AIによる画一化と多様化

AI(Artificial Intelligence/人工知能)によって、人間の仕事が奪われると叫ばれて久しい。それは、画一化された単純作業であれば、AIに任せたほうが作業効率が良く、人件費なども抑えられるためである。なるほど、合理的な話である。確かに、これまで事務作業をプログラムによって効率化してきたように、様々な(単純な)業種はAIに取って代わられてしまうかもしれない。特に、現代のような画一化した社会においては、よほどユニークな職種でない限り、AIにはかなわないだろう。それは、いわゆるブルーカラー/ホワイトカラーに限定されるものではない。

しかし、そもそも現代社会は画一化していると言えるのだろうか。あるいは、AIが普及すれば画一化はさらに進むのだろうか。考えられる答えとしては、AIは多様性を生み出すのではなく、画一化した現代社会をさらに推し進めるということである。それは、AIが今までの歴史的事実の最小公倍数をアウトプットしているためであり、天気予報などの未来予測でさえも、過去の情報を基に計算された結果であるためである。つまり、AIが新しいアイデアを出すことはなく、今までの蓄積からアウトプットするということである。

この前提が裏返されるとすれば、そのときには「AIには自我がある」と呼べるような、自己指示的な高度な技術になっているだろう。それを技術と呼べるかどうかは議論の余地があるが、そこまで発達しない限り、多様性がAIから生まれることはない。裏を返せば、新しく創造的なモノは人間にしか作れないのである。しかし、そのような人材は今の社会にどれほどいるだろうか。

ここまでを踏まえると、社会はAIの進歩と共に画一化に向かって進むことで、多様化のポテンシャルを備える人間の居場所/職を失わせていくようである。確かに、画一化した社会において、あえて人間でなければならない職は減っていくだろう。では、画一化の問題点は職種が減ることだけにあるのだろうか。

まず、画一化した社会では進化を見つけることが難しくなるということが挙げられるだろう。新しいモノの萌芽が見当たらないということは、社会の成長が止まっていると言い換えられる。成長が止まることは、過度に成長した社会に休息を与えるという意味では、けっして無駄にはならない。しかし、改善という意味での進化さえ起らない状態が良いかと問われれば、答えは「ノー」の一択だろう。さらに、ここで問題となるのが、そもそも多様化は画一化の対概念となるかということである。言い換えれば、悪とされる画一化の対概念とされる多様化は善きものなのだろうか。ここまでを踏まえると、多様化の動きは画一化した社会が抱える問題への特効薬のように思えてくる。しかし、多様化は全ての問題を解決する万能薬ではない。過度な多様化はそれぞれの主張の衝突によって、社会に混乱をもたらしたり、新たな分断を生み出したりする可能性も孕んでいる。すると、画一化は深刻な問題かと問われた際には、改めて考え直す必要があるだろう。SFにおけるマザー・コンピューターの悪夢ではないが、画一化した社会に見られる批判は、近代における画一化批判を引きずっているものも見受けられる。すると、現代における画一化自体は問題ではないということになる。

話が逸れてしまったが、ここまでで論じたいことは次のとおりである。「AIは社会を画一化に導くか多様化に導くか」、ということである。以上を踏まえると、AIは社会を画一化に導くように思われる。そして、その動きは比例なき速度で社会を再構築しつつ、人間の創造性や多様性を抑圧することで、社会の停滞をもたらす可能性を抱えているようにも思われる。ここで人間側ができることは、「AIへの批判/活用」か「創造性/多様性の創出」である。マックス・ヴェーヴァ―の概念を借りるなら、目的合理的主義としての「AI活用」と、価値合理主義としての「創造性/多様性の創出」の両立こそが個人的な答えである。そうして、倫理的/価値的課題などのAIの限界を理解し、自然知能を有する人間が主体となって活用するとともに、創造性や多様性を育むための新たな基幹制度や社会システムを構築することすることが求められる。

横浜市立大学小林 天音
大学に通いながら、フリーランスとして翻訳やライター業などに携わっている。
主な学術的関心は哲学・心理学・社会学。
大学に通いながら、フリーランスとして翻訳やライター業などに携わっている。
主な学術的関心は哲学・心理学・社会学。
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