ケア労働交換の社会構造 ――介護職の当事者性に立つ「サプライ論」の視座――

1.ケア労働の「解放」と「転嫁」史

有史以来、介護や育児などのケア労働(*1)は、奴隷あるいは女性など、社会の低層に位置する人々に担われてきた。ケアに満ちた民主主義を提唱するトロントが「人類史のほとんどを通じて、そしてほとんどの人間社会において、ケア実践は社会的地位の低い人々にむすびつけられてきました」(Tronto 2015=2020:36)と述べたように、ケア労働は長い年月の間、社会の最下部にひとつの地層をなしてきた。

奴隷や女性も歴史上、社会構造の変化で「解放」されることがあった。しかし、残存する家事ケア労働のニーズは、社会の低層に再定義された人びとに「転嫁」された。奴隷「解放」で市場化したケア労働は、市場の低賃金労働となり、元奴隷の黒人女性に「転嫁」されたのである(Donovan 1987)。社会にニーズが存在するかぎり、「解放」は「転嫁」と表裏であり、ケア実践自体が放棄されないかぎり、社会の「だれかしら」が担うことになる。


2.介護保険の「準市場」における「準労働者」

たとえば日本の介護保険下では、介護労働は「だれ」が担っているのだろう?旧来の家父長制下では、女性が不払い家事労働としての介護を担ってきたが(上野1990)、介護保険成立により、その一部から女性は「解放」された。しかし、「転嫁」された介護労働を引き受けた介護職の多くは、労働市場の弱者としての女性であった。

介護保険下の統制された「準市場」における介護の社会化は、行政による「措置」から利用者主体の「契約」へ、介護のあり方を転換した。一方、国家資格「介護福祉士」は名称独占にすぎず、専門性の根拠は曖昧なままだった。さらに、利用料に上限のある介護保険下で、効率の最適化をこえて事業者が収益をあげるには、①介護職からの搾取 ②(富裕層向け)自費サービス ③不正請求または過剰サービス 以外の手段はない。

天井が低く統制された介護保険の「準市場」において、不払い家事労働者=女性の互換とされた介護職が、有償性と専門性に疑問符がつく「準労働者」になるのは構造的必然だった。

3.介護職の当事者性に立つ「サプライ論」の視座

現代日本社会まで相続されてきた、ケア労働がはらむ低い社会的地位の遺伝的な核には、「ニーズ」への偏重がある。ケア利用者を主たる当事者とみなすニーズ論(上野2011)は正当にみえても結果的に、ケア労働者の当事者性を劣後させる。ケア労働者の被抑圧史を脇に置くニーズ中心の福祉の論理は、奴隷制を奴隷主のニーズから、家父長制を男性のニーズから論じる類型である。

対して、ケア労働者(介護職)を主たる当事者とみなす、ニーズ論に対置されるケア労働論としての「サプライ論」が本論の視座である(*2)。ニーズ従属の供給システム論とは異なるサプライ論では、家父長制を女性から、奴隷制を奴隷から見るように、「だれが」「なぜ」ケア労働者になり「どのように」働くかといった点が問題になる。サプライ論はニーズ論の否定ではなく、ケア当事者の両輪に均衡を見いだす手段である。ニーズ側のみ肥大化した車輪では、ケアの最善はあらぬ方角に曲がりつづけ、奴隷制と家父長制の過去を円環的にさまよい続けることになる。


4.介護保険の非倫理、経済的非合理

エリック・ウィリアムズが「黒人奴隷制の起源は経済的なものである。人種的なものではない(Williams 1944=2020:39)」と喝破したように、ケア労働は根源的に経済問題にむすびつく。倫理的問題は無論ある。失業者、女性、高齢者、若者、学生、外国人、受刑者などを準市場の介護職へと誘導する施策は(*3)、資本主義を支える倫理的例外としてのケアの植民地化であり、グローバルな労働市場からの低賃金ケア労働者の獲得競争は、大陸間奴隷貿易のアナロジー(類比)になる。しかし、問題が非倫理性だけで、そこに経済的合理性があるなら、奴隷制や家父長制がかつてそうだったように看過は可能である。

しかしながら、介護保険はもはや経済的にこそ非合理的である。先にあげた収益構造の限界3点に加え、利用料の自己負担割合も増加しつつある。不足する有資格者数の確保のために資格水準は低下に向かう。増え続ける要介護者に伴って介護職も増員を要し、現状維持でも社会保険料は引き上げられるが、賃金上昇政策の介護職ひとり当たりの裨益率は下がる。移民の大規模導入は、低待遇の固定化とさらなる介護労働忌避につながりかねず、社会的包摂コストも計り知れない。

ケア労働の質と量を担保しえない、構造的欠陥があきらかな介護保険に固執するのは、奴隷制や家父長制同様、ニーズにもとづく既得権への依存であらたな社会構造を構想しないからである。

5.「ケア労働交換」による介護労働の普遍化

ケア労働と低い社会的地位の遺伝的結合を解体し、「利用者か、ケア労働者か?」の二者択一ではなく、両者を発展的に包摂(=止揚)する社会構造はあり得ないのだろうか?

解法は、介護保険下では達成し得ない「有償化」「専門化」の不毛な追求をやめ、ケア労働がはらむ「無償性」「非専門性」を建設的に再定義する、「脱有償化」「脱専門化」にある。その結果として、「だれもがケアし、ケアされる」ケア労働交換方式で、介護労働が普遍化に至る。

介護保険では、労働で得た賃金で「有償」の介護保険料と税と利用料を支払い、介護保険を経由して「有償」の介護労働を受け取る。対するケア労働交換の場合、社会保険料を支払う代わりに「無償」のケア労働義務を担うことで、ケア労働の「無償」提供を受ける権利と交換する。「専門化」により門戸を狭めるのではなく、介護知識と技術の一般普及による「脱専門化」で、介護労働はすそ野をひろげて普遍化に向かう。漸次(再)公営化する介護事業の従事者は、運営管理を担う専従職員を除いてケア労働義務者で代替される。

介護労働の普遍化を幕開けに、ケア労働の階級性が解体するあたらしい社会が到来するが、倫理的な成果は結果にすぎず、誘因となるのは経済的合理性である。たとえば労働自体の交換により、上がらない賃金と高くなる利用料が問題にならず、社会保険の中間コストも省かれる。ケア労働の量の確保が質の担保にもつながる。賃労働を経由しないため景気や社会の変化に左右されづらい。受け入れコストの高い移民労働者を抑制し、ケアを単位とした地域コミュニティの再構築につながる。

6.予想される批判と課題

既存の社会構造の否定であるため、予想しうる批判は多い。むしろ強制労働による国民の奴隷化ではないか? という問いには、そもそも賃労働を原資とする社会保険自体すでに間接的な強制労働である。ケア労働交換の裨益者は国家ではなく労働する本人であるため、その強制性は互酬的に相殺される。あくまで交換可能なケア労働が対象なので、共産主義的な全体主義とも異なる。

介護は「だれもができる」労働ではない、という指摘には、本論は「どうすれば、介護はだれもができる労働になるか?」という視点に立つ。たとえば初任者研修130時間の水準は(精査すれば、おそらくは介護福祉士水準でさえ)、公教育等への組み込みが可能と考える。そもそも、非専門・不払いの家族介護の存在を前提とした介護保険は「専門性」の必要性を主張し得ない。

課題としては、労働人口の多寡で地方格差が生じるが、ケアに基づくコンパクトシティ化の契機にもなる。人口減社会における世代間格差は、高齢化のピークアウト以降ゆるやかになり、「だれもが担う」母数によって緩和される。家族介護もケア労働交換に包摂すべきだが、家族であっても同じ質と責任を負わなければ普遍化にはならない。保育、障害、あるいは基礎インフラのエッセンシャル・ワークなどの分野にもケア労働交換の構想は援用しうるが、分野別の特性があり今後の検討とする。

ケア労働忌避によるフリーライダーの抑止や、本業等への弊害を減じる運用は不可欠になる。「累進課役」の導入により、資産・所得が高いほどケア労働義務を増やす代わりに(その一部を)金銭による代替可としたうえで、金額を本人の労働価値に比例させる(高所得者ほど「一日の買い戻し」が高額になる)などの方法も考えられる。その場合、金銭代替分を有償ケア労働で埋めても、買い戻された日当の平均を賃金とすることで待遇的劣位に置かれない。

以上、本論では、介護職を低い社会的地位に留め置いても劣化が止まらない介護保険に代わる「ケア労働交換」の構想と、そこにいたる背景を端的にとりあげた。

 

注:
(*1) ケア及びケア労働の定義は様々だが、介護労働を中心に扱う本論では、主に家庭内でおこなわれてきた(あるいは家族により代替されうる)「家事ケア労働」を「ケア労働」と呼称する。ゆえに、家庭で担われることが一般に想定されない医療分野などは原則含んでいない。
(*2) 戦後の社会福祉労働論を概括し、ケア労働者の賃労働としての「一般性」が、対人援助職としての「特殊性」を前に限界を迎えたという指摘(渡邊2017:222)は重要である。ニーズ論を「特殊性」、サプライ論を「一般性」として捉えたとき、現代社会福祉史はケア労働が「特殊性」に傾斜する過程だった。
(*3) 厚生労働省(2024)『外国人介護人材の業務の在り方に関する検討会 第7回』における、介護人材の「富士山型/山脈型」モデルを参照(社会の低層におかれた介護保険システム内の、さらなる階級的構造として)。および法務省(2021)『令和3年度 法務省行政事業レビュー「公開プロセス」』補足資料『受刑者就労支援体制等の充実』より、受刑者の職業訓練「介護コース」新設(令和2年度)。

文献:
・上野千鶴子(1990)『家父長制と資本制: マルクス主義フェミニズムの地平』岩波書店
・上野千鶴子(2011)『ケアの社会学 当事者主権の福祉社会へ』太田出版
・渡邊かおり(2017)『新たな社会福祉制度の下での社会福祉従事者研究の課題 :戦後における社会福祉従事者論の検討を通して』社会環境研究 第11号 2006.3
・Donovan Rebecca(1987)『Home Care Work: A Legacy of Slavery in U.S. Health Care』
・Tronto.C.Joan(2015)Who Cares? How to Reshape a Democratic Politics, Cornell University Press(=2020, 岡野八代訳『ケアするのは誰か? ―新しい民主主義のかたちへ』白澤社)
・Williams Eric(1944)CAPITALISM & SLAVERY, University of North Carolina Press(=2020,中山毅訳『資本主義と奴隷制』筑摩書房



武蔵野大学大学院大谷 航介
上智大学卒、武蔵野大学大学院修士課程(実践福祉学専攻)
研究テーマは、エッセンシャルワークとしてのケア労働の社会構造(奴隷制、家父長制、介護保険)
資格:社会福祉士、介護福祉士、防災士
業務分野:介護福祉、災害支援、国際協力、子ども・若者支援
上智大学卒、武蔵野大学大学院修士課程(実践福祉学専攻)
研究テーマは、エッセンシャルワークとしてのケア労働の社会構造(奴隷制、家父長制、介護保険)
資格:社会福祉士、介護福祉士、防災士
業務分野:介護福祉、災害支援、国際協力、子ども・若者支援
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