【Opinions編集部発】息子のために究極のラーメンを。父が店に込めた思い。

岡山県中西部に位置する高梁市。市街地から10分ほど車を走らせると、米屋に併設したラーメン店が見えてくる。名前は「森田商店」。

ここは、森田寿昭さんが発達障害のある息子、樹さんのために開いたラーメン店だ。会社員だった寿昭さんが店に込めた思いと、子育てについて感じていることとは。

――「きっかけは、ラーメンしか食べない息子でした。」
森田商店の森田寿昭さんは、ラーメン店を開業したきっかけをこう語る。息子の樹さん(14)は、2歳までミルクかジュースしか飲めなかった。離乳食や固形物を食べなかったため、かなり細かったという。そんな中、ある日転機が訪れた

カップラーメンを2歳で完食して驚きました。」

今まで頑なに食事をとらなかった樹さんが、お湯を注いで食べるカップラーメンを見事完食。そこから、ラーメンを完全食にすること、子どもと向き合う時間をつくること、将来、もし仕事ができなくても生きられる場所をつくることを目的に、修行生活が始まった。

料理の経験は、ネットで検索してつくる程度。踏み込んだ知識はなく、5~6年研究して開業したが、まだまだ研究途上だ。樹さんは醤油ラーメンしか食べなかったため、醤油ラーメンを学んだ。
岡山のラーメン好きが集まる団体にノウハウを伝授してもらったり、一日ラーメン店を試したり、京橋朝市に出店してみたり・・・様々な研究を積んで開業に至った。もっとも思い出に残っているのは、東京で1週間、樹さんとラーメン旅をしたことだ。

「1日3食ラーメンで、並ぶ時間の方が長かった」。樹さんも、今でも鮮明に覚えているという。

 

樹さんが大好きな醤油ラーメン。少しの味の変化にも気づくため、満点が出ないと提供できないそう。

――「バリカンの音で叫び、警察と児童相談所が来たことも」
樹さんは2歳の時、ADHDとASD(自閉スペクトラム症)が分かった。「食べないこと」と「怖がること」が顕著。バリカンの音が嫌いで、髪を切ろうとすると「助けて!殺される!」と叫び、警察が来て仕事から呼び戻されたこともあったそうだ。

ラーメン店を始めてからも、小さい子どもが甲高い声を上げると耳を塞いでいたが、今は平気だという。

食事に関しては、当初は汁と麺しか受け入れてくれなかったラーメンだが、小学校中学年ごろにラーメンに肉や魚をのせるとたべるようになってくれた。食べずに帰って来ていた給食も、食べられるようになった。「噛むことを覚えていなかったので、丸呑みだった」と懐かしそうに語る。

「息子はみんなの前で褒められたい。ポジティブな感情を引き出している」
小さい頃の口癖は、「もうダメだ」だった。ずっと観察していくと、褒められたらモチベーションが上がることに気付き、今は前向きに進めるように心がけている。今では自分から、「ネガティブではだめだ。ポジティブで生きよう」と言うように成長した。

――「子どものタイプを見極めて」
障害がある子どもを持つ親に伝えたいことは、「子どもを研究して」ということ。食事に関して樹さんは、「丸呑みタイプ」だったため、飲みやすいものをつくることを心掛けていた。ラーメンをアレンジして、ハヤシライスラーメンやカルボナーララーメンをつくったこともある。

「この子にどんなこだわりがあるのか、何を考えているのかを研究するつもりで観察することが必要」

寿昭さんも、情報が欲しくて調べて続けていた時期があったが、ある日、目の前の子どもを見逃さないようにするべきだと感じたという。全く食べない子どもをみると、心配になることもありますが、何か一つ食べられるものがあるならば、「究極の〇〇をつくる」という気持ちで食べられるものと一緒に具材を入れて増やしていく事ができる。森田家の究極のラーメンは発展途上、答えが出るのはまだ先だ。

書きたい人のためのwebマガジンOpinions編集部
Opinions編集部が取材・構成をしました。
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