桐生夏生・著『燕は戻ってこない』など、小説の題材にもなっている代理母出産。社会的な関心は高まりつつある。複数の視座から考えてみたい。
まず代理母出産は、人間機械論と市場原理主義を前提としている。
ルネ・デカルトは身体機械論を提唱した。人体は生命維持のための機械である、とする考え方だ。代理母出産は更に先鋭的である。ラ・メトリーの人間機械論を前提にしているからだ。「母体は子供を産む機械であり、自らの胎内で育つ胎児に、何の感情も抱かない」という考え方である。しかし実態は違う。代理母が出産した子供の引き渡しをめぐるトラブルは多発している。大抵の場合、経済的・契約的に有利な依頼主が裁判で勝つ。資本主義の現実が浮かび上がる。
市場原理主義もまた、代理母出産の重要なパラダイムだ。ついに市場は人体そのものを、商品として取り込んだ。日本は人口ボーナスで発展した。もう人口ボーナスがないから、成長は高止まり。日本の経済からも分かるように、経済は常に新しい市場を求めている。正確に言えば、市場が扱う商品を。大航海時代は、欧州にとっての高度経済成長期だった。扱う土地や商品、人間(奴隷)が増え続けていた。現代に未開の土地はない。厳密に言えばあるのだが、市場価値を産むフロンティアは、もはや存在しない。土地を開拓し尽くした。商品を貿易し尽くした。市場が次に狙うのは、人間そのものだった。「人身売買」を連想させるような仕組みが存在していると考えざるを得ない。
次に、リスクの面から考えてみる。
出産は常に死の危険を孕んでいる。高度な医療を持つ現代の日本でも、年間20〜30人が死亡している。極めて低い確率である。しかし、代理母出産をする人が、必ず生きて出産できる保証はない。実際に、代理母が死亡した事例はある(*1)。妊娠後期に代理母が病気だと分かっても、契約を解除できない。つまり、出産を優先して、代理母の安全は後回しにされることが多い。代理母出産で帝王切開した場合、それ以降の出産は、必ず帝王切開になる。代理母が全員自然分娩できるわけではない。帝王切開の傷や合併症の後遺症など、様々なリスクを含めて、数百万円なのだろうか。費用が代理母の負担とつり合っているかは、再検討の余地がある。
社会的な懸念もある。代理母になる人は、主に二種類。経済的な事情を持つ人か、子育てを終えた善意の人だ。特に前者に対して、搾取する構造になってしまうのではないか。その昔、献血は有料だった。貧しい人が生活のために血を売り、健康を害していた。感染症や道徳的な問題によって、現在は禁止されている。献血は無償になった。同じような道を、代理母出産の制度が辿ってしまうのでは。「人体内部を使った労働」という面において、売血と代理母出産は相違ない。
生まれてくる子供の福祉もまた無視されている。アイデンティティや親子関係に混乱し、葛藤を抱くことがある。契約書にサインするのは、代理母である。「新しく生まれてくる子どもは同意していません(*2)」
予想される反論へ予め答えておく。
「生まれつき子供を作れない病気の人の、幸福追求権はどうなるのだ」
これについては公共の福祉で回答できる。
代理母の死亡リスク、出産後の引き渡しの精神的な負担、生まれてくる子供の精神的混乱を加味しても、子供を持ちたいのだろうか。なぜ既存の養子制度では代替できないのか、その理由を慎重に検討する必要がある。代理母出産を依頼するためのお金がある時点で、経済的には強者だ。資本主義において大きな力を持つ者として、よく考えてみてほしい。
最後に、代理母出産を考える上で重要だと思うことを書く。代理母出産は善意のオブラートで包まれている。代理母は事情のある依頼主のために、子供を産む。生まれてきた子供は商品ではない! 人格を持った一人の人間だ! と。しかし現実にあるのは、人体を道具する考え方と、人間を商品として扱う市場原理主義だ。そして仲介企業が最も儲ける。
日本の代理母出産は、「事実上禁止」となっている(*3)。「日本の中ではやめてください」という状態である。つまり海外ではできる。海外で代理母に出産させた子供は、戸籍上、実子として認められない。ところが養子縁組申請で、戸籍に入れることはできる。ネバダ州で日本からの代理出産を請け負っていたこともある(*4)。積極的な禁止状態にするべきではないか。日本もまた他人事ではないのだ。
著者の予測だと日本でも、代理母出産が解禁される可能性は高い。スタグフレーションによる貧困の加速や、市場原理主義的な規制緩和によって、貧困層が代理母ビジネスに搾取されるだろう。子供は水槽から生まれるようになり、代理母出産が市場から消える日が来るかもしれない。しかし、そういった技術革新が起きるまで、代理母出産は生き続けるだろう。代理母出産の市場規模は巨大化し続けている。2032年には約18兆円となり、2022年の10倍になると予測されている(*5)。となると気になるのが、やはりマスメディアの動きだ。市場が大きくなればなるほど、宣伝活動も大きくなる。善意の語りが広がることで、制度の本質的課題が見えづらくなる危険性がある。
代理母出産制度によって後悔する人が、一人でも少なくなることを願う。
(*1) CNN 代理母の米女性、出産の途中で死亡 自身の子ども2人残して
(*2)(*4) シンポジウム「生命の資源化の現在」より
大野和基 なぜ私は代理出産に反対するのか
(*3) 日本産科婦人科学会 代理懐胎に関する見解
(*5)米調査会社グローバル・マーケット・インサイツ
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