発達障害のある子どもを育てる母親にとって一番苦しいこと

私の息子は自閉スペクトラム症と、ADHDの診断を受けています。現在、中学校1年生になりました。診断を受けたのは4歳になる少し前でしたが、実際は1歳児の時から通っていた保育園の担任の先生から、直接的な事は言われませんでしたが発達障害を疑われているような事を言われました。その頃は周りに発達障害のある子どもの子育てをしている友達もいませんでしたし、まさか自分の子に障害があるなんて。と信じたくない気持ちが強く、担任の先生に怒りさえ覚えたことを今でも鮮明に覚えています。

でも、3歳になった時に通っていた体操教室で周りの子どもたちとの違いに愕然としました。先生の言うことを聞いて自分の順番を守って並んでいる子、先生の言う通りの動きが出来る子。わが子は順番を守るのも難しく、先生の言われた通りのことすら出来ない。自分の思うようにならないと癇癪を起こすという状況でした。当時1歳になったばかりの小さい長女を抱っこしたまま、先生や周りのお母さん達の目を気にして、恥ずかしさもあり、私自身心身共にとても疲弊していました。そしてそんな私の気持ちを相談できる相手は、ほとんどいませんでした。

元々看護師をしていたのですが、こんな状況で働けるわけもなく。主人はこんなに大変な状況でも、仕事を理由にほとんど助けてくれませんでした。私の友達の子どもと遊ばせることも、こういう子であることを理解してくれる友達じゃないと難しかったので、疎遠になっていった友達や親戚もいました。社会から孤立した状況。私にとって『孤独』であったこの時期が、本当に苦しく一番つらかった時期だと今振り返って感じています。ただ、この時に同じ境遇のお母さん達と出会うきっかけとなった【発達障害のある子どもを育てる母親の会】は、孤独を抱え辛かった私を救ってくれた場所でした。私にとっても、息子にとっても居場所となったこの母親の会に出会っていなければ、きっと今の私はいなかったし、もしかしたら辛い時期を乗り越えることが出来ていなかったかもしれません。

母子分離不安の強かった息子は小学校に入って少ししてから不登校にはなりましたが、小学3年生から家の近くにあるフリースクールに通い始めました。まだ出来たばかりのフリースクールはスタッフを募集しており、私がいることで息子も安心できるのではないかと思い、私も働かせていただくことになりました。息子は利用者、私はスタッフをして母子ともにお世話になることになったのです。最初は知らない大人、知らない場所であることに対して息子は不安を強く示し、長くいることは難しく午前中だけの利用でした。しかし、1年経つ頃には朝から夕方まで一人でいることが出来るようになっていきました。
そしてそのタイミングで、私は相談支援専門員の資格を取得し、相談支援専門員として活動することになったのです。

孤独を感じているのは私だけじゃないんだ。

相談支援専門員として活動し始めてから、昔の私と同じように発達障害のある子どもを育てる中で悩んだり、苦しんでいるお母さん達にたくさん出会いました。
診断を受けたばかりで診断が受け入れらない、これから先どうしたらいいか分からない、旦那が協力してくれず全部自分でやってしんどい・・・など、たくさんの相談を聞いてきました。

その中で、昔の私と同じように孤独に苦しむお母さんもたくさんいました。実際、母親の実家が県外で頼れる人がいないのに、旦那さんは協力してくれないという方もいました。各家庭で、悩んで苦しんで、ギリギリな所で生活しているお母さんがいるのも事実です。正直、自分の子が発達障害じゃなければもっと普通の生活が出来たのかもしれない・・・なんて考えてしまう。これは仕方のないことだと思います。でも、こんな事周りになんて言えない。こうやってどんどん母親自身の心身がボロボロになってしまうのです。

弱音を吐いたっていい。それが出来る居場所を探してほしい。

発達障害は病気ではありません。生まれつきの脳の特性なので、治療を受けて治るものでもない。そして療育は魔法ではないので、受けたからといって特性がすぐに落ち着くわけではありません。息子はひどい癇癪持ちで本当に大変でした。正直その頃の記憶はほとんどありません。その期間も長く、辛くしんどい期間は続きました。

だからこそ、母親自身が救われる場所、孤独を解消してくれる場所、弱音を吐いても許される場所。そんな母親自身の居場所を見つけてほしいのです。最初は知らない人ばかりだし、日々の生活で疲れ切っているのに、そんな場所に出かける勇気も、元気もない。だから行く気になれない。そんな気持ちになるのも、すごく分かります。でも、過去に子育てに悩み苦しみ、それを乗り越えてきたお母さん達は、過去の自分と同じように苦しんでいるお母さん達を助けたいと思って活動している方が多いです。弱音を吐いても、それを否定せず受け入れてくれます。私はそんな居場所に行って話をすることで、辛い生活も乗り越えていくことが出来ました。

どうか一人で悩まないで下さい。

一人でも孤独で辛い思いをしているお母さんが減りますように。

相談支援専門員・福祉ネイリストゆき
小児科看護師、保育園看護師を経て、現在は児童指導員、相談支援専門員として活動中。
小学生の娘と、中学生の息子を育てるシングルマザー。息子は3歳のときに「自閉症スペクトラム、ADHD」の診断を受けた。不安が強く学校に行くことが困難なため現在、不登校である。不登校特化型の放課後等デイサービスや、県の教育委員会が行っている不登校児のための居場所に通っている。私自身が子どもを育てている中で辛かったこと、苦しかったことが現在悩み苦しむ保護者の方のお役に立てたらと思い、opinionsのライターに参加させていただくことになった。
小児科看護師、保育園看護師を経て、現在は児童指導員、相談支援専門員として活動中。
小学生の娘と、中学生の息子を育てるシングルマザー。息子は3歳のときに「自閉症スペクトラム、ADHD」の診断を受けた。不安が強く学校に行くことが困難なため現在、不登校である。不登校特化型の放課後等デイサービスや、県の教育委員会が行っている不登校児のための居場所に通っている。私自身が子どもを育てている中で辛かったこと、苦しかったことが現在悩み苦しむ保護者の方のお役に立てたらと思い、opinionsのライターに参加させていただくことになった。
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