「不登校」という社会現象について

2023年度の「不登校」の小中学生が約34万6千人、過去最多になったという。この問題について議論される際、焦点が生徒と学校に絞られているように見える。しかしながら、不登校になる最大の原因が「無気力」であり、毎年確実に子供が無気力になっていく現実を考えると、社会の現状に焦点をあてて考えてみるべきだと思う。日本社会を外から見ている私の見解を述べたい。

私は二人の子供たちをドイツ社会で育てたことで、子育てに対する両社会の大人の考え方の決定的な違いに気づかされた。日本社会では、子供たちは、「周囲に合わせる」「大人に従う」「規則を守る」ように躾けられる。子供が大人に異なる意見を言えば、「口答え」と叱られ、周りと異なる言動をとれば、「他人の迷惑になる」とたしなめられる。子供と大人が対等に議論することは、まずない。他方ドイツ社会では、大人が「周囲に合わせる」という考え方をもっていない故、子供にそれを強制することはない。子供は自分の意思に則った言動をとり、大人もそれを受け入れる。意見が異なれば、大人も子供も議論する。

日本社会は、人と人とが譲り合って成り立っている。「和」「尊重」「配慮」「謙遜」「礼儀」「忍耐」「努力」という考え方を大切にし、そうするよう努める。人が他人に合わせることを当然とし、皆で歩調を合わせる。「他人と異なる言動は迷惑になる」「誰もが努力をすれば、他人と同じようにできる」と思い込んでいる。このような考え方は美しいけれど、度を超すと害があるし、そこから導かれた日本人の固定観念は、現実離れしている。まず、人間はひとりひとり異なる故、いくら努力してもできないことがある。また、人によって見方や考え方の違いがあるから、皆で常に同じ意見になるはずがない。人がこの現実を無視し、世間の多数派に盲目に従っている結果、理不尽な事までもが「普通」とみなされ、人はその「普通」に合わせようと無理をしている。

近年一時帰国する度に、日本人の思い込みが一層強まっているように感じる。例を挙げると、皆で想像する「像」(「母親」「父親」「妻」「夫」「子供」「いい人」等)があり、皆がそうあるべきだと思い込んでいる。皆がそろって、目には見えないけれど、ある「同じ像」を想定している。

これは恐ろしい。想定する「像」がいろいろあれば、異なった「母親」が存在できるけれど、一つにまとまってしまうと、その「像」に合わない母親は失格と見なされてしまう。

また、大人の考え方の硬直化を目にする。先入観でもって人を判断したり、物事の成り行きを決めてしまう。例えば、人を年齢、職業、出身地、学歴、血液型等で「こういう人」と決めつける。物事も自動的にパターンによって処理し、合わないものは「例外」としてしまう。人も物事も一つの型しかないと考えているようだ。

「ちょっと考えてみて」と言うと、「若者じゃあるまいし、この年でいちいち考えることはしない」と答える。世間の多数派に従っているから、自分は正しいと思い込んでいるのだろう。しかし大人がこれでは、ますます理不尽なことがまかり通ってしまう。

子供たちが不登校にならないようにするためには、社会自体が変わる必要があると思う。

大人たちが、世間の「普通」で自分や他人を測ることを止め、自分で考え判断する。そして他人をもそのまま受け入れる。何が「普通」であるのか、各自が自分で判断すればいい。

他人に相槌を打たれることに慣れてしまったから、異なる意見を聞かされるだけで不快に思う。皆で合わせることに慣れてしまったから、皆が同じでないと何となく落ち着かない。これはナイーブ過ぎる。異なることが「普通」なのである。

「いい人」と見られたいから、皆に気を遣っていてはストレスがたまる。自分が無理をすれば、他人にも自ずと無理を強制してしまう。他人に自分を合わせることほど、不自然なことはない。大人たちが「皆に合わせないと迷惑になる」と憶病になり過ぎているから、多数派の圧力が強まり、異なるものが存在できなくなる。

「日本には日本の事情がある」という弁解は中身がない。

「不登校」という現象が長く続いているため、「不登校」自体を問題視しないような動きがあるが、これは数十年生きた大人だから言えることであろう。子供にとって学校は家庭以外の唯一の行き場である。そこへ行けなくなることは、子供にとってどれ程深刻な事態であろう。


自分の事であるにもかかわらず、大人に決められている。最初から正しいことを示され、そう生きるよう求められる。パターンが一つしかなく、異なる余地がない。人生が虚しく見えてくるのだろう。

大人が「まあ、大変ね」と言い合っているだけでは、何も変わらない。 子供の不登校という現象は、その社会で暮らす大人ひとりひとりに関わる問題である。

ドイツ在住阿部プッシェル 薫
1987年東京女子大学卒業後、日本を一度外から見てみたくデュッセルドルフに就職先を決める。日系企業に勤務の傍ら、趣味の音楽活動を通じてドイツ社会に友達の輪を広げる。その後ドイツ人男性と結婚、2児を出産し、現在もドイツ在住。子育て中の体験を契機に、自分の価値観を見直すようになる。ドイツ社会を知れば知るほど日本社会の問題点が見えるようになり、日本の皆さんへメッセージを送りたく、執筆活動を始める。
1987年東京女子大学卒業後、日本を一度外から見てみたくデュッセルドルフに就職先を決める。日系企業に勤務の傍ら、趣味の音楽活動を通じてドイツ社会に友達の輪を広げる。その後ドイツ人男性と結婚、2児を出産し、現在もドイツ在住。子育て中の体験を契機に、自分の価値観を見直すようになる。ドイツ社会を知れば知るほど日本社会の問題点が見えるようになり、日本の皆さんへメッセージを送りたく、執筆活動を始める。
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