19世紀までの国家は、国防と警察機能が大半で、国家予算はGDPの10%以内という現在から考えると極めて「小さい」政府だった。ちなみに現在、G7各国の予算規模はGDPの40%前後から60%台だ。政府が大きくなったのは、社会保障機能を加えたためである。社会保障では、集めた資金(税と保険料)の大半が国民に返される。しかし、一旦徴収されれば、負担感は生じる。そして、国が徴収する税と社会保険料の合計額は、先進国では以前と比べ、はるかに大きくなっている。
社会保障費の負担が大きくなるのは、「普遍主義」的な考えを採用した場合であり、「選別主義」的な考えを採用する場合にはさほど大きくならない。社会保障で「普遍主義」的考えを取るのは、フランス、スウェーデン、デンマーク、オランダ、ドイツなどであり、「選別主義」的な考えを取るのは、アメリカ、イギリスなどである。現在日本で、年金、医療、介護に使われている給付の方式は「普遍主義」的であり、給付は収入の多さに関係なく一律に行われる。一方で「選別主義」的考えは、必要な人「のみ」に給付を行う考え方であり、生活保護政策に代表される。
年金保険の場合、一般に拠出金の金額は所得に応じて比例的であり(累進的ではない)、給付はおおむね一律に行われる点が特徴だ。例えば、年収1億の人で、資産が10億ある人に対しても、年金は給付され、年金保険の拠出額は、給与の18.3%で比例的になっているし、上限も設定されている(上限は65万円の標準報酬月額を設定―自己負担は最高が59,000円余)。つまり、一定の水準になると、収入や資産にあまり関係なく、保険料が決められ、一定の給付が行われる方式だ。給付は一律に近い方式で行われるので、線引きの必要はない。このような社会福祉の方式は「普遍主義」的だ。医療保険も介護保険も保険と名が付けば、所得に応じて多少の違いはあっても、高所得者と低所得者との間に際立った差異は見られない。子ども手当や、義務教育授業料の交付も「普遍主義」的である。高校の授業料についても、今回所得制限が取り払われ、「普遍主義」的になった。新型コロナウイルスに対する国民に対する一律10万円の給付金も「普遍主義」的考えに基づき、最近話題になるベーシックインカム(BI)も同様だ。
一方で社会福祉的な税の使い方で有名なのは、17世紀初めのイギリスでのエリザベス救貧法である。これは、裕福な人が貧しい人に対して「施し」を行うものである。人類の歴史が始まった直後から、このような営みは、国家が介入しない場合(民間で行われる場合)、あるいは、国家が積極的に介入する場合双方にあった。また、宗教はいずれも、このような「施し」を勧めている。援助を必要とする人のみを対象として給付を行うことを、「選別主義」的と言う。現代の「選別主義」の代表は、生活保護に象徴されるだろう。
北欧を始め、国家財政に余裕がある場合(社会保障費の国民負担率が高い国々)には、「普遍主義」的な給付が選ばれる。社会保険に代表される「普遍主義」的政策は、国民の理解を得やすい。しかし、普遍的に給付を行えば、本来給付を対象としている人たちよりも、より多くの、中高所得者層が利益を得る場合が多いのである(その為に政治的に理解を得やすい)。その結果として、予算規模が大きくなり、社会福祉が不要な人にも給付が行き渡ることになる。給付は多ければよいというわけではない。多ければ、税金が高くなるか、国の赤字が大きくなる。しかし、「選別主義」的に給付を行うと、一定の所得で線を引き、それ以下の場合を給付対象とするため、多くの所帯が給付の対象から外れるために、さほど賛成が得られなくなる。そして線引きの周辺にいる人の不満が高まる。しかし、予算は、全体の一部に給付すると、それなりに少なくて済むことになる。そして、本当に必要な人に十分な給付が届くのである。
「普遍主義」と「選別主義」の特徴がある中で、日本の場合はどの様な方法がとれるだろうか。「普遍主義」的な方法を取る場合は、予算規模が大きくなるので、消費税あるいは所得税の大幅な増税が必要になる。現在は消費税の増税はとんでもないことで、むしろ減税が議論されている。「選別主義」的な方法であれば、消費税あるいは所得税の増税は少なく、その分、給付対象も限定される。
日本の財政は逼迫している。普遍的に給付を行う余地が少ないことも確かである。しかし、選択に慣れていない国民に対して、選択を強いることが出来るかどうか、これは政府が巧妙に行うことでなく、国民が自分自身で選択すべきことになる。一定の給付を「普遍主義」的に行う場合は、膨大な資金が必要となるか、あるいは、一人あたりの給付金額が少なくなることは当然だ。日本の財政状態を考えると、社会保障給付は選別的に行い、本当に困っている人に、必要な額が届くことが望ましい。しかし、日本では、このような選別を行うことが難しい。
「選別主義」的な社会保障方式は、国民の所得や資産を把握し、給付の境界においての段差が強くならないようにする必要がある。限られた財源を最も効率的に使うためには、「選択主義」的方法を前面に出し、ITの全面的な採用が必要となる。政府は段取りを国民に説明し、ヒステリックなマスコミの異論にも十分な説明を行い、財政危機と社会福祉の充実の双方を追い求める必要がある。デジタル政府が必要なのは、まさしくこの分野なのである。
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