、入院して治療しても良くならない事もありますが」と説明した所、「それでも良いから入院させて欲しい」といった調子で、結局お引き受けする事になりました。

 

その後、入院が決まると「娘さんはすぐに帰られました」と当院の看護師さんから報告を受け『お困りなのは分かるけれど、ここは姥捨て山ではないのだし、もう少しやり様があっただろうに』と思わされた次第です。

なにやら、「少子高齢化」、「多死社会の到来」といった日本の近未来の縮図を突き付けられたようで、こんな事が増えていくのかと暗澹たる気持ちになった出来事でした。

 

ところで、その後の経過の中で、娘さんの職業は看護師さんだと分かりました。それならもっと早くに何とかできたのでは、と思うのはこちらだけのようで、この期に及んでも「お仕事第一」の方のようでした(自分自身も反省しないと…)。

余談ですが、姥(うば)捨て山の「姥」は、字そのままに老いた女性を意味していますが、年老いた男性は「翁」と言われます。(男に老の字は無いですね)これまで、「翁捨て山」という言葉は聞いた事がありませんが、そんな言葉が囁かれるようになってくるかもしれません。(これまで、男性の方が先に死んでいくので、そうした言葉が無かったのかもしれませんが、そうだとするとちょっと寂し過ぎる話だな。でも、その方が楽かも…)

 

因みに、この男性は、初診時は急性腎不全とも言えるデータでしたが、補液で軽快されました。長期間の飢餓状態に伴う脱水だったようで、結局、娘さんの勤務先である“特養”にお引き取り願う事になりました。
ただ、その後の消息は不明ですが、きっと「その施設に入所した方」として、手厚い介護を受けられていることと想像しています。

 

あらためて、今回の娘さんの立場を考えてみると、ご自分の職場に入所されている方の介護を優先したという事になるのでしょうが、一方では、働いて生活費(収入)を得なければ、老いた父親の世話をもできないというのが根幹に有ったのでしょう。たまたま娘さんが介護職であるが故に、違和感を覚えたのですが、介護の担い手が働きながら老親を在宅で介護する難しさという、ある種の矛盾をも垣間見た気がしています。

 

ただ、一連の経過の中で、患者さんご本人を中心としたお話しは見えてこなかったのが実際です。今にして、そこに一番の問題があったのではないかと感じ、「違和感」の原因が分かったような気がしています。

 

ただ、今回の解決策を考える時、もはや行政による対応が必要なレベルになっていると思います。しかし、現実に政策を決める方々は若くてお元気な上、ご家族にも介護が必要な方はいらっしゃらないのではないでしょうかね。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
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