皆さんは、タンザニアにどの程度馴染みがあるだろうか?世界でも有数の山キリマンジャロ、希少動物と出会えるサファリ、美味しく香り高いコーヒー、オリンピックのマラソン選手等でタンザニアを知っている人もいるかもしれない。私は、2023年5月に日本からタンザニアに拠点を移す前、2度仕事で訪れたことがあった。それ以外にも、難民に関する大学の卒業論文でタンザニアを対象国の一つとして研究し、ボランティア活動でタンザニア人と知り合ったことがある。その意味では、多くの方に比べると、馴染みがある国の一つと言える。それでも実際に生活をしてみると、まだまだ知らないことが多く、現在も日々、生活の中で新たな気づきを得ている。
タンザニアとの縁に感謝し、今回から4回に渡って、タンザニア情報を皆さんにお届けしたいと思う。生活の中では、様々な「えー!」、「あ、そうなん?」と思うこともあるが(笑)それらの楽しさも含めて、私は、この国に愛着が湧き、好きになった。私が伝える情報をきっかけに、タンザニアへの心理的距離が縮まり、いつかタンザニアに行ってみよう、タンザニア人と話してみようと思う人が増えることを期待したい。
タンザニアは、東アフリカに位置する大国である。大国と書いたのは、日本の国土面積の約2.5倍もの大きさがあるためである。その広大な国土に日本の約半分の人が生活している。歴史的には、現在のタンザニアの国土に様々な部族が各王国を作り、生活していたものの、1800年以降、オマーン帝国、イギリスと一部ドイツの植民地時代を経験する。それらの時代を経て、1961年にタンザニアの本土にあたるタンガニーカが独立、1964年に島しょにあたるザンジバルも独立、両者が1964年4月24日に合併し、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国(後にタンザニア連合共和国に改称)が成立し、現在に至る。2024年は、独立60周年に当たる節目の年である。国に誇りを持つタンザニア人が多いこともあり、お祝いムードが流れている。
タンザニアの政治は、民主主義、世俗主義、社会主義である。1977年4月25日に改正された現行憲法にそれらが明記されている。その上で、タンザニア連合共和国という名の通り、共和制を取る。共和制は、日本にいるとイメージしにくいため、具体的に説明する。先述の通り、タンガニーカ(本土)とザンジバルが合邦してできた連合共和国であり、大統領は本土およびザンジバルの有権者の直接投票により選出される。一方で、ザンジバルには、連合共和国政府とは別の独自の司法・立法・行政自治権があり、独自の大統領を有する。両者の対等な関係は、仮に大統領が本土出身であれば副大統領にはザンジバル出身者が就任する。逆の場合も同様であり、現大統領サミア・スルフ・ハッサン氏はザンジバル出身であるため、副大統領フィリップ・ムパンゴ氏は本土出身となる。ちなみに、2025年10月が次期大統領選挙にあたり、2024年11月現在すでに、選挙モードの様相を帯びている。
その他、本土にある省庁機能と同様の機能がザンジバルにも存在し、独立国家が2つと言った方が理解はしやすい。しかし、大統領は首相その他閣僚の任免権、軍の最高指揮権、恩赦権などを有する。そして、国連やオリンピックなど国を代表する行事の場合には、タンザニアとして両者の代表団が参加するため、やはり国としては1つである。
タンザニアの経済は、世界銀行2023年データによると、GDPは791.6億米ドル(日本は4兆2,129億米ドル)、一人当たりGNIは1,211米ドル(日本は33,834米ドル)であり、経済は発展段階にある。しかし、経済成長率は5.2%(日本は1.9%)、失業率は2.6%(日本は2.6%)、そして、人口増加率は2.9%(日本は-0.5%)であることから成長可能性に期待が持てる。
タンザニア中央銀行の2020年データによると、同国のGDP内訳は農林水産業が26.9%、工業・製造・建設業等が30.3%、サービス業が37.2%であり、多様な産業が国の経済に貢献している。現地にいる感覚としては、中小零細企業が地域資源を活かす形で主要産業を形成し、北部の鉱物が取れる地域では鉱業が盛ん、中部は製造・サービス業が盛ん、南部では農業が盛んなど国全体として補完し合っている。しかし、地域の経済状況には大きな差がある。1973年にタンザニア最大の経済都市ダルエスサラームからの首都移転計画が企画され、同年法律上の首都は、現在私が住むドドマに移転した。1996年には立法府がドドマに移り、省庁移転の動きはあるものの、経済の中心地はダルエスサラームである。
日々の生活に目を転じてみると、携帯(スマートフォンやフィーチャーフォン)はほとんどの人が保有する。銀行口座を所有しない人でも携帯を使用し、資金授受が可能となるケニア発の「M-PESA」という電子送金サービスは、タンザニアにも普及しており、金融サービスを代替している。日々のコミュニケーションは、WhatsAppというSNSが主流である。スーパー、レストラン、ホテル、交通の支払い等ではクレジットカードも利用できる。ただし、都市から離れるほど現金(タンザニア・シリング;TZS)を好む人が多いのも確かで、日本よりも現金でのやり取りが多い印象である。
タンザニアの社会として、多民族が平和的に調和して暮らしていることを強調したい。生活をしていて危ないと感じることは、ほとんどない。100以上の民族が国内に存在し、民族別に独自の言葉(母語)が存在する。興味深いのは、スワヒリ語という言葉を国語に制定し、ほとんどの民族語が母語に加え、スワヒリ語も堪能なことである。英語も公用語となっているが、都市から離れるほど限定的であり、私の住まい近くの村の人々は英語がほとんど通じない。その状況でも、ジェスチャーを交えれば最低限のことは分かり合えている気がして、コミュニケーションは思いが重要だとつくづく思う。タンザニアにいると、当然欧米系やアジア系の人とはほとんど出会わない。数少ないアジア系の中では、中国人がほとんどであり、いつも道ゆく人から、「チナー(中国人!)」、もしくは「ムズング(外国人!)」と話しかけられる。その際、「ジャパニ(日本人!)」と返答すると、ある程度の人は「そうなのか!」と理解してくれる。日本を知らない場合でも、TOYOTAの知名度は抜群である。タンザニアには、日本から非常に多くの車が中古車として流入しており、その多くはTOYOTA社製である。サファリのための車は、ほぼTOYOTA社のランドクルーザーであるという話も聞いた。
宗教は、キリスト教、イスラム教、土着宗教が存在し、地域により宗教の割合が異なるものの(例えば、ザンジバルではほとんどの人がイスラム教である)、全ての地域でそれぞれの考え方が尊重されている。例えば、私は、2年前にザンジバルの産業大臣から「アブダラ」というイスラム教由来のスワヒリ語名を授かった。その名前が気に入り、今でも使用している。当然、イスラム教以外の人とも会うことはあるが、「アブダラ」という名前で自己紹介をすると、宗教に関係なく好ましく受け止めてくれ、私はイスラム教ではないという話を加えても、歓迎されている感覚がある。日々のお祈りの時間や週末モスクや教会などでの信仰の時間だけでなく、TV、ラジオ、新聞、SNSなどにも宗教関連情報が溢れている。
最後に、挨拶についても触れておきたい。タンザニアでの人間関係は、まず、挨拶から始まる。「マンボ(こんにちは)!」、「ポア(こんにちは)!」というやり取り(もう少し続くことも多いが)を経て、本題に入っていく。違う言葉を使うこともあるが、ここでのポイントは、会話を続ける前に、相手の状態を確認し合い、気遣うという点である(なかなか大変そうとこちらが感じる時でもI am good(問題ないよー)という人ばかりではあるが笑)。その他、日本同様、年長者を敬う文化も存在する。5歳以上の年齢の差を感じた若い人が年配の人に向かって、「シカモー(お元気でしょうか)!」、「マラハバ(元気だよ)!」とやり取りをする。私も子供たちとすれ違う際に、「シカモー」と言われ、「マラハバ」と返している。
今回の情報で、タンザニアが少し身近に、そして興味が湧いていれば嬉しい。タンザニア人の人との距離の近さは、私が子供時代を過ごした兵庫県丹波市の大家族感とも近い。コミュニティや近所の人々も大家族の一部であり、家族であるからこそ、互いに気にし合って生きている感覚である。私としては、「自分で何とかする」、「ありがとう。もう十分だよ」と思うこともありつつ笑、共生を感じやすいタンザニアの心地よさの一面でもある。
次回、その次と2回に渡って「生活」、最終回に「人々」とテーマを絞り、タンザニアの魅力を伝えていく。引き続きお付き合いをいただければありがたい。
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