「それは間違っていると思います」「いや、これは当然の意見でしょ?」
SNSでは、正義や主張が目まぐるしく飛び交う。誰もが評論家で、誰もがジャーナリスト。いいねやリツイートの数が“共感”や“真実”の指標になっているかのような風景を、私たちは日常的に目にしている。
けれど、ふとしたときに思うのだ。本当にそれは「自分の言葉」なのだろうか、と。
数年前、ある教育制度を巡ってネット上で激しい論争があった。私は親として違和感を覚えた制度だったが、なぜ違和感を覚えたのか、自分でも言葉にできず、黙っていた。すると、一部の意見が強い影響力を持ち始め、SNS上では“賛成しない人は子どもの未来を奪っている”と断言するような投稿まで現れた。
それを読んで、言葉を失った。賛否を問う以前に、意見を持つことすら怖くなったのだ。
そのとき、ある友人がこんなことを言った。「一人の意見は、声が小さくて当然。でも、その小さな声に耳を澄ますのが、私たちの社会なんじゃないの?」その言葉で、少し救われた。
OpinionsはSNSとは異なり、発言者の背景や葛藤を含めて「語れる」場所だ。そこでは、声の大きさよりも、言葉の奥にある“なぜ”が大切にされている。たとえば「学校の制服が高すぎると思う」と書くとき、単に不満を並べるのではなく、「共働きの親にとって、制服の価格は無視できない負担。なぜもっと柔軟な制度にしないのか」と、自分の経験や立場から語ることができる。
それは、意見を主張ではなく共有に変える行為だ。
もちろん、それでも賛否は分かれるだろう。だが、「なぜそう思うのか」というプロセスが丁寧に語られていれば、たとえ異なる意見でも、そこに敬意が生まれる。そうやって、お互いの立場を知りながら、少しずつ折り合っていける社会になってほしいと思う。
SNSの発信は「瞬間的な反応」を引き出す。でも、私は「言葉にして育てる意見」にこそ、いま必要な力があると信じている。
「赤は止まれ、青は進め」
「左手に教科書、右手に鉛筆」
「はーいと手を挙げてから発言しましょう」
小学生の娘の音読練習を横で聞いていると、懐かしいフレーズの数々がよみがえってくる。思わず「あっ、それは違うよ、こう読むんだよ」と口を挟みそうになるけれど、娘はすでに先生の教えが正解だと思っている。
ある日、娘がしょんぼりして帰宅した。「ねえ、ママ。わたし、まちがっているのかな」話を聞けば、学校で先生に「そういう答え方はしません」と言われたらしい。国語の授業で「登場人物の気持ちを考えましょう」という問いに対して、彼女は「たぶん、わくわくしていると思う。なぜなら、わたしも前の日に旅行の準備したとき、わくわくしたから」と答えた。すると先生は、「それはあなたの気持ちでしょ。本文に書いてあることを使って答えましょう」と指摘したのだという。
私は正直、その先生の言葉にも共感する。確かに、教科書には「根拠に基づいて考える力」を育てる狙いがある。だけど、私は娘の答えを聞いて「いいね、よく気持ちが重ねられたね」と思ったのも事実だ。感情を重ねることでしかわからない心の動きがある。しかしそれが「間違い」と切り捨てられるとしたら、私たちの正しさは、どこから来ているのか、改めて問い直したくなる。
「正しさ」をめぐるエピソードは家庭にもある。下の子が、折り紙で独創的な鶴を折ったときのこと。くちばしをあえてハート型にして、羽を二重にした。「すごいね!」と声をかけると、夫がつぶやいた。「でもそれ、“本物の折り方”じゃないよな」
たしかにそれは“鶴”ではなかったかもしれない。けれど、その折り紙は世界に一つだけの想像力の塊だった。誰が決めたのだろう、折り紙の正しいかたちを。
時代が進み、AIが模範解答を提示するようになった。子どもたちはますます「答えのある問題」に慣れてしまう。「その答えは不正解」と機械に言われたら、自分の考えが間違いだったと思い込んでしまうかもしれない。でも、本当は「間違い」じゃなくて「違い」かもしれないのだ。
「ママは、どっちが正しいと思う?」
そう娘に聞かれて、私は少し黙った。
「“自分で考えたこと”は、それだけで素晴らしいと思うよ。正しいかどうかは、あとでじっくり考えればいいんじゃないかな」
子どもの表情がふっと緩んだ。たぶんあの瞬間、私は「正しさ」よりも「信じる力」を伝えたかったのだと思う。
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