うんこの漢字ドリルがヒットしているとの事です。便秘も下痢もその苦しさは当人にしかわかりませんよね。それ自身大変な苦痛なのですが、両者とも何故か軽んじられています。今回は、我々にとってその大切なうんこにまつわる話をしたいと思います。
ヒトの腸管には1000種、100兆個以上の細菌が生息していると言われています。ものの本によっては、3万種、1000兆個の細菌が存在していると書かれています。私たちの体を作る細胞は60兆個と言われていますから、それよりはるかに多い数の細菌を体の中に持っているのです。その重さは1.5kgから2kgだそうです。私たちの出すうんこは、その約半分は腸管内の細菌及びその死骸から成っているのです。食べたものがそのまま出る、とかごはんを食べてないからうんこは出ない、とかよく言う方がいらっしゃいますが、食べなくてもうんこは作られます。半分は食べた物と関係のない物が出てきているのです。どんな美男美女でもうんこは出しますし、快便というのは、私たちの生活にとってQOLの上からも大切な因子です。
哺乳類の胎児は、お母さんの体の中にいる時には無菌の状態にあります。羊水の中に細菌はいません。もしいたら羊水の感染症ということで大変な事になります。では、どこから腸内の細菌はやって来るのでしょうか?これについては、出産後3-4時間からお母さんや周りの環境から様々な細菌をもらい、それが腸の中で常在菌となり腸内フローラを形成すると言われています。産道で感染する事もあれば、お母さんから口移しで食べ物(と一緒に細菌を)をもらったりする事もあるでしょう。
子供はすぐに物を口に持って行きます。綺麗にお掃除されているフローリングの家で過ごした子供と、昔の曲り家のように牛や馬と一緒に過ごした子供では、細菌やダニに暴露される機会は全く異なるでしょう。
アメリカの子供とモンゴルの子供も土地によって、また文化によって育った環境、したがって腸内フローラは異なるでしょう。母乳そのものも自然のものに囲まれて生活しているお母さんの母乳と、化学物質がいっぱいの環境で過ごしているお母さんの母乳は、成分が全く異なるのではないでしょうか。
ですからこの腸内フローラは個人特有のもので、これが後々の健康や免疫に影響を及ぼすのではないかと言われ始めているのです。
口から物を入れることによって様々な現象が起こることが知られています。漆芸の人間国宝の松田権六さんが岩波文庫の「うるしの話」で書いていらっしゃいます。漆職人は漆にかぶれていたら仕事になりません。なぜか分かりませんが、漆を代々扱う家では、風邪を引いたら小さい頃から漆を飲ませる、お腹を下したら漆を飲ませる、お腹が痛かったら漆を飲ませるなど、漆を万能薬として使っていたそうです。権六さんもしょっちゅう漆を口に入れていたそうです。これが今でも行われているかどうかよく分かりませんが、漆を扱う家では、あんなに周りに漆があるのに不思議と漆にかぶれないそうです。
アメリカインディアンのお話です。インディアンの間では昔から部族間の争いが絶えませんでした。ある部族では昔から戦いの時には、弓矢の先に毒を塗っていました。この毒は昔からの言い伝えで、ある植物の根から取っていましたが、その作り方は部族の最大の秘密でした。体に矢が刺さると致死的な影響を及ぼす大変強い毒で、精製する過程でも誤って傷口などに入ると、そのまま死んでしまうくらいでした。この威力のある毒のおかげで、その部族は周囲の部族の中でも抜きん出た存在となる事ができました。ではどうやって、この部族はこの毒で誤って死んだりする事態を防いでいたのでしょうか?そうです、この部族では赤ちゃんの時からこの毒を薄めて飲ませていたのです。だんだん濃い毒を飲ませても平気になって、毒が体内にはいってもピンピンしているという状況が生まれました。例え戦場で誤って傷口に秘毒が付着してもそのまま戦闘を続け、相手をその秘毒で倒す事ができたのです。この部族では口からその毒を飲ませることによって、秘毒に対する抵抗性が獲得されていたのです。
漆も秘毒も体に強いアレルギーを引き起こす物質、すなわち『抗原』だったのですが、これに対する反応がその抗原を口から摂取することでそれが引き起こすアレルギー反応を減弱することが、経験的に知られていたのです。私たちの先祖の知恵には感嘆する他ありませんね。
こんな形で私の研究をご紹介する日が来るとは全く想像していませんでした。私は岡山大学で移植免疫と腫瘍免疫の研究をしていました。その中でなんとか移植の拒絶反応を少なくする事ができないかと考えていました。私たちの体には自分でないものが入った時に、それを拒絶する働きがあります。例えば細菌が入ってきた時やウイルスが入ってきた時には、それを非自己と認識して排除する働きがあるのです。これを免疫というのですが、細菌やウイルスなどではそれを免疫の働きで排除することにより、病気から免れて都合の良い状態が得られます。ところが、腎臓移植や肝移植などにおいて、他の人の臓器を自分の体に移植した場合には、その臓器を非自己として認識すると拒絶反応が起きて、移植した臓器が働かなくなってしまいます。この時の免疫反応は移植された人にとっては都合が悪い働きになるわけです。現在ではこの免疫を抑える免疫抑制剤が進歩して、従来では考えられないような臓器移植の成功(生着と言います)が得られるようになりました。それ以前は、使えるお薬と言えばステロイドくらいしかなく、移植医療ではこの拒絶をいかにコントロールし、移植した臓器を受け入れるようになる『免疫寛容』の状況を作り出すかが、治療の成功の鍵でした。
そのときに漆と秘毒のエピソードを思い出したのです。
早速実験をしました。その実験を簡単にご説明します。
白いネズミから黒いネズミに心臓を移植します。白いネズミと黒いネズミは系統が違いますから、黒いネズミは「これは俺の心臓と違う」と考えて(実際は考えてはいないでしょうが)、白いネズミの心臓を拒絶します。ところが、ここで前もって白いネズミのリンパ球を黒いネズミの腸に注入しておきます。そうすると、黒いネズミは白いネズミの心臓を受け入れるようになったのです。「これは俺の心臓かもしれない」と理解したのかもしれません。驚くべき実験結果でした。
念のため、前もって黄色のネズミのリンパ球を腸に注入しても、白いネズミの心臓は黒いネズミによって拒絶されました。つまり黒いネズミでは白いネズミの組織に対して、特異的な免疫寛容が成立されたのです。リンパ球を胃の中に入れた場合と腸に入れた場合を比較すると、腸に入れた場合の方が効果が高い事が分かりました。抗原を消化すると効果が減弱すると考えました。
副作用の多いステロイド剤よりも強い免疫抑制効果が、あらかじめ移植するネズミの抗原を腸の中に入れることで得られるというのは大変驚くべき結果でした。1)
「えっ、だったらいつも牛肉を食べている私は、牛の心臓も移植できるの?」という疑問が湧きますが、残念ながらネズミの実験でも完全な生着は得られなかった事から、焼いた牛肉を食べていても牛の心臓は移植できないと思われます。
強力な免疫抑制剤が開発されたために、この研究はその後発展する事はありませんでした。しかしながら、この結果を応用して花粉症アレルギーや、アトピー性皮膚炎に対する免疫寛容を応用する事で治療ができないかと考えていました。
その頃丁度岡山県が、岡山を基盤としたベンチャーの起業を募集していたのです。これ幸いと、大学院生を社長にして起業するということでこれに応募しました。
「スギ花粉症を経口免疫による免疫寛容導入で撲滅する」
このような目標で事業計画書を書きました。私の父の所有する山から、スギの花粉を大量に集めてもらいました。今では、高齢の父に酷な事をさせてしまったなあと反省していますが。父が田舎から大きなビニール袋に入れて持ってきてくれたのは、スギの枯れたような雄花でした。田舎育ちの私なのに、スギの花粉は見た事が無く、果たしてスギの花粉が雄花から取れるのかなあと、疑問に思っておりました。ともあれスギの花粉をとって、それをキャンディーにしてくれる工場も見つけて、さてあとはお金を岡山県からもらって会社を設立するだけ、というところまで来ました。が、そこまででした。岡山県は私たちの案を採用しなかったのです。岡山県の係りの人に見る目がなかったのか、私たちのアプローチが悪かったのか。ともかくオーラルテックという名前までつけた夢の会社は、そのまま夢に終わりました。集めてもらったスギの雄花は、しばらくして妻がどこかに片付けたようで、いつの間にか見えなくなってしまいました。
その後20年くらい経ってから、日本の製薬会社がアレルギー治療として、舌下に抗原を投与する薬品を開発しました。お聞きになった方もあろうかと思います。また卵アレルギーの克服のために、舌下療法という治療法も開発されています。まだまだこれから検討する余地は多いようですが、あの時にキャンディーが出来ていたら、少しは私たちの歴史が変わっていたかなあと、思ったりします。まあ、歴史とはあの時ああだったらということばっかりでしょうけど。
「うんこと免疫の話」はもうしばらく続きます。次はうんこと最新の免疫治療の関連についてお話しします。
1)Induction of donor-specific hyporesponsiveness and prolongation of cardiac allograft survival by jejunal administration of donor splenocytes.
Ishido N, Matsuoka J, Matsuno T, Nakagawa K, Tanaka N.
Transplantation. 1999 Nov 15;68(9):1377-82.
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