少しでも成長を促し利益を得たい場合、生産性向上は欠かせないと多くの人は思っている。どのような業種においても生産性を引き上げることが良いこと、あるいは必須であると考えるだろう。生産性(労働生産性)は得られた産物(売上)を労働にかかる時間で割ったものだ。従って、生産量が同じであれば、労働時間を削減したいと思う。労働時間の削減には、人間が作業を行う代わりに、機械によって代替えする発想がうかぶ。この考えは、すべての事業に適応できると考えられがちであるが、実はそうではない。業種には生産性が上がるものと、上がらないものが存在する。
ウィリアム・ボーモルの「コスト病」はそれを指摘している。この理論では、「労働集約型産業、つまり、演芸、看護、介護、教育、その他の対人サービス産業などでは、労働生産性の向上が限定的であるか全く上がらない。一方、製造業などでは、生産性はITやAI技術によって飛躍的に向上する。この違いを認識することが重要だ」と言っている。18世紀からの技術革新によって、製造業などの生産性が飛躍的に向上した業種によって、産業全体としては成長したのだが、成長が著しい時期でも、産業別に生産性が上がらない業種と上がる業種とが混在したのである。
生産性が上がらない「コスト病」は、ボーモルがベートーヴェンの弦楽四重奏を演奏するのに必要な音楽家の数は、今も昔も変わっていないと指摘したことに始まる。弦楽四重奏では、演奏家だけで4人必要であることだ。3人で弦楽四重奏は出来ない。そしてそれを支えるスタッフの数も同じようなものである。
ボーモルによれば、自動車産業は労働生産性を高めてコストダウンを行い、それによって賃金を引き上げる余地が生じる。しかし舞台芸術の場合は労働生産性を高めることが困難で、工夫により人数を減らすことは難しく、賃金を引き上げるとコストが高騰する傾向にあり、チケット価格が上がる。チケット価格が上昇すると、高額のチケット代を支払える人のみが来場し舞台芸術を支えるか、あるいは観客自体が少なくなるかである。現実にはチケット価格を上げる場合と、引き上げない場合があり、引き上げない場合には演奏家が抑えられた賃金で生活するようになる。場合によると、その舞台芸術自体が消滅して、別の演劇に変わる場合もある。
現在は「すべての」業種で生産性を引き上げることが求められている。しかし、その結果は悲惨なことになるだろう。生産性の引き上げに向かない業種では、単純に質の低下が引き起こされるのみとなる。例えば、医療においての看護行為や、医師と患者との対話についての生産性を引き上げる為には、何をすればよいのだろうか?まさか、ロボットにAIを組み込み、医師の代わりに症状の説明と治療の方法を説明すれば済むと考えるのだろうか? このような、芸術、看護、介護、教育、その他の対人サービスなどにおいて、コストカットが求められるとすれば、どのようにすべきなのだろうか?これらの分野では、周辺の無駄なことは排除するにしても、コストカットを求めることをせず、他分野の生産性向上に委ねるべきなのだろうか?
弦楽四重奏で認められる「コスト病」は、医療、看護、介護、教育、その他の対人サービスにおいて同様に見られる。結論は「コスト病」が通用する業種での採算性をもたらすのは、労働生産性の向上でなく、それらのサービスの存在意義に依存することになる。弦楽四重奏を聞くコストが高すぎて、誰も聞かないのであれば、そもそも熟練された奏者による弦楽四重奏は存在できないのだ(そして人々の生活にはあまり差し障りはない)。同様に、医療、看護、介護分野では、その行為が受益者にとって必要かどうかを判定し、行為者を存在させるかどうかになるのである。
介護の場合は、その行為が必要かどうかによる。例えば、老人ホームが本当に必要かどうか、一つの介護行為が必要かどうかによって、コストが決定される。自分で出来る範囲が広がると、必要性がない行為も増える。つまり、ウィリアム・ボーモルの「コスト病」では、そのサービス自体の存在意義が価格を左右するのであり、行為自体の存在を前提にしたITやAIの使用による行為の変化によるものではないのである。「コスト病」が存在する業種では、行為の労働時間でなく、行為がなされる構造を変えることによってのみ、その業種の生産性の向上が図れるのである。
※ボーモルのコスト病は、公立病院や公立大学のような公共サービスの生産性が上昇しないことを説明するためにも用いられてきた。行政活動の多くは、かなり労働集約的であり、国民一人当たりの人員を削減することは難しい。生産性の上昇はほとんど可能ではない結果として、人件費は国内総生産よりも大きく増大していく。これにより、物価水準の向上により社会全体の賃金が上昇する時、これらのサービス産業は生産性に大きな変化がないままで人件費だけが高まっている。(Wikipediaより)
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