複雑性の基準から考えると、世界中で最も単純なものは人間が作ったものだ。工業製品はいくら複雑に見えても、基本構造は分かっているので、その製造を理解し、取り扱いを習得することは出来る(それを使うためのマニュアルも完全に作ることが出来る)。同様に理解可能なものは、人間が作ったシステムだ。国の統治機構は所詮人間が作ったものであり、個々の変更や改善は容易である。変えることが難しいのは、利害関係が関与しているからであり、それがなければ、システム変更の設計は容易になるはずである。
これに対して、複雑なものは、「自然」である。物理的な自然、例えば、気候、海洋の変化あるいは、大陸の移動などは、人間が作ったものに比べると比較にならないほど複雑だ。その上、自然が作ったものの多くは、人間が日頃考える単位でなく、数百年、数千年、あるいは数万年単位で出来上がったものなのだ。従って、この様な自然を理解し、コントロールすることは簡単には出来ない。例えば、地震の予知は、その入り口に達したかどうかの程度で、人間が作り出した機械やシステムに比べ、はるかに理解が難しい。従ってこの分野をコンピュータで分析するにしても、長い時間を要するだろう。しかし、科学技術の発達は、少しずつではあるが、自然の複雑な仕組みを解き明かしている。その大きな理由は、自然を「もの(物質)」と考える事が出来ることだ。ミクロな物体も、宇宙というマクロな対象も、物質であれば、ニュートン力学⇒相対性理論⇒量子力学などを使い、人間はその仕組を解明しつつある。
それに対して、自然の中でも、複雑なものは生命である。自然の物理的な変化(気象観測、地理的変動)はある程度分析出来るかもしれないが、生命の理解はさらに難しいものである(未だに生物と物理は分野が異なる)。そして、この様な生命の進化の最も先端に位置する人間に対して、その体や心の仕組を完全に理解することは、最も困難なものになるだろう。そして、人間の身体に関しては、遠い将来には、科学技術によって完全に理解することが出来るかもしれないが、地球上で最も複雑な、宇宙の構成にも匹敵する人間の脳の理解は最後まで難しいだろう。そして、人間の脳から発せられる精神を電子的・物理的に理解することは想像を絶している。このことをケアに当たる人たちは念頭に置くべきである。
しかし驚くべきことに、このような複雑で理解しがたい人間の精神に対して、ケアは(普通に)行われていた。このやり方は「経験的」な知見に沿った方法である。「経験的」知見は、自然科学の論理を使うことなく、個人的な認知に基づく理解を元に行われていた。いろいろの方法が「経験的」知見を元に一般的真実のように思われている場合もある。ここに自然科学が介入するとどうなるだろうか? 現在、奇妙な現象が「経験的」知見と自然科学の論理との間で起こっている。
高齢者、障害者のケアにおいては、身体よりも精神(心理、感情)に関与しなければならないことが多い。精神を対象とすることは、最も複雑なものを相手にしていることになる。その意味で、高齢者、障害者の精神を相手にする場合、工業製品に対するような、現在知りうる科学技術を元にした、(科学的)アプローチでの対処方法はうまくいかない場合が多い。つまり、対象物を解明し、それに働きかけるためには、その構造を明らかにして、分類し、分類されたそれぞれに対する対処法を考えるが、簡単な構造のものに対しては、単純に分類された方法で十分対処することが出来る。しかし、それが複雑になると対処方法も複雑になる。当然、対処マニュアルが複雑化し、あるいは、マニュアルではうまくいかない現象が数多く出現するのだ。
対人サービスにおいて、特に障害がある人、障害がある高齢者は、そのサービスが人間性の深い精神に達する事が多く、その現象を(科学的に)分類して整理することが困難になる。あえて分類しようとすれば、複雑なものを単純化せざるを得ない。単純化した対処法は、現実と違った要素が多くなってくる。単純化したマニュアルでうまくいかない場合には、それぞれの対象者に合わせた「経験的」対策を取るようになる。そこにはもはやマニュアルと言えるものはなく、個々で勝手にやっているだけになり、ケアの品質の差異も大きくなる。
このような場合、一度原点に戻り、精神に対するケアはどの様な原則、理念に基づくのかを改めて確立する必要がある。日常的に起こるさまざまなことへの対処に先立って、原則、理念を確立しなければならないのだ。つまり、よくわからないものに対する場合には、改めて原則に戻ることが必要となるように、多くの介護上の問題は、この様な原則を打ち立てる必要があるにも関わらず、対症療法的対処、経験的介護、一部科学的と言われるケアを行うために起こるのである。
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