水は高い所から低い所に流れます。物の買い手も高い所から安い所へと動きます。それとは逆に、物の値段が、ある国では高く他の国では安いとすると、売り手は安い所から高い所へと物を動かすことも、古今東西変わらぬ原則です。人と物が自由に動く自由貿易が原則とされる現代社会においては、多くの生産物がすべての国で生産国とほぼ同じ値段になるように、心を配っています。メルセデスベンツからルイ・ヴィトンに至るまで、生産本国と日本では概ね同じくらいの値段に設定されています。これは品質を保つためや偽物が作られるのを防ぐためでもあります。高い利益が見込められるならば、リスクを冒してでも偽物を作る輩が出てくるのは容易に想像がつきます。
さて医療の値段はどうなっているのでしょうか?医療費にも国境を超えた動きがあるのでしょうか?先日ご紹介したように、米国の医療費は突出して高いことが知られています。なぜか?それは米国では医療の値段は、医療を供給する側が設定できるからです。米国における薬の値段については、2003年以降薬品会社が薬価を設定できるようになりました。そして設定された薬価については国が関与できなくなりました。その結果どのようなことが起こったのでしょうか?
先日、「エピペン」というアレルギーの注射薬を作る会社が、大幅な値上げをしました。アレルギー体質の人がアナフィラキシーを起こした時に、緊急で生命維持のために投与する薬ですので、アレルギー体質の人にとっては命綱、絶対に買わなくてはならないお薬です。百円以下で製造できる注射薬を、従来はそれでも高い六千円くらいで売っていたものを、今回6万円に値上げしたのです。この注射薬は、手厚い医療保険に入っている人であれば2本を三千円くらいで買えるのですが、医療保険によっては2万から5万円くらい掛かり、それを何組も常備する必要があります。何もしないでただ値段表を書き換えただけのような行為に対して様々な批判を浴びた会社は、その後3万円に値下げしたとのことです。
米製薬会社「チューリング医薬品(Turing Pharmaceuticals)」の32歳のCEO(最高経営責任者)マーチン・シュクレリ氏は、「ダラプリム」という薬の製造販売権を買収し、一晩で薬価を1錠13.50ドル(約1620円)から750ドル(約9万円)へと、55倍以上も引き上げました。この薬の原価は約1ドルで、エイズに伴う感染症治療薬として必要とされていて、古くからシュクレリ氏が買収した1社のみが製造していました。患者さんは薬が必要になれば、この会社から買うしかなかったわけです。批判を浴びたシュクレリ氏はメディアで持論を展開しましたが、大変な論議をつくした挙句、以前起こした詐欺罪で告発されました。薬剤は元の値段に戻されました。
がんの治療薬としてレバミゾールというお薬が米国臨床腫瘍学会で、以前話題になったことがあります。大腸がんの患者さんに投与すると免疫力が向上し予後が改善すると報告されたのです。レバミゾールはもともと寄生虫を駆除する「虫下し」であったのですが、これが患者さんの免疫力を高めるという報告が相次いだのです。多くのクリニックに患者さんが殺到しました。一錠が数万円するお薬を競って求めたのです。
ところがある時から患者さんがクリニックに来なくなりました。不思議に思って調べてみると、患者さんはペットショップに行っていたのです。ペットショップでは全く成分が同じのレバミゾールが、頭陀袋に入って1キロ数10ドルで売っていたのです。患者さんは犬猫用の虫下しを買って飲んでいたのだそうです。
このように人間の患者さん用の薬となると、まさに「薬百層倍」の値段が付くのです。
以前はHIV感染症、AIDSが社会的に大きな問題となっていました。多くの有名人がエイズで亡くなったこともあり、死に至る不治の病としてマスコミを賑わせていました。HIV感染症は抗レトロウイルス薬の多剤併用療法によって大きな進歩を遂げました。このエイズ治療薬は特許が成立しているため1年間に約300万円の薬剤費がかかります。大手製薬会社は開発費を回収するためにはこの値段が必要であると主張しています。一方で、アフリカや南アメリカなどにおけるAIDSの蔓延は、国が存亡の危機に陥るほどの重大な問題なのですが、この地域は薬剤を購入するだけの力が無いのは明らかです。
インドでは従来医薬品などの公共の福祉に対する発明には、特許を認めてきませんでした。このような経緯から、インドではエイズ治療薬のジェネリック薬品の製造を行ってきました。これによって年間300ドル程度まで値段を下げることができました。インドのジェネリックエイズ治療薬は、正規品の買えない多くの国々に輸出され、多くの生命を救いました。
ところが、WTO(世界輸出機構)に加盟するためには国際的な特許を認証することが求められ、加盟によりインドにおいても薬品の製造の特許を認めざるを得ない状況となったのです。それ以降、耐性を克服するために、新たに開発された最新の抗レトロウイルス剤はインドでは製造できなくなってしまいました。
2015年の米国臨床腫瘍学会でトピックスとなっていたのはスーパーコンピュータによる創薬でした。コンピューターで細胞の中の増殖シグナルを伝達するたんぱく質に、特異的に結合する薬剤が開発されて、大きな話題となっていました。コンピューターで開発するわけですから、従来必要であった細胞培養やスクリーニングの費用、大規模な研究所が全く不必要になるのです。言い換えれば机の上で新規抗がん剤が開発できるのです。こうやって開発された原価が1ドル程度の新規抗がん剤は、開発費の回収という名目のもとに、一錠数百ドルで売られるようになります。これは本当に正義といえるのかどうかという論議が、劇的な分子標的薬の効果を発表するのと同じ会場の別の場所で行われていた訳です。
米国を中心に、海外の薬価設定が巻き起こしてきた様々な事象についてご紹介してきました。
振り返って我が日本の薬価設定はどうなっているのでしょうか。
次回はそのことについて見ていきましょう。
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