富士通にみる日本企業のリスク調査と統合プロセスの脆弱性

少子高齢化および人口減少が同時進行し国内市場が縮小するなか、海外市場へ活路を開く事業戦略は活性化すべきである。海外企業のM&A(合併・買収)は、時間を金銭で買うと言われ日本企業の海外市場への早期参入・立上げに有効であるが、買収後に上手くいっていない案件が少なくないのが実情である。

その一例が、英国郵便局(以下、ポストオフィス)を舞台にした英国史上最大の冤罪事件である。原因となったホライゾンと呼ばれる勘定系システムを納入した富士通の英国現地法人「富士通サービシーズ」の責任を問う声が英国内で高まった。英国BBCの報道によると、富士通サービシーズが1999年ごろからポストオフィスに提供していたホライゾンに欠陥があり、実際の金額とホライゾンに表示される残高が一致しない問題が続出した。郵便局長たちが横領や不正会計などの疑いをかけられ、700人以上の局長らが冤罪にも関わらず、刑事訴追された。集団訴訟の末に、英国裁判所は2019年にホライゾンの欠陥を認定し、ポストオフィス側が損害賠償金を払うことで和解が成立したが、富士通には賠償を命じなかった。

今年に入り、この事件を題材にしたTVドラマが英国で放送されると富士通に対する非難が急速に高まったのである。この事件の原因であるホライゾンの欠陥を起こしたのは、富士通サービシーズではなく「ICL」という英国IT企業であった。富士通が欧州市場拡大のためICLと1980年代に業務提携を行い、さらに1998年に完全子会社化した。つまりM&A案件として、ICLは富士通グループ入りし、その後、富士通を冠した商号に変更されたのだ。

今回の場合、世論を勘案し、英国政府が富士通に対して、道義的責任に基づく補償を要求してくることが十分あり得る。法的責任を免れた事案で道義的という「非常に曖昧な責任」に対して富士通が応じた場合、業績や株価へ少なからぬ影響が出ることが予想される。株主訴訟に発展することもあり得る。しかし、英国で排除されずにビジネスを継続推進する以上、富士通は世論を抑えるために何らかの対応はするだろう。

この件に関して、富士通と同業の国内企業関係者と海外企業の買収を多く実施してきた米国企業関係者よりのヒアリング調査に基づき、以下に私見をまとめた。

ICL買収に伴う投資(約3,500億円 )は、富士通が欧州市場に参入するための手段であり、事業戦略での中核事業であった。この様な巨額の買収を行う際には、DD(デュー・デリジェンス)と言われる被買収企業のリスクの有無や投資に見合った価値があるのかを適正に把握するために事前調査が行われる。その際、被買収企業の財務状況調査や企業買収契約作成が非常に重要になってくるが、これらの専門的な分野は、富士通本社の財務、経理、法務などの専門部署に加え外部の法律事務所や会計事務所を起用し、徹底的に為されてきたと思われるが、問題点を二つ提議したい。

一つ目はテクニカルDDと言われる被買収企業のコア技術の特定、製品開発や品質などの徹底的な分析・調査である。今回の案件では、ICLが顧客に納入してきたホライゾンの品質調査問題が論点であった。少数株主であればシステムの品質問題への関与は少ないが、完全子会社化で、買収企業の社名冠した商号に変更した場合は、買収契約の内容に拘らず、対外的には買収企業の責任となる。各国の文化や商慣習に大きく影響を受けるITソリューションではグローバルスタンダードは少なく、国内市場で培ったものでは海外市場では通用しない。輸出~現地販売法人~現地生産法人のステップを経て現地適合率が高まっていくハード機器と異なり、ITソリューションでは、いきなりM&A・FDI(海外直接投資)を通じた現地化が多い。このため、国内ITソリューション事業部門と被買収先である現地ITソリューション事業部門の繋がりが薄く、被買収先企業が開発してきたITソリューションの品質調査行うことには困難を伴うのである。もちろん、買収企業と被買収企業との間で信頼関係が構築され、同じ方向を向いているのであれば技術・品質面での整合も図れるであろう。しかし、そうでない場合で、被買収企業が技術・品質面での詳細な開示を拒んだ場合、国内ITソリューション事業部門の技術者が、そのハードルを越えることができるとは思えない。

二つ目はM&A後の統合効果を最大化するための統合プロセスであるPMI(ポスト・マージャヤー・インテグレーション)である。一般に、日本企業が欧米先進国の企業を買収した場合は、本社側が現地子会社の主導権を握れず、現地任せにした結果、経営破綻や致命的なミスや不正を招いたりする事例が多い。富士通は日本を代表する大企業であるが、本件では、その事例に洩れなかったのでないだろうか。つまり、多くの場合、買収された現地子会社の経営幹部が保身により日本の本社に不都合なことを開示せず、日本の本社側も性善説と無関心さで現地側一任であったことも原因とされる。仮に、買収契約時のテクニカルDDで品質問題を明らかにすることが出来なかったとしても、PMIのフェーズで富士通と旧ICLとの間で信頼関係が構築されていれば、今回のようなシステムの欠陥問題が大きくならなかったのではないだろうか。

グローバル統合性が高い自動車産業では自社による現地工場設立が主流であるが、現地適合性が高いITソリューションではM&Aが主流となる。グローバル統合のビジネスモデルでは日本本社主導のベースボール型が通用するが、現地適合のビジネスモデルでは現地主導のフットボール型が主流である。

筆者の経験では、M&Aを仲介する外部エージェントは勿論のこと、事業会社内のM&Aを担当する部門などでは、M&Aは本来海外市場への早期参入・立上げの手段である筈が、それ自体が目的となり、PMIが疎かになっている事例が多い。例えば、PMIのフェーズでは被買収先企業に役員などとして日本本社から派遣される人材の属人的な能力に左右される場合が多いが、斯様なミッションを担える人材~日本人に拘る必要はないが~の確保が、今後の日本企業の海外企業の買収を成功裡に導く大きな要素になると考えられる。


参考文献:
・海外ドラマNAVI”
・茶山瞭(2024)「がんじがらめの富士通、「英郵便局冤罪事件」を覆う深い霧」会社四季報
https://shikiho.toyokeizai.net/news/0/732712
・冷泉彰彦(2024)「富士通「イギリス郵便局冤罪事件」の問題点 日本企業が学ぶべき典型的なM&A失敗、海外企業買収で間違わない3つのこと」Wedge Online  https://wedge.ismedia.jp/articles/-/32914?page=2

大東文化大学国際関係学部・特任教授 高崎経済大学経済学部・非常勤講師 目白大学経営学部経営学科&目白大学大学院経営学研究科 非常勤講師 長崎県佐世保市役所 経済活性化~産業振興に関するアドバイザー、博士(経済学)江崎 康弘
NECで国際ビジネスに従事し多くの海外経験を積む。企業勤務時代の大半を通信装置売買やM&Aの契約交渉に従事。
NEC放送・制御事業企画部・事業部長代理、NECワイヤレスネットワークス㈱取締役等を歴任後、
長崎県立大学経営学部国際経営学科教授を経て、2023年4月より大東文化大学国際関係学部特任教授に就任。
NECで国際ビジネスに従事し多くの海外経験を積む。企業勤務時代の大半を通信装置売買やM&Aの契約交渉に従事。
NEC放送・制御事業企画部・事業部長代理、NECワイヤレスネットワークス㈱取締役等を歴任後、
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