畜産牛のスマート放牧による、農地の粗放管理

日本の耕作放棄地の現状 

2024 年現在、日本の耕地面積は約 432 万 ha(田 235 万 ha、畑 197 万 ha)であり、2.4 万 ha/年ずつ減少が続いている。とくに中山間地域や離島など条件不利地では高齢等によって耕作を断念する農地が1.4 万 ha/年ずつ増加しており、そのまま荒廃地として放置されてしまうところが大多数となっている。

農林水産省「令和4年耕地面積」より抜粋

荒廃地の増加は野生鳥獣の拠点となり、また利水や災害防止の観点から集落での暮らしを維持する上で中山間地域のみならず下流域や都市部にも影響を及ぼすものである。近年は集中豪雨や台風の激甚化といった風雨災害の増大に伴い、土砂災害および水害の発生が顕著となってきている。予防的観点で荒廃地の適正な維持管理が求められる一方で、この耕作放棄された農地が荒廃地に至る主要因としての高齢化や担い手不足といった課題は、一朝一夕に解決できるものではない。 

また 2024 年、記憶に新しいところでは「令和の米騒動」と呼ばれる米穀の受給ギャップが発生した。主に 8 ⽉の端境期において、南海トラフ地震特別警戒や台風の接近といった国⺠の備蓄需要が一時的に増加したためであるが、社会インフラとしての農業に注目が集まる機会ともなった。さらに国際的な情勢や円安傾向を踏まえると、中⻑期的には我が国の食料生産体制の維持が国際的な安全保障に繋がる蓋然性は高く、耕作放棄された農地を荒廃させずに粗放的に維持する必要性は高まってきている。

耕作放棄地の粗放利用

農地の粗放利用とは、耕作が困難となった農地を鳥獣緩衝帯や蜜源作物、特用林産物等の比較的付加価値の低い農作物生産に利用するもので、とくに中山間地域等の条件不利地において農山漁村振興交付金の1つのメニュー(最適土地利用のための総合対策)として制度化されている。荒廃化していくにしたがって灌木や葦・ススキ等の宿根性植物が繁茂して、再生利用が困難となる前に一年生草本や花卉園芸植物の生産を進め、いつでも農地に戻すことができる状態を維持するものである。 

上記の農山漁村振興交付金では、上限 1,000 万円/地区/年(体制整備)と上限 10,000 円/10a(粗放的利用支援)の予算交付が認められており、耕作放棄地のソフト的利用の多様化が期待されている。取組み内容は集落の合意の上である程度自由度を担保した形で決められ、また地域おこし協力隊や農用地保全等推進員等の人件費相当分を負担することもできるため、農業に関心を持つ若者や非営利組織といった多様な主体の参画も可能となっている。

農林水産省「最適土地利用のための総合対策(農山漁村振興交付金)」より抜粋

集落での粗放生産モデル(例) 

集落における粗放管理を進める上で、どのような品目の作物を生産するべきかを検討する。

・草本性作物(イネ科)
畜産動物を育成するための飼料米、デントコーン、ソルガム等の穀物部分よりも草本部分が多収できる作物を選定する。乾田に直播し、雑草等が繁茂してもそれらを丸ごと収穫できる程度の粗放管理を可能とする。一年生草本であるため、毎年トラクターのフレールモアで耕転すれば農地を維持することができる。

・スパイス系植物
シソ、唐辛子、えごまといったスパイス類として使える植物を栽培する。低重量高単価で取引され、乾燥や加工もしやすいために高齢者でも扱いやすい。森林との境界部分に植えることで鳥獣害を抑制する効果も期待できる。

・花卉類
主に緑肥となるヒマワリやカラシ菜、レンゲといった草本植物を栽培することで、地力を維持しながら景観も保全することが可能である。とくに棚田のような環境において花が段々に植わっている光景は、訪れる人々に対して魅力的に映るため、農地を維持するモチベーションにも結び付けられる。

・特用林産物(山菜・キノコ類、漆、ミツマタ、クロモジ)
わらび、タラの芽、ふきのとう、こしあぶらといった山菜は人気が高く、直売所等に出荷しやすい。シイタケやナメコ、マイタケといったキノコ類は周辺の森林から広葉樹を調達できれば原木栽培できる。また漆やミツマタ、クロモジのような工芸品にも使われる下方植生を栽培すると、特定の用途に対して高い需要を喚起できるため経営としては安定しやすい。

・ビオトープ
水田跡地のような水辺環境はビオトープへと用途変更しやすい。希少生物が棲みつき、繁殖を行なうようになれば環境学習やエコツーリズムのようなソフト価値が見込まれ、多様な人々の交流が促進できる。

日本のカロリーベース食料自給率が低い理由 

我が国のカロリーベース食料自給率は 38%(令和 5 年度)と、⻑年 40%以下を推移している。国⺠の供給熱量に対する国内自給割合が低い項目は、油脂(4%)、畜産物(17%)、⼩⻨(18%)、砂糖類(26%)の順となっており、うち畜産物については飼料を含めない場合には国内自給割合が 64%に上昇する。 

農林水産省「令和 5 年食料自給率について」より抜粋 

この畜産物の飼料について、国産化を進めることによってカロリーベース食料自給率の 10 ポイント程度の改善は可能であり、食料安全保障の観点からも有効である。とくに輸入飼料としてのトウモロコシや大豆などの穀物類は、海外での水(バーチャルウォーター)や土地利用の観点から今後も調達コストが上がっていくことが見込まれており、ロシアのウクライナ侵攻以降、世界食料価格は高止まり傾向となっている。 

FAO 世界食料価格指数推移

食料自給力指標の向上

農林水産省では、食料自給力指標という数値目標を設定し、有事の際の日本国内での食料自給の可能性について検討している。主に土地利用の観点と、農業技術の発展、農業労働力の投入という3つの要素によって成り立っており、土地利用の観点では不作付地や荒廃農地の再生利用が含まれる。 

農林水産省「日本の食料自給力」 

この食料自給力という考え方が機能する前提として、再生しやすい状態の荒廃農地が維持され、省力化のために必要な機械類が配備され、ある程度習熟した充足可能な労働力が存在することが挙げられる。つまり平時から粗放利用され、機械類や労働力を非常勤体制で投入するための最低限の経済性を維持している状態が望ましい。 

農林水産省「日本の食料自給力」 

耕作放棄地における畜産物生産 

我が国において主に消費されている畜産物は、牛肉・豚肉・鶏肉・鶏卵・牛乳である。その中でとくに経済的価値が高いのは牛であり、農地の粗放利用に対して最低限の経済性を維持する上でも有効であると考えられる。主に飼料となる草本性植物の栽培や放牧地としての利用が主となるが、鳥獣害防止の観点から集落の緩衝地帯に昼夜放牧するといった手法が考えられる。 

とくに放牧地としての農地保全は、クローバーや野芝のようなカバークロップを撒くことで低草維持が可能であり、水田跡地でもソルガムやデントコーンといった飼料作物を粗放生産できる。集落においてこの周年作付計画を策定し、全体最適での土地利用を進めることで鳥獣害被害を防ぎつつ住⺠の生活を維持することができるのではないか。

実際に中山間地域に対する牛の「スマート放牧」は、農研機構によって島根県三瓶山の国立公園内において実験・マニュアル化が進められており、GPS による牛の遠隔監視が可能となっている。

農研機構「スマート放牧マニュアル」より抜粋 

アニマルウェルフェアに配慮した乳牛・肉牛のハイブリッド生産 

スマート放牧においては、主に肉用牛の繁殖を念頭に実証実験が進められている。他方で、北海道を中心に乳用牛生産のスマート化も同様に進められており、この2つの畜産業を融合させたイノベーションを提案する。このスマート放牧の実証実験が行なわれている島根県を含む山陰地方では、肉用牛の生産高が増加しており、良質な仔牛を他県に供給する繁殖肥育においてノウハウを蓄積している。 

とくに鳥取県では、10 年間で 2.4 倍の 60 億円と肉用牛産出額が伸びており、神⼾牛や但⾺牛等のブランド牛に供給されている。繁殖段階では飼料要求率がさほど高くないため、草本性飼料での飼育が可能である。そのため高温多雨な日本の中山間地域は大半が粗放生産の適地として活用できる。 

近年はとくに海外からの和牛人気が高まっており、仔牛の価格も 50 万円/頭程度で取引されている。つまり集落において、20 頭/年の生産が見込まれる程度のスマート放牧が実践できれば、1,000 万円/年のキャッシュフローが維持できる。

また近年の技術革新の1つとして、肉用牛の受精卵を乳用牛に移植する受精卵移植(ET 技術)が行なわれており、乳用牛を⺟牛とする形での肉用牛のハイブリッド生産が可能である。とくに乳用牛では雄の仔牛はすぐに殺処分されてしまう運命にあり、アニマルウェルフェアの観点から肉用牛の借り腹モデルでの妊娠・乳生産を導入することで酪農による経済性を付加できる。

中山間地域におけるスマート放牧モデル導入の経済性検討 

中山間地域の限界集落のようなエリアにおいて、畜産牛のスマート放牧を導入するモデルを検討す る。筆者が活動していた岡山県北部の棚田では、中山間地域直接支払交付金を活用し 10ha/年程度の耕作放棄地を再生し、その後稲作によって維持してきた。全体では 100ha の棚田が存在するが、労働投入量の限界から 30ha 程度の耕作を維持しつつその他は草刈り・荒起こし程度の軽作業に留まっている。仮に 100ha の農地のうち 20ha を稲作に利用し、80ha をスマート放牧による粗放管理で維持するケースを想定する。 

【体制整備】
<初期費用> 約 2,390 万円(うち農山漁村振興交付金で 55%支給⇒約 1,080 万円の手元資金)
乗用トラクター用フレールモア(トラクターは既存のものを転用) 100 万円
獣害防止フェンス 2,000 円/m 2,000 万円(10km) 電気柵 20 万円/100m 200 万円(1km)
RTK-CPS GNSS 受信機(NTT ドコモ) 3 万円×30 台 90 万円

<ランニング費用> 330 万円/年(農山漁村振興交付金にて最大 5 年間支給)
農用地保全等推進員(2 名・非常勤) 250 万円/年
RTK-CPS システム利用 5 万円/年
点検・見回り用ドローン(Skydio2+) 5 万円/年
会議体組成・運営 20 万円/年
先進地視察等 50 万円/年

【畜産牛導入】
<初期費用> 300 万円
乳用牛⺟牛導入 10 万円/頭 ×30 頭

<ランニング費用> 150 万円/年肉
用牛受精卵 3 万円/回 ×30 回獣医師等受診料 1 万円/回 ×50 回
牧草種苗 10 万円

スマート放牧モデル導入の概算


※FY1〜3 では、地域おこし協力隊制度を併用して人件費を軽減
※農山漁村振興交付金による最適土地利用総合対策を 10 ヵ年計画で策定


本事業において、限界集落での雇用を維持するために、30 頭の乳用牛⺟牛の導入と 20 頭/年の肉用牛仔牛の外部販売を想定する。農山漁村振興交付金の支給が行なわれる 5 年間で初期費用の大半は償却可能であり、以降は年間 190 万円程度の利益を積み上げられるため、機械類の更新や畜産牛の病気等の事態に備えることも可能となる。また本事業においては農地を柔軟に耕作地に戻すことも可能であり、20%程度の耕作をエリア内でのローテーションを回していくことで土地利用の継続を担保する。

本事業による雇用創出は非常勤職として 2 名を想定しており、300 万円/年の人件費負担を見積もっている。兼業の1つとしてこの基幹的な仕事が発生することで、限界集落における仕事づくりをしやすくなり、また稲作や搾乳、粗放生産作物等のいくつか付随する収入源も考えられる。トータルで500万円/世帯の収入を確保することで、集落機能の存続を若者世代にも提供できるモデルとなる。

人口減少社会においては、役割や立場の多様化・多層化が一層重要となり、とくに集落において基幹的な役割を担う若年層が継続して暮らしていける環境を整備することが存続するための要件となる。このような「稼げる田舎」を全国各地に創出していくことで、若年層のライフスタイル多様化の選択肢を提供しながら QOL を高めていけるのではないか。

中山間地域の畜産動物としてのダチョウの可能性 

牛、豚、鶏、⾺に続く第五の畜産動物として、ダチョウの養殖と畜肉利用を提案する。ダチョウは昼間 50℃、夜間は氷点下になるサバンナの過酷な環境に適応し、日本国内でも北海道から沖縄まで飼養が可能である。畜肉は赤身の高タンパク高鉄分のヘルシーな肉質であり、牛に似た食味の良いものである。畜肉以外にも皮革や羽毛にも利用価値があり、卵は鳥類最大である。

ダチョウは草本飼料を中心に肥育が可能で、桑や豆類のような日本の在来作物を好む。1 年程度の生育期間で出荷が可能であり、飼料要求率は 3 程度と鶏と同水準である。臆病で群れを形成する性質があるため、何羽かのグループをまとめて囲いの中で飼養することが望ましい。走らせると肉質が落ちるため、なるべく刺激を与えないような環境を用意したい。

現在、吉野家ホールディングスのような大手外食産業がダチョウ肉の生産に着手しており、茨城県内に牧場を開設してダチョウの繁殖や肥育のコストダウンについて研究開発を進めている。あらゆる環境に適応でき、また肥育期間の短さや飼料効率の良さ、草本飼料を中心に肥育できることなど、日本の中山間地域において養殖できる要素が揃っている家畜として、ダチョウに対する期待は大きい。

筆者作成

中山間地域の農地保全によるグリーンインフラ

中山間地域の限界集落において農地を粗放管理することは、災害防止や生物多様性の保全といった観点でもメリットがある。とくに近年、コンクリートによるハード整備(グレーインフラ)から、自然環境の再生能力を活かしたグリーンインフラの活用が国土交通省においても提唱されており、最低限の労働力を投下しつつ維持管理していくことは希少な動植物を保護していくことにも繋がる。

またグリーンインフラを活かした畜産においては、荒廃地の緑化による二酸化炭素の固定や、畜産牛の蠕動運動の促進によるげっぷメタンの低減といった、温暖化防止の効果も期待できる。これら排出量取引のような経済性評価については今後の進展が期待されるが、企業がインパクト投資のような手法によって直接的にこの条件不利地域に資金拠出を行なうロジックとなり得る。

地域振興の観点からも、エコツーリズムやアウトドアアクティビティの誘致といった経済活動の場として価値向上が見込まれ、人口減少社会において日本全国の魅力を再構築する流れに繋がる。コンクリートによって固められた砂防や河川といった各種インフラを低コスト低メンテナンスなグリーンインフラに変えていくことは、緑豊かな日本こそが世界に先駆けて進めていくべき施策である。

国土交通省「グリーンインフラポータルサイト」より抜粋 

中山間地域におけるサステナブル・ビジネス創出の経験

筆者は岡山県北部の中山間地域において、地域おこし協力隊制度を活用して棚田再生に従事した経験を持つ。棚田での水田耕作は重労働であり、雑草防除や獣害対策といった容赦ない自然環境の洗礼を受けながら棚田を守るためのいくつかのビジネスを考案・実践してきた。

「棚田 de セグウェイ」
棚田は傾斜地であり、徒歩で上下移動するのは厳しいため電動の乗り物導入が適している。そこでセグウェイという立ち乗り型の⼩型電動モビリティを購入し、田の見回りや電気柵のチェックといった移動に使っていた。

棚田では後背地に水源となる山地を有しており、そこには 5km もの水路が張り巡らされている。土砂や落葉が堆積するとこの水路が詰まって田に水が来ないため、定期的にメンテナンスする必要がある。このメンテナンス用の通路がエコツーリズムに活用できるのではないかと考え、週末などにはセグウェイで巡るツアーを企画するようになった。⼩型電動モビリティは音が静かなため、木々のさざめきや水の流れ、鳥のさえずりといった自然の音が聞こえやすく好評であった。また、セグウェイの充電を水路に設置した⼩水力発電で行なうことで、移動に関するエネルギーを自給した。

この取組みは国内外のメディアから取材を受け、表彰されるとともにトヨタモビリティ財団の⼩型モビリティ活用プログラムに発展的に活用される結果となった。

「夏祭りの復活とスカイランタン導入」
筆者が活動していた集落では担い手不足により 2000 年代に入ってから夏祭りが中断されており、地域住⺠からは懐かしさとともに復活を望む声が聞こえていた。しかし高齢化した集落の住⺠だけによる負担には限界があり、いかに都市部の若者たちを呼び込むかを検討した結果、台湾やタイなどで人気を博していたスカイランタンを導入することにした。

火の着いたものを上空に揚げるという性質上、消防署に相談したところ主催者自身が消防団員を兼務していたため、前例がないにも関わらず防火体制を万全に取ることで許可を得ることができた。台湾からスカイランタンの素材を輸入し、それらに願い事を記入して揚げる体験を1つ 1,000 円の協賛金を集めることで提供したところ、100 個が瞬く間に売り切れて都市部から家族連れや若者たちが夏祭りに集まるようになった。

この取組みは後日、TV ドラマ『ナポレオンの村』の初回エピソードに採用され、筆者もドラマ制作者より取材を受けた。またこのようなスカイランタンを揚げる取組みは全国各地に広がり、LED の採用など安全性を担保する形での継続発展が進められている。

限界集落は切り捨てるべきか

人口減少社会において、とくに先鋭的なネット等では中山間地域の限界集落のような末端の非効率的な地域社会は切り捨てて、中核都市や大都市圏に集住すべきといった言論を散見する。筆者はこれまで20 年以上、地域再生や地方創生の実践的取組みに携わってきた経験を踏まえ、このようなコストパフォーマンスから日本の国土保全を議論することを危惧している。

歴史的経緯を踏まえれば、水やエネルギー、木材といった生活を支える資源は主に森林とそこに隣接する中山間地域から得てきた時代が⻑く続いてきた。近代になって化石燃料が海外から輸入されるようになり、港湾と平野部の周辺に大都市圏が形成されて人口が集中するようになったのは昭和に入ってからである。ここ 100 年程度の地勢的な状況から、鉄道や自動車といった移動手段の発展とともに人口移動が起こった結果が現状の東京を中心とした大都市圏の形成である。

他方で東京圏の人口は 2,000 万人程度であり、1 億人程度の人々は地方に継続して暮らしている。土地利用の観点では東京一極集中と呼ばれるような現象が起こっているわけではなく、むしろ様々な地域の特色を維持しながら、その土地の文化を守り伝えようという地域住⺠たちが多数派を形成していると考えられ、とくに地域文化を色濃く残す山間地域の分散状況を将来世代に繋いでいくことは多くの国⺠的合意が得られるのではないだろうか。

最近でも 2024 年元日に発生した能登半島地震の被災地について、復興の遅れや避難住⺠の帰還が遅れているといった指摘がある。それらに対して能登半島を見捨てるべきといった言論を述べる者もい る。しかし能登半島のような、内海と外海に囲まれた生物多様性に育まれた独自の食文化を有し、北前船によって広域に交易して漆器や文化財を形成してきた歴史を持つ地域を失うことは日本全体の損失である。むしろグリーンインフラや洋上風力発電と水素エネルギーというような先進的な社会資本の再構築を進める実証地としての価値と結び付けることで、歴史的文化がさらに発展する可能性を秘めていると考えられる。

私自身が東京圏出身で、中山間地域でのサステナブル・ビジネスの実践を通じて日本の各地域の多様性を維持し後世に伝えていくことこそが国際的な強みに結び付くと実感している立場であるため、その実践を継続する上で必要な経済性を限界集落においても担保するような事業モデル創出には強い関心がある。日本の持つ科学技術力や様々な要件を踏まえて応用する個々人の能力を活かしながら、その実現先として多くの自然環境条件を持つ地域での実証化を進めることができれば、課題解決先進国としての日本の役割を国際的にも示すことができるのではないか。

人口減少を超克し新たな食料供給システムを

日本で進行している人口減少社会とは、団塊世代を中心とした生産人口が激減し担い手不足が深刻になる一方で高齢⻑寿化によって消費人口は一定度維持されるという、需給ギャップの課題である。とくに中山間地域のような高齢化が先鋭的に進む地域において、土地生産性を落としながらも低位での農地保全を進めることは、将来的な需給がひっ迫した際のセーフティーネットとしての機能と、平地における大規模農業に対する実証的な位置づけという2つの大きな意味がある。私自身は近い将来に食料危機が発生するとは考えていないし、そうなることは望まない立場であるが、ある程度の食料価格の上昇や食べられる品目の減少といった不便益は予測している。

一方で食を中心とした文化の多様性や、生涯現役が求められる世代における農的暮らしに対する憧れといった目に見えない価値を守り続けるためには、この食料供給システムの合理性を高めながら経済的に回り続ける仕組みを創出していく必要がある。とくにグローバル社会における食料調達や、食料生産に必要なエネルギー調達は不透明さを増しており、国内で自給できる規模やノウハウを維持し続けることは重要な安全保障政策である。この食料供給システムという安定した基盤に対して、日本の各地域が個性を発揮しながら参画し続ける状態こそが日本という国土を保全するための一番の方策である。

グローバルに張り巡らされた巨大な流通網によって維持されている日本の食卓は、実は非常に脆弱な基盤によってかろうじて成り立っているに過ぎない。そしてそのバランスが気候変動や安全保障リスクの高まりを受けて崩れる可能性は十分にある。本稿のような課題提起を通じて、多くの読者に日本の中山間地域のような多様な国土を守り伝えていく重要性に気付いてもらえればとても嬉しい。

一般社団法人村楽東 大史
第2回懸賞論文「日本の人口減少を考える~50年後の社会システムはどう変わる?~」
佳作論文です。
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